諸星未来堂ワープ日記
中秋の名月なのかの十月第二週
MOROBOSHI Tomorou's
Warp Diary
1998 October 2nd Week
Japanese-Language Contents
しばらく、更新をお休みしていましたが、以下の日程で旅行していたためでした。
9月28日から30日まで、米沢。
9月30日は、新宿で一泊。
10月1日は、大阪。
10月1日深夜に帰福。
旅行中の日記は、順次補完の予定。時間ないから補完しないかも。
981011a[ daily life / 日常生活(日) ]
福岡、曇天。
うおお、眠い。頭が痛い。
981009b野郎と白泉社の少女マンガネタに、『「少年マンガ」とは「大河ドラマ」なのか? 』と「世代限定の神話」って話を追記。これによってver.5。
おぉ、遠藤ちゃかぽこ日記981010に「返答」が!(わはは、ありまちょーです)。(発端は、981009a「日常生活(金)おれのガチャ目を見れ! の話。」を参照)
おかげさまで「どうしてモロボシが一重瞼だ、という話になったのか」は限りなくクリアに理解できたのですが、えーと、個人的に興味深いのは、どちらかというと、その先の『「日記には一重瞼的なものと二重瞼的なものがある!」 という命題に至った』という方の「一重瞼的日記、二重瞼的日記」の内容の方なんですが、差し支えなければ、そちらの方も説明していただけたらなと。いや、これは純粋にWeb日記に関する知的好奇心から聞いているわけです。
けど、まぁ、これはオフ会の酒の席の上での話でしょうから、まぁ、あくまでも「さしつかえなければ」ってことです。
「日本語の作文技術」本多勝一、朝日文庫、を本棚から発掘して読んでみる。他の作文技術の本と共通したネタが語られているが、懇切丁寧(というか執拗)に例があげてあって、「わかりにくい文がどうしてわかりにくいか」とか、図解までしてあるので、なかなかわかりやすい。
ただ、なんだか文章が糾弾調というか、説教くさいというか、朝日レッドな香りがして、ちょっといやかも。
特に、第八章「無神経な文章」の項目は「紋切り型の文章、慣用句だらけの文章を書くな!」とばかりに、なんか激怒が大爆発してるなぁ。悪文の例に対して「ヘドが出る」とか怒らなくてもよさそうだが。
どこかで「本書を『本多勝一の本だから』と敬遠するのは間違いである」と推薦してあるのを読んだ記憶があって、たしかに、非常にためになる本だし一度読んで損はしないと思う。しかし、読むには、一応「本多勝一だからしょーがない」という覚悟が必要なんじゃないか、と読み返して思った。
981010a[ daily life / 日常生活(土) ]
体育の日。福岡の天気は晴れ。
ちなみに、字面からは「たいいくのひ」だろうが、オレ的発音は「たいくのひ」である。
結婚式という名の非日常な日。
友人の結婚披露宴に出席するべく、天神渡辺通りは電気ビルの正面のホテルニューオータニまで。九州電力本社が入っている巨大なコゲ茶色のビルを、通称「電気ビル」と呼ぶのだが、ひょっとしてこの用語を平気でつかう人って、オッサンなんじゃないかな、と思うのだった。そういうわけで、同級生の結婚式に向かいながら否応なしに「オレもオヤジだのー」とか思ったりするのだった。
ローソンで買ったご祝儀袋に臨時国債を発行して調達した(うぞ)金2万円を入れて、受付にて出す。なぜか、そこに並んでいるご祝儀袋十数袋の内、半分以上がオレのと同じ品物。うー、みんなローソンで買ったのか? ちなみに、お札が2枚とか、半分に分けられる金額は、縁起が悪いとして結婚式では敬遠されるとか、されないとか聞いた記憶があるが、1万というわけにもいかず、3万も出せないので、知ったことかで諭吉さん2枚なのだった。まぁ、ひょっとしたら諭吉1枚+稲造2枚とかいうふうにすればいいのかもしれないが、まぁ時代もかわったので、成田離婚するならきっちりご祝儀も割れる方がよかろうとか。(縁起でもないやつめ>おれ)
と、式場が開くまでロビーでぼーっとしてると、知った顔が「よーひさしぶりー」と声をかけてきた。そして「で、何歌う?」と。歌う!? きいてないよー! 「え? いや、あいつ(新郎)が『モロボシには余興をやれと言い含めて、本人、やる気満々だから大丈夫だよ。説得しといたから』って言ってたぞ」とのこと。がーん、いつ説得されたんだ!>オレ。やはり、ここはウクレレを隠し持ってくるべきだったのだろうか? と自問自答するのであるが、自問自答するまでもなく「ウクレレなんか隠し持てない」ってわけで、持ってこなくて正解なのだった。やっぱ、隠し持ち系としてブルース・ハープを練習するかのー?(なぜ「隠し持ち」にこだわる? テロリスト体質?)。まぁ、友人数人で束になって、適当な結婚式ソングを歌ってお茶を濁すことにする。あぁ無難。
で、ラストエンペラーのテーマにのって新郎・新婦入場。いやー、結婚式には数度しか出たこと無いからよく知らないが、ラストエンペラーのテーマで入場するのは初めてだ。迫力あるなぁ。けど、まぁ、スターウォーズ帝国軍マーチで入場する人とか世間にはいるらしいので、無難な選択なのかもなぁ。
新郎は某有名企業の営業マンで、新婦は地元の商工会議所の職員。
双方の上司が出てきて、いかに新郎新婦がすばらしい人間なのかを、これでもかこれでもかと語る。そして、どうみても若輩とは思えない人々まで「私のような若輩者では」を連発するので、会場は若輩者の巣窟状態なのだった。(まぁ、年齢とは別に、未熟って意味はあるんだけどね>若輩)
にしても、関西の某企業の上司は、言葉がちょっと関西弁が入るけれども、そつなく立派なことを喋る。一方、商工会議所の上司は、強烈な博多弁で「地方のいいおっちゃん」モード全開である。これが新郎の上司がオッチャンモードで、新婦の上司が天下国家を語ったりする逆パターンだったら、けっこう怖いなぁと思いながらも聞いているのだった。(別に、天下国家語らないけどさ)。
まー、新郎が凛々しくて、新婦が美人なのは本当だから、いくら褒めても白々しくないからいいや。ほめろほめろ、もっとほめろ!
で、料理がお約束どおり「前菜」「スープ」「魚料理」「肉料理」「デザート」「フルーツ」「コーヒー」とどんどん出てくるのだが、朝飯昼飯抜いているにもかかわらず、なぜか魚料理の途中で腹一杯になってしまって、肉をナイフで細分化しながら、ついついスピーチにうんうんとな頷いてしまうオレなのだった。
「あのさ、曲は長渕の『乾杯』にしたから。知ってるね? 歌えるね?」「サビしか知らないよー」「あー別にいいよ、一緒に立っててくれるだけで」と、いきなり決まってしまう。しかし、まぁ「一人で歌うのはなんだけど、三人以上ずらずら並んで歌ってれば、それなりに結婚式の余興っぽいからどーでもいい」ってのは極めて真実らしいので、納得する。「それで、出番はいつなの?」「あー、いくつかスピーチがあるから、ずーっと後だよ」「わかった」『それでは、ここで、新郎のご友人らによるお歌の余興をお願いいたします。歌っていただくのは、Aさま、Bさま、モロボシさま』「ブーッ(スープ吹き出す音)」
こころの準備がないまま、出現したカラオケセットの前に並んで、代表がありがちなスピーチ「いやぁ、学生時代には彼にはさんざん世話になって。いや、就職してからもおごってもらって(会場笑)。ボクのかわりに、新婦のM子さん、こいつに世話になってください(会場大爆笑)」とかをとばしつつ、「乾杯」のイントロが流れて歌詞が出るのだが、サビしか知らない……くないな、知ってるじゃん。
♪かんぱーい、いま、きみは、ぢんせいのぉおおきなおぉきなぁぶたいにぃたち
なーんだ、らくしょー、じゃん。つい熱唱してしまった。わはは。
で、役目も終えたので、肉食ってデザート食って、新郎のお友達がPowerPointで作ったOHPで「それでは、我が社が開発しました新製品の性能と特徴についてご説明いたします」形式の新郎暴露話をするのを聞いたり、新婦のご友人が「テントウムシのサンバ」を歌うのを聞いたり、したのだった。しかし、「乾杯」に「テントウムシのサンバ」とは、なんて無難なんだろう? Kiroroの「長い間」が新定番になったってのは、ウソだったのか?
しかし「新郎のご友人席」に座っていたのだが、丸テーブルをぐるっととりかこむ「29才独身の男」の塊は、なんだか、ずいぶん、いや、なんでもない。
キャンドルサービスならぬ、クッキーサービスがあって、オレのの隣の席の「新郎のご学友」が「あたり」をひいてしまったので、いきなりスピーチをさせられていたが、ギャグをおりまぜながらも、なんかホロリとくるようなスピーチを淀みなく展開するのを聞いてると「すげーなー、まるで仕込みみたいだ!」とか思ったのだった。ちょっとずれてれば、オレが「あたり」だったわけで、もし、オレがスピーチあてられてたら……って、あれほど淀みなくはなくても、似たようなネタで似たような結論のスピーチしたかもしれない。うーむ、わかりやすいヤツなのか、新郎?
と、いうわけで、バームクーヘンとか入った袋をもらって天神地区をてくてくと歩いて戻るオレなのだった。
あぁ、なんて無難な結婚式なんだ。「非日常という名の日常である結婚式」というか「凡庸なる非凡な日、それは結婚式」というか
しかし、今回の結婚披露宴がらみで、一番印象深かったのが、新郎からの電話での台詞「モロボシ、お見合いって、なかなかいいぞ!」だったな。そうかー、なかなかいいのかー! しかし、なかなかいいぞーと勧められて「はい、そうですか」と試してみるわけにもいくまいて!>お見合い。
本日のBGMは「HOUSE ULTRAMAN」KICA76。
ずいぶん昔に買った、ハウスブームんときに出た「アニソン+ハウス」物の一つ。テクノとかハウスとしてどうか、ってのはオレには判定不可能なんだけれども、ウルトラQからウルトラマンAまでの主題歌をサンプリングしてツギハギして曲にしてあるので、なかなか面白い。1曲目の「ウルトラQのテーマ」が、オリジナルの「どっかー、ぎゃひ、どっかー、ぎひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! ぽぺぽぺぽぺぽぺ……」のサンプリングの上にドラムスとベースが乗って曲になるのが、かっこよかったから、オレ的にはオールオッケーなのだが。
と、いいながら、オレはウルトラQは、ほとんど知らないので、ノスタルジア的なうれしさは、全然ないのだが。
「オレも、いっちょ、偽オタテクノでも作るか!」と、MOD編集ソフトをダウンロードしてみたのだが、PC/ATには音源カードがささってないので、音が出ないのだった。がーん。
MacにはPlayerProが入っていたのだが、消してしまったからなぁ。はて、インストールディスクはどこだっけ?
こんなこと、してる場合じゃないんだ。やめ。
むー、次に、宇宙刑事のサントラでも聴こうかと思ったのだが、見あたらない。がーん。大葉健二ぃ。そういえば、その昔、某fjの、とあるニュースグループに「大葉健二はゴリ顔で」と書いたところ「女性ファンがたくさんいるんだからひどいことを書かないで!」というメールが(女性から)十数通届いてしまって、ビビッタ記憶があるなぁ。うーむ、口が滑った。しかし、バトルフィーバーのOPで、毛皮の服を着て、東京の路上で、子象と一緒にパイナップルを貪り食っていた男は、やっぱり「ワイルド」とか「野性味あふれる」よりも、一足飛びに「ゴリ」じゃないかと思うのだが。
ま、念のため言っておくと、この「ゴリ」ってのは「ゴリ入っててかっこいい」という文脈なので、念のため。だってさぁ、シャイダー沢村・円谷浩は、透過光合成がないと二階に飛び上がったりできないけど、ギャバン一条寺烈は、生身のまま二階まで飛び上がったりしそうで、かっこいいんだもんなぁ。まぁ、捜査費用が足りなくなってリリー叶に金かりるのは、かっこわるかったが。(しかも、はだかの札束受け取るのが格好悪い)。あと、大葉健二は、声が妙に甲高いのが違和感あったな。
うーん、そんなことはさておき、やっぱり「宇宙刑事」のCDが出てこない。うー、聴きたいよー。串田アキラ! (そうだ、串田アキラ、どこに行ってしまったんだろう?)
♪星ゾラのどこかーにー故郷がある〜
(って、これじゃ、ギャバンのEDなのに、ザ・ブングルの歌じゃ! ま、いいか、どっちも串田アキラだから(涙))
スバルの新しい軽ワゴン「プレオ」を目撃してきたのだが、なんかすごくいい感じだ。(って、エアロパーツつけたやつが、だけど)。車内も広いし。けど軽ワンボックスみたいな「どんくささ」が無いし。うーん、実家お袋マシーンを、こいつに買い換えさせるってのもいいなぁ。けど、なんか軽にしてはでかいなぁ「小回りが効いてちっこい」という軽らしさが無くなってしまった感じだ。まぁ、軽らしさを追求すると、もれなく「事故るとぺっちゃんこ」ってのがついてくるからしょうがないんだけど。
井沢元彦「天皇になろうとした将軍」が、やっと文庫に落ちた。ほくほく。あ、手持ちのお金がない。週末だから。がーん。
981009b野郎と白泉社の少女マンガネタに、「SFはホントに理由のひとつなのか?」って話を追記。
え!? 薬の「食間に服用」って、「食事と食事の間の何も食べてない時間に」って意味だったのか! てっきり「食べながら飲む!」だと思っていた。いやー「忙しい薬だなぁ」と思っていた。うわ、大間違いすぎる。
BGMは突如「FIN.K.L.」に変更。あー無限ループで聴いてると、いい感じだなぁ「FIN.K.L」。歌うまいのがいいよ。R&Bだよーん、って感じで。
しまった、今日は「ヒッパレ」のスペシャルだったのか。SPEEDが、「HOT LIMIT」踊ってるのだけ観た。
981009b[ Boys with HAKUSENSHA / 野郎と白泉社の少女マンガ ] v5
さきぽん日記981008が出発点の「野郎と白泉社の関係」のお話。フォロー者の話も、奥が深い。(最初「フォローワー」と書いたのだが、「フォローワー」ってのはなんか響きが違うなぁ。「信奉者、模倣者、追随者」じゃなくて「(話題を)フォローしてる人」ってつもりなのだが。「フォロー者(ふぉろーもの)」の方がいいかのー?)
オレ的には「男は何故か、白泉社から少女漫画に入る」という「神話」は、一種、「論証不要の都市伝説」として周囲に漂っているいたので、検証したことがない。(今は「少女漫画」とか言わないのかの?)。「あぁ、そうね、なんか『花ゆめ』とか『LaLa』とかなら、抵抗無く読むみたいね」とか。(あ、でも、「LaLa」連載のマンガの単行本は買うことあるけど、本誌を読んだことはあまりないかも。)
と、いうか、オレの本棚にあるいわゆる「少女漫画」に類するコミックは、全て白泉社の「散髪屋さんの看板みたいな色彩な」コミックだから、検証の必要性を感じなかったというか。
というか、「次は『りぼん』か『ちゃお』でしょう!」と言われて、「次には行きたくないかも」と思ったような。
うーん、コミックス、たいしてないけど、それでもあるにはあるな。「パタリロ」に「小山荘の嫌われ者」に「サイファ」(と「アレクサンドライト」)に「笑う大天使」に「動物のお医者さん」。
って、全体として10年ぐらい前に止まっている感じがするなぁ。この、ラインナップ。きっと「ぼくたま」に手を出さなかった点で、無意識的に「花ゆめ」「LaLa」の世界から遠ざかることを決めたんだろうなぁ。(って、いうほど読んでないわけだけど)。だって、気付いた時にはかなり話が深刻になっていたから、終わるまで手がだせなくて、終わったら手が出せなくなっていたんだもん>「ぼくたま」
あー、あるいは、「清水玲子」の作品が何となく怖くて、避けたかったのかもしれないなぁ。どうしてかはいまだにわからないけど。
にしても先日、「少女マンガとか読みますか?」と聞かれて「成田美名子とか読みますよ」とうっかり答えたら「あーあ、だめだなぁ、あんなもん読んでカンドーしてるようじゃ、まだまだ、どころか、だめだめだね。ったく、人生30年も、何読んできたの?」と言われてしまって、途方にくれてしまった。がーん。そうかー、底が浅い人生ですまん、って感じだ。
で、話を戻すと、
SF彦日記981009の「冥府魔道の入口説」を聞けばそれ以上の説明が必要ない気がするオレなのであるが、よく考えれば「どうして、白泉社が冥府魔道の入口で、他の会社はそうでないのか」を分析しないと、答にならないのかも、と思ったりもするのだった。って「昔はSF物もそれなりに出ていた時期もあったりでその頃にはまった人がいて、先輩から後輩に脈々と伝統が伝わってきたとか。」って説明でオレはOKなんだけど。だって「ぼくたま」とか「清水玲子が」という話をしつつ「LaLa本誌は読んだことがない(のに、花ゆめは、なぜか手の届くところにあった)」って話をしてるからね。
オレが思うに、「SFマンガが読みたいんだけど、いわゆる少年マンガの範疇に入るSFマンガは、どうしても、勝負とかメカとか一種『ジャンプ的マッチョが世界を救う』方向に進みがちで、SFの別の部分を表現するには、いわゆる少女マンガの枠組が必要・最適だった」んじゃないかな、と。(具体例あげないと、説得力ないが、うまい例がみつからない)。「SFの別の部分」ってのが、うまく説明できないなぁ。「いわゆる女流SF作家なら書きそうな」とか「女の子が小説かくと、こういうのになるでしょ」とか、なんか一種、ジェンダー的偏見をともなった表現でしか表現できない「あれ」というか。
で、「そういうSFマンガ」を探そうと思ったら、白泉社系列が一番濃度が高かったのではないか、と。そういうわけで、オレの周囲には「花ゆめ」が転がっていたのだろう、と。そういう意味で、上にも書いた「『昔はSF物もそれなりに出ていた時期もあったりでその頃にはまった人がいて、先輩から後輩に脈々と伝統が伝わってきたとか。』って説明でオレはOKなんだけど。」ってことになる。
さっきから「少女漫画」とか「少女マンガ」とか書きながら、ものすごく違和感をおぼえるのだが、若い女性が好んで読むが、若い男性はあまり好んで読まない(ことになっている)コミックスの類を何と呼称するんだ?(周囲に聞いてみると「少女マンガ」でいいらしいので、安心してみる)
まぁ、「白泉社以外の少女マンガを読まないオレ」としては、この話をするには、力不足なのだった。(「役不足」だと意味が逆なので、間違って使わないように>オレ)。
まぁ、他の会社系列の少女マンガ読んでも、似たような比率で「読めるものは読めるし、読めないものは読めない」ことになるのかもしれないが、漠然と「白泉社の少女マンガって、ヨソと比べて、男も読みやすいんじゃないの?」という気がしてしまうのは事実で、それを逆側から表現すると「男性をも魅了する(←…)白泉社系マンガの特異性(というものがあれば)を解明できれば、自分がなぜあんまり白泉社系マンガに親しめないのか(婉曲的表現)、という疑問に対する答えを導きだせるのではないか」という、さきぽん発言になるのだと思う。
と、いうわけで、さきぽんさんの「そのうち自分の記憶と資料を振り絞ってみて、白泉社系雑誌の傾向の変遷を年代順にあげてみようと思うのだが」ってのに期待したりするのだった。んで、面白そうなやつだけ読むって寸法。けけけ。
あ、念のため書いておくと、オレ自身は「少女マンガは男が読むもんじゃない」と漠然と思っている。
と、書くと誤解されるかもだから、もう少し説明しておくと「世間が『少女マンガは男が読むもんじゃない』と思っているのは承知していて、かつ、それに積極的に反論する気にならない」ということだ。つまり「自分が少女マンガを読むのを禁止したりしないが、うしろめたい気がする。そしてうしろめたい気持ちを抱くことに疑問を抱かない」ということだし「『少女マンガは男が読むもんじゃない』と思っている世間ってマチガッテイル! と怒りは感じない」ってことだ。
であるからして、他人である男の人が少女マンガを読むことは別に悪いとも止めようとも思わないのであるが、「少年マンガも少女マンガも区別なく読むし、それが変だと思ったことはない」という人に対しては「オレとは感覚が違うなぁ」と思うのは確かだ。(しつこく念押ししておくが「オレとは感覚が違う人種かも」とは思うが、だからといって「だから嫌いだ」とか「だからマチガッテイル」とか「だから修正してやる」とかは思ってないので念のため。ただ「オレと違う人種だ」と感じること自体が偏見だ、と言われたら、確かにオレは偏見を持っていると言えるだろう。そして、どっちかというと、少年マンガも少女マンガも区別なく読める方が人間として豊かだろうとは思う。)
(981010追記:なお、ここで「オレ自身は「少女マンガは男が読むもんじゃない」と漠然と思っている。」と書いたのは、「少女マンガを男が読むことの是非」を話題にしたいわけじゃなくて、オレはこういうジェンダー的偏向のある立場で語っているよ、という説明のためです。)
(981010追記2)
おや、さきぽん日記981010に、上に書いたことが取り上げられてる。らっきー!(らっきーなのか?)
さきぽんさん曰く「『殿方が優雅で感傷的なSFを白泉社のマンガに求めた』という説を挙げて帰納法的に行こうかしらんと思ったり。」とのこと。
さらに、「SFという言葉を出してしまったが、SFの定義について言及することはおもいきり禁止(収拾つかなくなるから。) 」とのこと。おぉ、SF定義論争は禁止なのか!
まぁ、自分で「SFが読みたかったから」と言っておきながら、オレの本棚にある白泉社コミックスには、いわゆる「SF」関連が皆無なのだから、説得力がなかったりして。どうしよう。
まぁ「SFが読みたいから、という名目で自分をだまして手にとってみたところ、SF以外に、自分として面白いと思う作品があって、そのコミックスを買った」という流れだとすれば、それほど矛盾しないけど。
分解してみると、
こうなると、材料も少ないし、オレの好き嫌いとか、オレ以外にはわからないし、どうしようもないな。お手上げ。少なくともオレに関しては、ね。
とめ日記981009の 「あくまで「僕らの時代」の共通項という感じがします。「スケバン刑事」とか「ブルーソネット」とか「パタリロ!」とかがキッカケでハマったという方、結構多いんじゃないでしょか? 」 ってのは、結構、説得力あるなぁ。
「パタリロ」は少年マンガじゃない気がするけども、和田慎二や柴田昌弘は、割と少年マンガを感じるなぁ。特に柴田昌弘はそのまま少年誌に描いたりしてるからなぁ。(描いてるよね?)。「ブルーソネット」とか、別に少女マンガだと思わないなぁ。あー「超少女明日香」シリーズと「ピグマリオン」をまとめ読みしたいなぁ。(けど、「超少女明日香」って別マらしいから、白泉社の話にしてみれば、否定的な証拠になっちゃうなぁ)。
「パタリロ」は、ホモやらギャグの部分は割とどうでも良くて、国債陰謀物とたまに出てくる悪魔趣味なあたりが好きで読んでいた気がするなぁ。(「散る薔薇咲く薔薇」とか、魔界侯爵アスタロトのあたり、とか)。この感じは、いわゆる「少年マンガ」にはあまりなかった気がするなぁ。今は、悪魔だろうが魔界だろうが何だろうが、あるけど。あとはパタリロとバンコランの掛け合いも面白かったけど、単なるドタバタよりも初期に顕著だった「ラシャーヌ」を彷彿とさせる「いやらしいヒッカケ」な毒のある会話のあたりとかを求めていたような気がする。こういうのって、あんまり少年マンガになかったような気がするなぁ。今は「ジョジョ」とか、それ系かもだけど。
(って、知らない間に「懐古モード禁止」にひっかかった気配が。わはは)
(981011追記:うっかり「国債陰謀」と誤植したら「自転車操業な陰謀なのか!」とかツッコミが。わはは。もちろん「国際陰謀」の誤植である。って、黙って直せよ>オレ)
さっきから「少年マンガを感じる」とか、書いてるけど、やっぱり「これこれというマンガのこれこれのシーンに少年マンガを感じる。それは、これこれだからだ」という具合に実例だした上で分析しないと、話が進まない気がするなぁ。
あるいは、「白泉社コミックスのこの作品が、もし別の雑誌に連載されていたら、どういう点が違っていたと思うか」とか。(なんか、サルマンにあったような気がしてきたなぁ。雑誌ごとの傾向と対策とかいう話が。「マガジンだったら、ヒロインが童顔巨乳で読者サービスしまくりで、チャンピオンだったら主人公が長ランと木刀で、敵と果たし合いに行く」とか。ちがったっけな?)
で、オレは実例あげて分析するほどよく知らないのだった。(だから、知らないなら語るなって>オレ)
(981010追記2ここまで)
(981010追記3)
はち日記981010の、「SFとの兼ね合い、というのは確かにありそうで、 それこそ和田慎二や柴田昌弘が その入り口として機能した部分があるのかもしれないですね。」は、オレもそう思う。「白泉社以外の少女漫画誌にもあった SF作品ではなぜだめだったのか、 というのは良くわからない。」というのもそう思う。たまたまだったのか、何か理由があったのか。(理由があったとして、それが何か法則の用に抽出できるようなものだったのか)よくわからない。「SF、という概念を持ち出しても、「男性が少女漫画に入ってくること」の説明にはなっても、 「白泉社に好みが偏ること」の説明になるかどうかはちょっと疑問だなあ。」というのも、オレもそう思う。ただ、「いくつかある理由の一つ」ぐらいの重さはあるかもれいないな、とは思う。ただ、これだけで説明できるかっていえば、多分無理だろうな。多分「SFぽい」とかいうのも、いくつかの要素に分解できるんじゃないか、と思う。あと、花ゆめを集中的に読んでいた時期がとびとびで何度かあったオレだったが、いまだかつて一度も「連載しているガラスの仮面」を読んだことがない。オレの中では「伝説の連載永久休止作品」あつかい。
(981010追記3ここまで)
(981011追記その1)以下ver.5より。
「少年マンガ」とは「大河ドラマ」なのか?
さきぽん日記981011に曰く「とにかく「物語」でくくると『ガラスの仮面』が少年マンガになってしまい、おれ的にそれは違う〜と言いたくなる、ということです。」
これに対して、はち日記981011、「ガラスの仮面、あれは明らかに少年マンガだと思うですよ 。はい。「王家の紋章」なんかもそう。 」
はちさんは、その前の、981009『「男性読者」は白泉社に偏った嗜好なのか 』の中で、「白泉社系は確かに ドラマ主体 な部分がありますね。「読者を次へ、次へと引っ張っていく物語の力強さ」というのは 基本的に少年漫画の属性である、と感じているのですが」、また、981010「いちおう白泉社うんぬんに対するあたしの立場を」の中で、「少年マンガと少女マンガの違いは「物語」に対するスタンスにある」「白泉社は「物語」の構造的に少年漫画的(次へ次へと引っ張る物語のベクトル感覚が)」と、「少年マンガ」を「定義?」しているけれども、なんというか、こういう「大河ドラマ的な展開」をして「少年マンガ的」と言ってしまっていいのだろうか? という気がしてしまうのだが。波瀾万丈で延々と話が進むのは、「少女マンガの属性」と言われても、納得してしまうものがある気が私にはあるわけですけれども。
であるからして、なんというか「物語を引っ張るベクトル感覚」をもうちょっと細分化するかして「少年マンガ的大河ドラマぽさ」と「少女マンガ的ドラマぽさ」にわけて語らないと「ガラスの仮面は少女マンガだ」「いや、あれは少年マンガだ」ってことになって、『「聖闘士星矢」も「北斗の拳」も少女マンガである』という話になっていまうんじゃないかな、と思うわけです。
って「『ガラスの仮面』も『王家の紋章』も少年マンガだよね」と言われて「あ、言われてみれば、そうだよね」と納得する人が多ければ、別に問題はないわけで。(って、さきぽんさんは納得してないみたいだけど)
って、アレ? 今書いたの、まるきり、さきぽんさんのの引き写しじゃん? 何してるんだ?>オレ。
あ、思い出した。はちさんが「『物語性』が少年マンガたる所以(ゆえん)だ」と主張して、さきぽんさんが「『物語』でくくるな」と言ってるのに対して、オレは「やはり『物語性』が鍵じゃないかと思うが、『物語性』の有無で少年マンガ、少女マンガをわけるんじゃなくて、『物語性』を『少年マンガ的物語性』と『少女マンガ的物語性』に分解して語るべきじゃないか」と主張してみたい、と。そうしないと「大河ドラマは自動的に少年マンガ」とか「少女マンガでは物語を構築できない」とかいう、あんまり楽しくない話になりそうで、よろしくないのではと思う。
(けど、なんか、「代表的長編少女マンガ」をリストアップして「アナタは、これを、少年マンガだなぁ、と思って読みましたか?」って、アンケートしてみるといいかもしれないなぁ。勿論、同時に「どのあたりが?」というのが必要だけど)
ただ、私個人としては「少女マンガでは物語を構築できない」とは思わないまでも、「文字文芸で言うところの詩やエッセイのようなものは、少年マンガの枠組みでは描きにくいが、少女マンガの枠組みでは描きやすいんじゃないか」と思っていることは、事実だ。であるからして、さきぽんさんの言葉を借りれば「優雅で感傷的な(SF)」は、少年マンガの枠組みでは描きにくい、という気がするということである。(まぁ、こう言ってしまうと、オレの少女マンガ観やマンガ観の古さが露呈するだけかもだが。映画で言い換えれば「確かに面白いけど、なんでもハリウッドアクション映画になっちゃうと困るよねぇ(苦笑)」という感じというか)
「世代限定の神話」
先に『「男は何故か、白泉社から少女漫画に入る」という「神話」(がある)』と書いたところ、「おいおい、いつの時代の話だよ。オレが少女マンガ読み始めた頃は、『花とゆめ』なんて存在してなかったぜ」というツッコミが入ったのであるが、えーとそれは、その後で、とめ日記981009の「あくまで「僕らの時代」の共通項という感じがします」に同感を表明したあたりで、自覚したことになっています。「花とゆめ」も「LaLa」も無かった時代には、そりゃ、まったくあり得ない話ですからねぇ。(「白泉社のマンガ雑誌が登場するまで、男は少女マンガに見向きもしなかった」とか言うつもりは毛頭ないわけで)。それに、世代がもうちょっと若くなると、「ちゃお」とかに行ってしまうらしいので、特定の世代(よくわからないけれども、今30才前後だったりする世代、かな?)にはピンとくるかもしれない話、というレベルなんでしょう。(仮に共有してる人がある程度いる、としても、ね)
「面白ければ、それでいい」ってのは、そのとおりだし「嫌いなら読まねばいい」というのも、本当にそのとおりなんだけれども「どうして自分はこれが好きなのか。そして(似たようなものにもかかわらず)、こちらはどうして嫌いなのか」を考えて、答を見つけようとあがくのが、オタクの業というものだと思うので、しかたがないのだ。(あ、あくまで「オレ」の話ね。「オレまでオタクの仲間にするなー!」ってのは勘弁してね。あ、でも「お前のオタク観はまちがっている!」って議論は歓迎(をい))
とはいえ、あまり読まない少女マンガとか、ほっとけ>オレ、という気がものすごくするのだが。やっぱ、あれだろう。オレはオレで「どうしてオレは少女マンガを読まないのか。読まなくていいのか」という理由を探しているのだろう。理由が見つかれば「いや、こういう理由で、オレは少女マンガはチェックしないの悪しからず」と納得できて、すっきり爽快だからね。(どーして「少女マンガもチェックしてなくちゃなぁ」とか思うかね>オレ)
なんか、あっと言う間に「世代論」とか「オレ論」になってしまったわけだけど、「好きずきの法則」とかいう話は、やっぱり「オレってばこう思うんだよね」ってところから、一歩一歩、共通項を探って行くしか進み方がないんじゃないかなーとか思ったりするからなのだった。うむ。ここまでくると「言い訳」だのぉ。
(981011追記その1、ここまで)
981009a[ daily life / 日常生活(金) ]
福岡の天気は晴れ!
朝飯は抜き!
昨日と同じになってしまった!
実家に用事があったので、朝っぱらからミラパルコでぶろろろろーッ! 渋滞の道をギュンギュギュン!
オヤジもオフクロもお出かけの静まり返った実家では、庭の番犬タローが、くんくんと鼻を鳴らしているだけなのだった。すまんな、散歩に連れていけるほどの余裕がないのだ。
向かいの公園では、何やら近所の幼稚園が行事をやっているらしくて、お子様はころげまわって、大騒ぎ。ただし、ラジカセ様の「小さなスピーカーだから音が割れてます」な音楽のBGMが、単なる大騒ぎではなく「運動会に類する行事だ」という雰囲気をかもしだしているのだった。
これが、小学校の運動会だったら、黙って5分もBGMを聞いていれば入退場で、マクロスのバルキリーのテーマが流れるのだろうなぁと思ってしまったりするのだった。あるいは、ヴァイファムのテーマとか。(あ、いかん「バイファム」か)。
などと考えつつ「もぉ体育の日かー」と実家のサクラを見上げると、ちらほらと花が。2分咲きぐらいかな? って、ちょっとまてー! 今は10月だぞ! お前は、ソメイヨシノじゃないのか! 春に咲くんじゃないのか!?
まぁ、最近、寒かったと思ったら急に暖かくなったので、狂い咲きしたのだろう。しかし、このサクラ、毛虫にやられて葉っぱが全部なくなってしまった直後にも狂い咲きしたり、けっこう狂い咲き度が高い気がするなぁ。そろそろ、耄碌(もうろく)したのか?
♪ぶろろろろーッ!
♪ぎゅんぎゅぎゅん!
♪るーろるろろろ!
♪すどどどばーん!
♪きゅーんきゅん!
♪ばろろーむーぅ!
なぜかしらないけれども、約12時間前から、頭の中を「超人バロム1」のエンディング曲が流れ続けて、どうしようもない。どうしてだろう? ♪ゆくてをーさえぎるーくろいかげーあくまのーつかいのーどるげーどるげー、って。
しかし「♪ゆくーぜ番長!」はいいとしても「♪よしこい! チビ!」ってのは、ショックだのぉ。
あ、わかった。レオパルドンの「電人ザボーガーGo!」の曲を、エンドレスで聞き続けたので、脳が特撮ソング無限ループモードに入ったんだ!(って、入るなよ、そんなモードに>オレの脳。)
旅行の後、ほったからかしにして、襟首が黄色くなってしまったワイシャツをクリーニングに出したのだが「白いワイシャツなら漂白できるんですけど、色ついてるワイシャツだと、もぉーだめですねぇ」と言われてしまったのだった。そうかー、白いワイシャツじゅうよう。(じゃなくて、さっさと洗濯だのクリーニングだのしとけ!>オレ)
明日は、結婚披露宴におよばれしているので、一張羅(いっちょうら)のスーツをクリーニングに出したり回収したりしているのであるが、それと同時に、ご祝儀袋に入れる「ピン札」を求めて放浪するのだった。金それ自体は、まぁ、あるのだが、財布の中にあるのは「日本銀行券として人々の間を流通してきて立派にお勤めを果たした含蓄ある福沢諭吉の顔」な状態なわけで。で「いかん!」と気付いた時には4時すぎていたので、銀行もしまってしまって、しょうがないのでそこらの本屋で「すみませーん」とかいって、レジの中の一万円札をぜーんぶ検分してもらって、いちばんきれいなヤツと交換してもらったのさ。
って、5時まで郵便局開いてるでは?>オレ。あ、気付かなかった。ばかだなぁ。もぉ。
「久美沙織の新人賞の獲り方おしえます」を再読了したが、あらためて勉強になる本であった。
何度も言うが、小論文の作法と、小説の作法は、ちがうものだな、という認識を新たにした。
再確認した内容を、列記する余裕はないが、読み返していて「そうそう、この本で知ったよ。あぶなかったね」と思った知識は、「投稿小説につける『あらすじ』は、ちゃんとオチまで明記しないとだめ。最後に『最後の戦いが始まる……』とやったら、あらすじだけで落ちる。」ということだったな。いやぁ、知らないとはいえ、恐ろしいことだ。
あとは、省略かな。主語だの何だの、省略しておいても、読んでいくうちにわかる言葉は、どんどん省略するのが(小説の文章としては)正しい、ということ。実例がいま、ちょっと浮かばないが、確かに「この『私は』はいらないし『その肩を』もいらないし」という風に省略できる部分は多い。というか「省略しないとなんだかうるさい部分」かな。
まぁ、自然な日本語文では、主語がない方が美しいわけで、小説では主語が省略された日本語の方が、ふさわしかろう。というか物の本には「日本語には『主語』は存在しない。存在するのは『主格補語』だけだ」とか書いてあったりするので、ますます「主語」の立場は無い。
まぁ「省略する」だの「無い方がうつくしい」だの言えるのは「無くても読んでいけばわかるから」というのが前提にあるわけで「日本語なんだから主語はなくてもいい」とばかりに「何が主語だか読んでもいっても見つからない文」とか「何が主語だか選択の幅があって、どういう意味なのか確定しない文」とか書いていいわけじゃないけど。
ただ、一つ面白いと思ったのは「作品の題材と作者の言いたいことは、同じじゃない」という話で、これって「『私の家族』について書け、と言われたからといって、自分の家族の履歴書みたいな小論文書いたら、大学やら会社には落ちる」というのと、似ているなぁと思ったり。
「さるまん」(「サルでも描けるマンガ教室」)で言うところの「戦争マンガの『テーマ』は『戦争反対』『戦争の悲惨さを描く』だけれども、作者が本当に描きたいのは、ドンパチの血湧き肉踊る部分だ」というような話と同じかもしれない。
「『考える』ための小論文」ちくま新書110、を再読している。これもいい本だわ。というか、この前よんで、すっかり洗脳されているかもしれない。
「文章は、自分の考えをまとめるため、そして、それを他人に伝えるために書くものだ」とか。これなんか「Web日記をなぜ公開する?」の一番、根元的な解答かもしれないな。
まぁ「オレは自分の考えをまとめるためにWeb日記を書いて、公開しているんだ!」と叫ぶと、「自分の考えをまとめるのは、ノートの片隅だの、ローカルなhtmlファイルだので、ひっそりとやって、考えがまとまってから、公開しようね」と言われてしまったりするのであるが。
いや、しかし、小説も小論文も、「ありきたりなテーマを使って、作者自身を文章に込める」ってのが目的ってあたりが、同じだなぁ。
って、陳腐な一般論に落着してしまったのだが。
そういうわけで、昔書いた自分の小説(の、ようなもの)をこっそり読んでみたら、あまりにも、恥ずかしすぎて、逃げ出してしまったんだね。図太くないとだめだね。あああああ。
「最近ワープ日記は、文章はくどいし、説明が過剰だし、よろしくない」という指摘が宇宙の彼方からやってきたので、考える。
ううむ、確かに。
「背景的な知識を共有してない読者にも理解しやすいように、と配慮するのはわかるのだが、その配慮によってかえって知識を共有している人も共有してない人も、文章に入り込みにくいのでは?」と言われてしまうと、なるほどそうかもしれないと思ってしまったりする秋の夕べである。
ううむうううううむ。
これが久美沙織が言うところの「読者はバカじゃないから、くどくど説明しなくたって、ちゃんと読んで理解してる」ってことになるんだろうな。
それにしても、ううむうううううむ。
異例の長考によって、持ち時間を使い切ってしまったので、以後は10秒の早差しで書くのだった。(って、おい)
さてと、文章読本読んでないで、書類書くかな。書類の日本語は、小説とも小論文とも関係ない日本語だったりするので、これまた困ったりするのだった。
メモリくいすぎるのか何なのか、ワープサーチがろくろく動かないので、そろそろ、フリーウェアの検索cgiでもしかけるかと考える今日この頃。本屋で見かけたその類のムックを買うかと思って、ぱらぱら立ち読みしたのであるが、スーパーユーザー権限がないとだめらしいので、とりあえず、その本を買うのは止めるのだった。
晩飯は、近所の「美味しい定食屋」さんで、うまい定食を食べる。ほくほく。
と、テレビでは、7時からあってるらしい「ぱぱぱぱPUFFY」の特番が。(しつこいが「あってる」は「ある」の進行形を表す福岡の方言)
おぉ、ゲストがSPEEDで、ミッチーで、ミッチーが流星先生(下の名前忘れた)に変身して、「行け行け天国」(「Go!Go!Heaven」)の振り付けをしている! うわ、なんか、みっとも恥ずかしいフリをSPEEDもそれなりにこなしていて、ちょっと変。けど、流星先生のみっともはずかしいフリは「ミッチーみたいな色男が、長い手足を振り回してうっとり」って点に「みっともはずかしさ」が集中しているので、あまり手足が長くないSPEEDが、元気いっぱいヘンテコな振り付けをしてても、あまり変に見えないのが残念だ。
「SPA!」の10/14号を立ち読みしてたら「あの特撮ヒーローたちのその後」とかいう記事があったので、つい買ってしまった。
まぁ「一文字隼人」の佐々木剛の俳優復帰、ってのがミソな記事なんだけれども、「青影」金子吉延が、青影と同じ顔のままオッサンになって、配管工事人になってるのが、なんかホッとする。まぁ「キカイダー」伴大介(直弥)や、「ハヤタ」黒部進は、割とテレビでみるから「あの人は今」な気がしない。悪役するのにこだわりがなかった黒部進とある意味逆なのは、「V3、アオレンジャー、ズバット」宮内洋の「現在にいたるまで悪役は回ってきません」というコメントであるが、一時期スランプ的な時代には、サスペンス劇場で結婚詐欺師や悪徳弁護士なんかをしていたのを見た記憶があるのだが。あと、「ヒーローは年をとらない(笑)」と、毎日、ストレッチ、筋トレにはげみ身体を鍛錬しているそうだが、宇宙刑事ギャバンに宇宙刑事アランとしてゲスト出演したときに、思いっきり腹が出ていて幻滅した記憶があるなぁ。なんか「首都消失」だかに、本当に一瞬だけ登場して「おいおい、ちょい役かよ!」と悲しかったなぁ。
で、今回、立ち読みですまさず買ってしまったのは、「宇宙刑事ギャバン」の大葉健二が、母親の看病のために実家に帰ってイベント会社で働いている、というのが載っていたから。そうかー、どこに消えたのかと思ったが、俳優やめてしまったのか。しかし、ギャバンの当時27才、今年で43才だそうだが、ギャバンの頃から、ごついゴリ顔だったからか、全然老けてないなぁ。
しかし、「語るには力不足」と書いておいて、だらだらと書くは書くは>オレ。語るほど知らないなら、黙ってればいいのに。
おれのガチャ目を見れ! の話。
「トモロは、二重瞼のとても涼しい目なのか?」と突如、聞かれたので何事かと思ったのだが(「なんごつね?」が博多弁ぽいかも)、「Web日記学会設立決起集会@ベトナム料理屋」に参加したクール日記あらため「ちゃこぽこ日記」の遠藤さんの日記981009に、
なぜかそれまでは勝手に諸星さんの瞼は一重瞼だと思い込んでいたんだけど 実際には二重瞼のとても涼しい目をされていたのが印象的だった という話から始まったんですよね。 突然話題にしてスミマセン > 諸星さん。と書いてあるのがネタ元らしい。
おぉ、オレは「二重瞼の涼しい目」だったのか! って、右目は二重だけど、左目は本来、一重だから、「ガチャ目」なのだがなぁ。けど、最近、両目とも近眼が進んできたので、両目とも二重であることが多いかもしれないのだった。
しかし「涼しい目」ときたら、照れてしまうな。てへ。(「冷たい目つき」の婉曲表現かもしれぬが)。
しかし、いきなりWeb日記学会飲み会でネタにされるってのも、恐ろしい話だな。おてやわらかに。
(数分経過……)
さて、ちはる休日日記を確認してみたのだが、「二重の涼しい目」とか言われて照れてる場合じゃなくて、その前段階としての「どう読んでも一重瞼の顔が浮かぶワープ日記の作者なのに」の部分に対して「その、一重瞼日記、ってのはどーいう日記なんだ?」って部分を是非とも説明してもらいたいなぁ>遠藤さん(^^;
一重まぶた日記と二重まぶた日記のイメージと、どの日記がどちらの日記に含まれるかということは、どうもオフ会では簡単にコンセンサスが得られたようだし、話の流れからいうと「一重まぶた日記の最右翼は新聞次郎日記」ということになるようだから、「新聞次郎日記と同類のワープ日記」ということになるわけだが、一重まぶたの顔が浮かぶ日記って、なんなんだろー?(って、ワープ日記の作者も一重まぶたの顔が浮かぶって、Web日記学会オフでコンセンサスを得たわけじゃないだろうが)。
なんとなく「いやぁ、てっきり変な人かと思ってたんですが、すげー普通の人だったんで、安心しましたよ」の言い替えだったのか、という気がしてきたのだが。わはは。(って、新聞次郎氏に失礼か。わはは)
というわけで、説明してくれなくちゃだわ>遠藤さん。(父方の祖母の使っていた方言で言えば「説明してくれなこて」か「説明せじゃこて」となる)
……って、新聞次郎氏の慇懃無礼!を一ヶ月分もさかのぼって読んでる場合じゃないんだよって>オレ。
けど、開幕戦が福岡ドームでできるかどうかは微妙らしいな。新聞によれば、「セ・リーグは、勝率が同率なら昨シーズンの成績による、と既定にあるが、パ・リーグには規定がない」とか。で、ダイエー67勝67敗1分でオリックスが66勝66敗3分で、同率でもダイエーの方が勝ち数が多いわけで「勝ち数が多い方が勝ちばい」とごねる予定とか。くくく。札束つかうなり、なんなり、福岡ドームに開幕戦もってこなくちゃ、だめでしょう。(ダイエーグループ、今、札束つかえる状態じゃないらしいけど)。
しかし、株価は毎日「バブル後最悪」を更新し続けて下がりっぱなしなのに、円はなんだかぼんぼこ上昇して、117円とかなんとか。先月末は144円ぐらいだったような気がするので、こんなに上がったり下がったりしていいのかのー? って感じ。経済のことはよーわからんから、いいなら、いいのだが。しかし、今輸出ができなくなると、やばいんじゃないかなという気がするのだが。材料は安く買えるから良い面もある、といわれりゃそうかもだが。(しかし、ガソリンがリッター88円とかでいいのか?)
おろ、スバルが中田を使って新しい軽ワゴン「プレオ」を売ろうと企んでいると思ったら、プレオのかわりに、ビビオは生産中止なのか。がーん。がーっといっても、まぁ、ビビオだって、この前レックスつぶして作った車だったんだから、どうでもいいんだけど。
う、なんか、日記ファイルを上書きしてしまって、一部記事が消滅しているような。いかん。昨日か一昨日の夜に追記した、レオパルドンと電人ザボーガーの曲の記事がない(から、オレもリンクがわからなかった。わはは)。家のThinkPadの中にあるかな?
と、いうわけで、981007aの消えていた部分「幸せの赤いレーザーポインタ」と「今年こそオタテクノ」を復活させた。
981008a[ daily life / 日常生活(木) ]
福岡の天気は晴れ!
朝飯は抜き!
自分の生き様について「それでいいのか?」といろんなものが問いかけてくるような気がするので、人生観ぐるぐるであることよの。
♪これっでーいいのっだーッ!(これでーいーのだー)
♪これっでーいいのっだーッ!(これでーいーのだー)
「これでいいのだ」by筋肉少女帯
昼飯はトンカツ定食ッ!
えーんえーんえーん、夕方になっても、書類ができないよー。えーんえーんえーん。
さ、涙を拭いて、がんばろッ!
おぉ、すごい西陽(にしび)だ! もぉ、部屋の中が真っ赤で、ディスプレイが見えないぞぉ! しかたないので、段ボール箱をかぶって作業だ! あぁ、気分はいにしえのゲームセンター!
そう、西陽を遮断すべく、ブラインド(シェイドカーテンの方が、政治的に正しいかな?)を降ろそうと、ヒモを、えい! とばかりに引っ張りますと、ぶっちーんとちんぎれたのでした。がーん。
あついよー、クーラー全開なのに、あついよー。えーんえーん。
さ、涙を拭いて、がんばろッ!
しつこいヤツだとお思いでしょうが、BBSの著作権ネタで、はち日記981004の記事へのフォローを、981003b[ admin of BBS / 掲示板の管理者の権限について ]に追記。「(981008に追記)」以下の部分。
「久美沙織の新人賞の獲り方教えます」を本棚から発掘してちょっと読んでみたら、思いっきり気合いが入った話から始まって、深く恥じ入ってしまったことよの、曰く「ありきたりので書き出しで書いてしまったらそれだけで失格」だと。がーん。
あと、思ったのは「小論文の日本語作法」と「小説の日本語作法」は、やはり違うなということ。どちらも「他人に通じるように」ってのは重要であるけれども、前者は「いかにルールを守って万人に読みやすい文章を書くか」の作法であり、後者は「いかにルールを破って万人に面白く(かつ読みやすい)文章を書くか」の作法だから。小説においては「面白い」の一番重要で、面白ければ、読みにくかろうが、意味が通じなかろうが、関係ないということだわ。
晩飯は、カルビマックLLセット!(もっとまともなご飯を食べなさい>オレ)
981007b[ System Of Nortition for Japanese composition / 日本語の表記法について ]
「句読点に何を使うか?(「、。」「,。」「,.」)」「三点リーダー『…』と中黒『・・・』の混同」「小説文章でのいろいろな作法」などの話が、色々な場所で述べられていて、勉強になった(リストにしようと思ったら、何がなんだかわからなくなった。これが「Web」たるゆえんであるな)。
「句読点について」
まず、句読点については、縦書きの日本文では「、。」を使うことに異論はないようだ。横書きの日本文になると、「,。」「,.」などが多く用いられるようだ。「、。」を使用する方が少ないのかもしれない、とすら思えるが定量的なことはわからない。「,。」は、文部省の規定から来ていて、ある意味ではオーソライズされているようだ。ただ、この文部省の規定の由来も含めて、どうして「,.」のような英語圏の記号を使うようになったのかは、よくわからない。多くの人が「横書きする以上は英語の記号使った方が自然、と思ったからでは?」と、あまり気にしてないようだ。私個人としては、横書きでも「、。」を使いたい。「,」は、並列の事物の列記の際の区切りとして使うと。例「私は、甲,乙,丙が歩いているのを見た。」とか(なんか例が悪いなぁ。)。しかし、まぁ理系の論文などで「,.」で統一してあれば、それはそれでいいかもしれない。「,。」がどうして推奨されてるのか、合点がいかない。
「三点リーダー『…』について」
本来、三点リーダー(三点リード、だっけ?)を使って『…』と表すべきところを、中黒を流用して『・・・』と使っている人の少なからぬ数の人が「三点リーダーという記号を知らなかった」ようである。「知っていれば、使った」ということになるらしい。その存在を知っていてピリオド『...』などで代用していた人らは「ドットがつまって見えて、きれいじゃないから」や「横書き日本文だから、別に三点リーダーを使う必要はなし」などの理由をあげているようだ。個人的には、小説文や印刷する文章なら「……」を使うけれども、横書きのテキストだとしたら「......」とピリオドで代用している方が多い。理由は「……」が、ちょっと点がでかすぎて大仰な気がするから。正しい「……」ですら大仰だと思っている私が、もっと大仰な「・・・」を使わないことは言うまでもない。
しかし、三点リーダーは好きな数並べちゃだめで「1,2,4,6」という具合に1個の次は偶数個でしか使えないとか、言われたような記憶もなきにしもあらずだなぁ。それに三点リーダー『…』の他に、二点リーダー『‥』もあるからなぁ。なんか、三点リーダーを連発した場合は、最後は二点で終わらす、とかいうルールもあったような気がするのだが。ここらあたりが面倒なので、私は使うときには「……」という三点リーダー2個しか使わないのだった。
「小説の日本語作法」
小説の中での日本語作法で、話題になっていたのは、以下のような話題である。
私は個人的に、とりあえず上にあげたものは全部知っていたわけであるが、いったいいつそれを知ったのかは、記憶がさだかではない。新井素子のエッセイか、それとも久美沙織の小説入門書か、だったような記憶があるので、ハッキリと自覚したのは、実は大学生になってからだった。(と、いうか、それまで小説文を書いたことがなかったからね)
小学校だかで習う「原稿用紙の使い方」のルールの中では、会話だろうがなんだろうが、トジカッコの前で文章が終わる場合は、句点『。』をうつのが正しいとされていたと思う。しかも「原稿用紙のひとつのマスの中に。」を書く」と言われていたような気がする。
また、カギカッコが文頭に来ていても、そこが段落の始まりであれば、問答無用に一字さげていたような気がする(あまり自信がない)。
また、改行によって行頭に句読点『、。』やトジカッコ『」』などが来たときは、「前の行末にぶらさげて書くこと」ということになっていた。
で、このようないわゆる「小学生作文のルール」と、小説の文章が異なるルールによって表記されていることは、小説読んでいれば、だいたい気が付くわけであるが、まぁ、正直言えば「なんで小説って、ルールを無視して書くのかな? けど、まぁ、小説は小説で独自のルールがあるんだろうね。学校じゃおそわらなかったけど。ま、小説のテストがあるわけじゃないから、別に困らないし」という気分だったような気がする。
で、小説の表記法に関しての意見は、極端に二分すれば、
正直言うと、私はかなり前者に近くて「小説を読んでれば自然と気付くようなルールに気付かないとすれば、それは、(1)小説を読んでない、(2)観察力が弱い、(3)ルール無用なヤツ、のどれかであろう。そういう人物の書いた『小説』は、おそらくまともでないだろう」という発想をするわけであるが、そういう事を言っていると「三点リーダーと中黒を取り違えてるぐらいで、ぎゃーぎゃー言ってるたー、尻の穴の小さいヤツだ。ストーリーテラーとしての才能があれば、いいんであって、そういう形式主義な見方をしてるってのは、頭が堅すぎじゃねーのかー?」と言われてしまうわけである。「広告紙の裏側に鉛筆で横書きで殴り書きで書いてあっても、面白ければいいんだよ」と断言されてしまうと、確かに丸善だかの原稿用紙に万年筆で書いたのだけが小説だ、ってのは無理なわけだしなぁ。ワープロ原稿を原稿用紙にプリントアウトしたら、嫌がられるわけだし。
そもそも上の「(3)ルール無用なヤツ」に関しては「ルール無用でまともじゃないヤツが書いた小説」こそが、本当に「凄い小説」なのかもしれん、とすら思えるわけだ。(「凄すぎて意味がわからない」のと「意味がわからないから凄い」の区別は厳密にはできないからなぁ)
それに、四角いマス目の原稿用紙を使うのは、活字を組むことを前提にしてあるわけで、実際には「ヒトマスあけておけば、印刷時には1/2マスや1/4マスになる」とかいうようなWYSIWYGでない事態が発生するわけで、「ワープロで印刷した段階で美しいように」とか「ディスプレイで見たときに美しいように」とかいう方向で発達した日本語文章が、印刷用原稿用紙ルールから逸脱するのは、ある意味では当たり前だったのかもな、と思う。
と、いうわけで、結論は出ないのであった。いや、オレ的には「なんか主義主張があるわけじゃなきゃールールは守れば?」という気がするわけだし、「別に、計算しなくちゃ使えない程のルールでもないんだから、ルールおぼえれば?」とか思うし、「わたし・・・そんな・・・」とかいう台詞が出てきたら「をい」とか思って読む気が失せてしまったりしないでもないのだが、「そういうことを言ってると21世紀に生き残れ無いぞ」みたいな言い方をされると、困ってしまうわけである。まぁ、検索置換でどうとでもなるようなことに目くじらたててもねぇ。(それに、ちょっと前まで、縦書きにしたら『…』が回転しないまま、とかいうワープロやソフトが無きしもあらず、だったと思うし。その点『・』は、方向がないからいいよね。)
ルールはルールと言っても、「歴史的由来がよくわからず」「どうしてそうしなくてはいけないか、理論的に説明できず」「それを逸脱すると、どういう大問題が起こるか、よくわからない」ものを「ルールだ!」と、言うのもねぇ。
まぁ、ここ3年ぐらい、小説文書いてないから、正直な話、どうでもいいけど。(あ、うそだったかも。)
(981007に追記)
SF彦日記981007でツッコミがあったので突如思い出したが、おそらく上で「新井素子のエッセイか久美沙織のエッセイで(学んだ小説作法)」という部分は、SFマガジンで今岡清編集長(当時)が連載していた「SF創作講座」の中で、語っていた「文章作法」だかでおぼえた物だったような気がする。(確認してないから、ウソかもだが)。あれは、なんか初心者向けの小説作法解説としては、非常によかったような気がするなぁ。「視点人物の統一」とか「場面を映像として想像して、見える物を順番に文章で書け」とか。なんか、コピーしてファイルしていたような気がするが、どこに行ったのか。って、買ってなかったのかSFM?>オレ。
そういえば、あの連載は、外人作家がいきなりやめたので、今岡編集長(当時)が、暫定的に続けていた連載だったような気がする。ちがったっけな? 近所に著者は同じだったのに最初は翻訳講座、後半は暫定的にWebページ作成講座になってしまった連載とかあったような記憶があるから、ますます気のせいかもしれない。そういえば、PCATを自作する講座とかもあったような気がする。
と、いうわけで、
余談に流れてしまったな。
と、いうわけで某社の某雑誌で某編集者が、小説投稿者に向かって呼びかけている「投稿するならこういう日本語を書けい!」というようなルールと、オレが「これぐらいは守ろうよ」と思っている小説用日本語ルールが、非常に似ていたりするのだろうなぁと思ったりするのだった。なお「某社」以下はフィクションであり実在の出版社とは(以下略)。
(981007に追記、ここまで)
981007a[ daily life / 日常生活(水) ]
福岡、曇天。
いきなり、メインのPC/ATがHDを認識しなくなって、どうしようもなくなる。
再起動しようが、電源再投入しようが、BIOS画面でうんともすんとも言わないので、オレはともかく、すぱゆざ様もお手上げ。
ほんとーに、どーしよーもない状況だったのだが、システム入れたFDをつっこむと、かろうじてBIOSの設定画面まではたどり着けた。
すると、内蔵HDの設定が、知らない間に「30GB」になっていた。わーい、小人さんのプレゼントか!
2GBが知らない間に30GBになるのなら、「♪そーんな不思議なポケットが欲しい」ところだが、ポケットに入れて叩けば、HDはぶっ壊れるだけだろうから、すぱゆざ様が、HDの設定を「AUTO」にして再起動。
自動検知の結果は「このHDは、0MBでーす!」とのこと。殴るぞ。
何度か再起動を繰り返しているうちに、ふと「そういえば、2GBだったかもしれん」とマシンが思い出したらしくて、内蔵HDのシステムで起動。
データを退避させるので、これまた時間がかかってしまったんだよ。まる。
「しかしさ、ScanDiskが動かない程に意味不明のドライバ積みっぱなしにしたり、設定間違いでつながらないネットワークソフトを入れっぱなしにしたりするな!」と怒られてしまったのだった。
うーむ、メンテナンスぢうやう。
さぁ! このワープ日記の記事を読んでしまったよい子のみんなは、いますぐ大事なデータをバックアップだ!
「じゃぁ、今日の作業が終わってからするかー」と思うと、今日の16時48分とか、18時23分とかに、システムがふっとぶぞ! マーフィーの法則がよい子のみんなを狙ってるんだぁああ!(ちょっと被害妄想)
復活したMacのMLサーバを稼動させたが、設定が一部ふっとんだのか、うまく動かない。ううう、設定法を忘れてしまったなり。困った。
マニュアル本の通りにやると「あぁ、これあったよな。はて、どうして対処したんだっけ?」という記憶のあるエラーが出るのだが、その対処法はコロっと忘れているオレなのだった。
「新しいメディア空間は公共空間か?」の話。
以下のリンクを上からたどって、一番下に到着。 (と、一応列記したが、実際には、はち日記から「『新しいメディア空間』は……」に、一気に飛んだ。最初は「はち日記から、ふるふる日記から、......」と書いたのだが、何がなんだかわからなくなったので、リスト表示してみたので悪しからず。(確認すると「ちはる日記」「現代文明学研究」は直接は無関係か?)さて、
「公共空間の要件」かー。ちゃんと、文系の偉い人が研究してるじゃないか。ふむふむ。勉強になるなぁ。
以前の研究を紹介する部分に出てくる、
「この点に踏み込んで論じているのが森岡である。まず、彼は、データや用件や知識などの情報をAからBへと(あるいは双方向に)正確に受け渡すことを目的とするようなメディアの使い方のことを「情報通信」と呼び、メディアの中で誰かと会話することそれ自体を目的とするようなメディアの使い方のことを「意識通信」と分けて考える[森岡,1993:9]。」という文章に出てくる「情報通信」と「意識通信」の区別なんてのは、ナヒさんが「き帳『シンボル「日記」のリファレント』」の中で指摘していた(というか「言いたげだった」って感じかな?)ものに対応するなぁ(き帳の5段目と6段目ね)。まぁ、この論文はWeb日記やWebに限った話じゃないんだろうけども。
で、
あ! 読んでる時間がない。感想は後日。
(981007,20:30追記)
とりあえず、一読したので、最初に気付いた部分について述べる。(なお、この論文に関して、批評を加えたり異議を唱えたりするレベルではなくて、書いてあることを読んで「あるある、あるよねー」とか「ぐおおおお、言われてしまった」とか感想を述べるだけなので、期待しない方が吉。)
フレーム合戦の分析と、チャットでの慰め合い(癒やし)のあたり( 8:定性的分析(1)多発するフレーミングとその傾向 )は、なんというか、他人のやってることとはいえ、読んでいるだけで、身体がかゆくなるぐらい恥ずかしいものである。(ここで恥ずかしいと言っているのは、評論文の分析行為ではなくて、題材になっているフレーム合戦の内容のことである)。
この「全身がかゆくなる」というのは「あああ、おまえら、もぉ、すこしは考えろよ、バカ」というのもさることながら「あああ、オレがやってることって、これだよね。これ。あああ、オレって恥ずかしい」というのが大きいことだ。
結論として「フレーミングの一方が、掲示板から去らなくてはフレーミングは収まらない(約3分の1の関係の破綻)」ということなのであるからして、掲示板というのは、焼け野原になるのも無理がない世界なのだのー、という気がするのだった。
で、裏側のチャットでは、常連どうしの「癒やしあい」が行われているというのであるからして、表の焼け野原具合を対比して「おいおい」という気もするし、まぁ「これが人の暖かさよのぉ」という気がせんでもない。けど、するなとは言わないし存分にしてもらってかまわないが、見えるところでしないで欲しいな、というのは思う。で「暴露する方も暴露する方だよな」と思ってしまったり。(しかし、つくづく、意地悪な研究であることよの)
「 (3)仲良しこよし症候群 」の段のあたりは、オレは大笑いというか恐ろしすぎて、正気では読めないわははははははは。
まるごと引用すると、正当な引用じゃなくなりそうだが、恐ろしすぎてリライトできないので、引用すると、
早川は、パソコン通信に起こってくる「症候群」を以下の2種類に分けている。[成田,1997:179,江下,1994:141,早川,1993]
- ノメリ込み症候群…パソコン通信の経験が比較的浅い者がかかりやすい症候群
- 単純反射コメント症(頭に浮かんだ言葉を何の考えもなく書き連ねてしまう)
- 身辺雑事報告症(みたこと聞いたことを、愚痴、出来事なんでもみさかいなく書き続ける)
- 発表衝動依存症(掛け合いの楽しさを知らずに、長文のメッセージを書き込んで、孤立していることに気づかない)
- パソコン通信小児病…パソコン通信の経験が比較的長い者がかかりやすい症候群
- 平然罵倒症(ふつうの社会では許されないような悪口雑言を使って平然としている)
- 仲良しこよし症(明るく楽しいメッセージを交わすことに熱中して、仲間意識を確認することで満足してしまう)
- ケチつけ症(独善的に自己を絶対化して、重箱の隅をつつくように注意したり注文を付けてまわる)
うぉおおお、死にそうだ。床の上を転がり回りそうだのぉ。「ノメリ込み症候群」として、「身辺雑事報告症」「発表衝動依存症」の合併症を発症しておるようだ、オレは。おおおお。けど、まぁ、「身近なことをなんでもかんでも」「猛烈たくさん」書くのを自覚しているから、他人掲示板とかじゃなくて、自分領域に書き連ねてるわけで、まぁ、自覚してるから、ちょっとましかな。(自覚してやってりゃ、もっと変かもしれないが)。「パソコン通信小児病」としては、「ケチつけ症」が、けっこう重度かのぉ。まぁ、意識して「平然罵倒症」の発作は起こさないようにしてるから、「お前バカなんじゃ?」とか「それでよく文章とか書いてるな?」とか、使わないようにしてる(つもりな)んだけども、「ケチつけ症」があるから、まわりくどくイヤミを書いてる可能性があるなぁ。(って、読む人が読めば「まわりくどいイヤミ以外の何なのだ、お前の文は?」と読めるだろうが)。
(個人的には「ずばっと決まる皮肉を考え出す能力、ってのは、知能の高さではなくて、底意地の悪さの証明である」と中学2年の時に気付いたので(気付くのが遅い!>オレ)、思いついても言わないことにしているのだが>皮肉)
ふー、露骨に思い当たらないのは「仲良しこよし症」だが、これまた「仲良しこよしがやりたいがゆえに、絶対にやらない」みたいな、なんか屈折した物があるのかもしれないなぁ。うーむ。
いろいろまとめがされてるけど、ざーっと一読して頭に残ったのは「新しいメディア(掲示板とか)は原理的には公共空間になりえるが、使うヤツが問題だからさー」ということなようだ。
はー、ぐったり、って感じですな。
(981007,20:30追記、ここまで)「岩谷 宏のD.I.Y.生活宣言(15)今どきiMacをもてはやす大馬鹿たち」なんだけれども、言ってることは、それなりに立派かもしれないが、「CUIなマシンで自分に必要なソフトをしこしこ自作しながらコンピュータアーキテクチャへの理解を徐々に深めつつ成長するユーザー群」ってビジョンに対して「そんな人間が、そこかしこにいるのか、本当に?」と思ってしまうオレが単に怠惰なんだろうか?
「パソコンを疑う」を読んだときも「立派すぎる話で、実現不可能なんじゃ?」と思ったわけなんだけれども。
けどまぁ、「iMacは、ディスカウントパソコンみたいだ」、ってのはいわれてみれば、その通りかもしれない。かといって、スパルタクスみたいな「本革製パームレストにBOSEのスピーカー」とかいうパソコンも、なんかなーと思うのだが。
とはいえ、まぁ「自分の使ってる道具ぐらい、自分で修理できるぐらいに理解しておけ」的な発想は、やっぱりかっこいい。男らしい。凛々しい。禅寺の坊主みたい、というか、ヒゲが似合うアウトドアオヤジみたいだ。
特に、常用してるマシンのHDが認識されなくなったぐらいでお手上げになってしまった今日のような日には身に染みる話だ。
幸せの赤いレーザーポインター。
いや、さっき帰宅しようと国道三号線横の歩道の、とある工場の金網際を自転車でぶっとばしていたら、なんだか、前輪のちょっと前あたりの金網(とその向こうの植え込み)に、赤いレーザーポインターらしき光点が、つーっとついてきた。
「おや?」と思って急ブレーキをかけて止まったら、金網の何処にもそんな赤い輝点はない。
何か、たまたま、赤い光源があって、左手の腕時計のガラス面がそれを壁に反射したとか? と思ってみたが、どうもそれは考えられない。
と、歩道の前方を一瞬、赤い点が横切った、ような気がした。
う、ううむ?
そういえば、何日か前も、こういうことがあったような気がしたのを思い出した。錯覚だと思ったのだが。
工場の金網の中の赤外線警報機かなんかが、振動だかで警戒モードに入ったという警告のLED表示か何かかな、という気はする。
あるいは、歩道橋の下部分だかにとりつけられてる警察のレーザー式速度計(そんなのがあるのかどうか知らないが)だかの測定用レーザーが、たまたま歩道まで流れてきた。
一番考えたくないのは「誰かがどっかから、レーザーポインターで歩道を通行している人を照準している」ってネタだな。
まぁ、国際テロリストとか警察のSWAT隊だとかがうろうろしているってのは考えられないけども、「趣味のサバイバルゲーム用の改造エアガンに、米軍放出のレーザーポインターつけて、まぁ、撃つつもりはなく、ビルの屋上から通行人に照準しているガンマニア」とか「本気じゃないけど、通販で買ったクロスボウにジュラルミンの矢をつがえて、レーザーポインターで通行人に照準している弓矢マニア」とか、いろいろ「危険マニア」とかの姿を想像してしまうオレって、被害妄想くん?
ついでに近所の予備校生寮の屋上あたりに「そういう人影」を探してしまったオレって偏見持ちなのだろうか。「まぁ、そういう狙撃系のストレス発散しがちな困った人ってのがいそうなのは、やっぱ予備校寮だよなぁ」とか。
あるいは、歩道橋の上から、ポインタでナンパしてくる謎のにーちゃんが、いた、とかね。
いろいろ、妄想は逞しくなるが、謎は謎のままだ。
須藤玲司曰く「今年こそオタテクノ!」だそうな。
よく聞いてみると「今年こそはオタテクノがはやるぜ!」じゃなくて「オタテクノがはやってくれたら、オレうれしいのになぁ......」らしいので、ちょっとボルテージが下がるわけであるが、オタク・テクノの範疇を逸脱したすごい曲だ! という,レオパルドンという人の「Denjin-Zaborger,Go!」という曲が、N.N.R.のアーカイブページにサンプルとしておいてあるみたいなので、RealAudio再生できる人は「電人ザボーガー、Go!」てな具合で聴け!
ep1a1: LEOPALDON / Denjin-Zaborger, Go! (6'47")
出だしは「ありがちな音質悪いマッドテープ」みたいなもんだが、なんか中盤以降の「でんぢんでんぢん」のリズムが気持ちええのぉ。
なんかしらんが、サンプリング、テクノって楽しいねぇと思ってしまったのだった。まる。
981006d[ NOVEL"MIROKU SENSOU" / 小説『弥勒戦争』読了 ]
小説「弥勒戦争」山田正紀、読了。
(「弥勒戦争」入手に関しては、ワープ日記981005a[ daily life / 日常生活(月) ] を参照)
最後まで読んで、やっと「弥勒の正体」「独覚の正体」「オチ」を思い出した。(って、「最後まで読んだ」なら「思い出した」もクソもないような)
しかし「弥勒の正体」は、まぁ、いいとしても「どうして主人公、結城が弥勒に肉薄できたのか」って謎解きが、ちょっと唐突かな。あのネタを展開するには、話が短すぎる気がする。あと、今回の「弥勒」が、どう特殊なのか、ってのも、いまひとつピンとこなかったかもしれない。まぁ、主人公が最後、全ての謎をぶちまけてくれるので、謎解き的には、不満はないのだが。
この「作中で、説明が終わってしまって。キッチリ閉じている感じ」が、「『神狩り』の方が話が発散してすごい」ということになる原因なのかもしれないな、と思う。
しかしまぁ「百億千億」「光の王」「弥勒戦争」と読んで、オレの中の「釈迦のイメージ」や「弥勒のイメージ」は、ずいぶんかわってしまったな。あと「日出処の天子」で、仏のイメージもかわったかもなぁ。あー、あと「デクストロII接触」とかあったなぁ。まぁ、あれは、あまりオレの仏像観を変えなかったが。
「百億千億」……「百億の昼と千億の夜」光瀬龍、ハヤカワ文庫、角川文庫。
「光の王」ロジャー・ゼラズニィ、ハヤカワ文庫。
「日出処の天子」山岸涼子(コミックス)
「デクストロII接触」ってのは、仏像型宇宙人カイバーの調査に赴いた科学者達が、宇宙人的なサトリの境地にまきこまれて、酷い目にあって、命からがら逃げ出して、最後に仏像型宇宙人を京都の三十三間堂に展示して、めでたしめでたし、という、なんかトンデモ系のSF(ウソつくんじゃないよ!>オレ)
981006c[ Ukulele Diary / ウクレレ日記(火) ]
GTがPHSリーチャブルになったので、呼び出してガスト飯。
GTが「仕事場用にもう一台ウクレレを買った!」と、ギアペグ付きのヤマハのウクレレを持ってきた。うむ、ギアペグだから、ヘッドが重い。だが、チューニングはあうのでよさげだ。だが、GT曰く「買ったばっかりだから、弦がのびるんで、チューニング狂いまくりぃー」とのこと。さらに、定価14000円のせいか、ボディが合板っぽくて、ほんの少し安っぽいかもしれない。しかし、ペグの紅色の透明のプラスチックが、ほんのり「いいかんじ」だ。あれが白かったら、かなり幻滅度が高かったろう。
しかし、ヘッドに輝く「三音叉」のヤマハマークのせいなのか、何のせいなのか不明だが、なんかこのウクレレ猛烈に「学校の音楽室に、リコーダーやカスタネットや鍵盤ハーモニカと一緒に収納されてる感じ」がプンプンする。どうしてだろうなぁ? どこが「学校備品」信号を発しているんだろ?
で、GTが「トモロウの仕事場用アップルマークウクレレ、定価1300円に比べれば10倍高価だぞ。どうだ、仕事場ウクレレではオレの勝ちだ!」と言うので「おいおい、オレは仕事場に、フェイマスの定価2万のFU200を常備してるんだけど、ワープ読んでるのに知らないのか?」とツッコム。「し、しらなかったぁ!!!」とのこと。う、うぅむ。情報とは、思ったほど行き渡ってないものだな。(980610b[ daily life / 日常生活(水) ] / Famousウクレレ買う /、参照)
しかし、オレとGT、ドングリの背比べ的なウクレレ値段やら、台数やらを競う前に、練習せれ! という気がするのだが。「まるまるブラザーズ初路上ライブ」は、遠いのぉ。ほえほえ。ぽろりん。
ちなみに練習中のオオタサンスタイル「ミシェル」の前半を弾いて見せたが「へー、すごいなー、で、誰の曲?」と言われてしまう。うぐ、ミシェルはマイナーなのかー? ビートルズ曲の中では?
それにしても、GTは、Webのウクレレ系掲示板などをよくチェックしていることだ。うーむ、オレは勉強が足りぬのぉ。まけぬぞ。ごごご。ぽろりん。
981006b[ SAKURA's .htaccess / サクラの.htaccess ]
サクラインターネットの管理人から「正しい.htaccessの書式」を伝授してもらい、めでたく、パスワードプロテクトが可能になった。ほくほく。
「管理人、実は設定しらないんじゃ?」とか疑って、すまんかったっすー。
オレのアンチョコが古かったのと、サーバ側設定に特有な部分があって、
つーわけで、.htaccessは、
AuthType Basicで、.htpasswdは、htpasswdコマンドが使えるものとして、
AuthName "Members Only"
AuthUserFile /home/tomorrow/www/hoge/.htpasswd
AuthGroupFIle /dev/null
<LIMIT GET>
require user hogeuser
</LIMIT>
htpasswd -c /home/tomorrow/www/hoge/.htpasswd hogeuserで、作成する、と。ユーザー追加するには「-c」のファイル新規作成オプションを省略して
htpasswd /home/tomorrow/www/hoge/.htpasswd hogeuser2と、すれば吉ということらしい。
あ、上の.htaccessだと、「hogeuser」しか使えないのか。パスワードファイルにあるユーザー全員を有効にするには、以下のごとくすると吉。
AuthType Basic
AuthName "Members Only"
AuthUserFile /home/tomorrow/www/hoge/.htpasswd
AuthGroupFIle /dev/null
<LIMIT GET>
require valid-user
</LIMIT>
と、くだくだ書いておくのは、あとでオレが忘れたときのため対策のメモなのだった。わはははは。(セキュリティ的に問題あるのかな?)
981006a[ daily life / 日常生活(火) ]
本日は、実に「たらいまわしの日」というか、まぁオレを主語にすれば「たらいまわされの日」だった。
詳細は特に秘すので、詳しく書けないのであるが、なんというか、午前中の8時半から稼動していたにもかかわらず、ぐるぐるぐるぐる、というか、ちょっと移動しては30分またされ、また移動しては1時間またされ。
しかも、それが、いわゆる「未来世紀ブラジル」的な「この書類は情報剥奪局だ」「この書類は情報管理局だ」というようなたらい回しじゃなくて、なんというかもっと「善意に包まれた」というか「よかれと思って」という感じなので、よけい誰も憾めなくて、つらいのだった。
「あらー、これ、うちだと凄く時間がかかるのよー。午後4時すぎじゃないとだせないのよー。これね、あっちにいけば、電子化されてるから、すぐ、ほんとーにすぐ出てくるわよ。あのね、地図かいてあげるから、いってごらんなさい」と言われ、行った先で「あらー、電子モガモガは、担当者が月水金しか来ないのよ。あらあら、せっかく来てもらったのにねぇ。あ、これね、本庁まで行けば、毎日ちゃんと5時まで取り扱ってるから、本庁まで行ってみたら?」と言われ、午前の締め切りまぎわに本庁モケモケ課の受付に滑り込んでみれば「すみませんー、もぉ、今日は利用者が多すぎて午前の部は締め切ったんですよー。午後2時からあらためて受付してもらっていいですかー?」と言われる。
あぁ、おれって、いま、思いっきり、たらいまわされてるなぁ......
で、いったん仕事場に戻って13時からミーティングをこなして、再度、出陣。
14時、受付開始組トップで申請書類を出したので、さーて、オレの求める物体Xは、いまかいまか、いまか、…………
「機械故障のため、2時間ほど、業務が止まります」
ぶ、ぶ、ぶしゅううううううううう!(こめかみから、血しぶき)
と、いうわけで、激昂してもしょーがない、とあきらめがついたので、外に出て、ミスドあたりでコーヒーを飲みつつ「日本語(上)(下)」金田一春彦、なんぞを読むのだった。
日本語って、面白いなぁ。なんか、いわゆる小学校で習った現代日本語文法ってのは、非常に簡略化したもので、実際の学者がもがもがやっている日本語ってのは、いろいろぐじゅぐじゅしてて面白いものね。
だから、「れる・られる」の話とか、敬語のルールとかを、いわゆる小学校文法だけで解釈しようとするのは、非常に軽薄な行為であったのだなぁ、と思ったことだよ。と、いっても「小学校文法的にこれが正しい!」ってのが正しくなくなることはないわけで「小学校文法的には間違っている、と思っていたが、よく解釈すれば、あながち間違いとも言えない」とか「方言文法を許可にすると、いっきに許可になる」とか、そういうのがあるわけよね。
あと、まぁ「自然な日本語」ってふうに読める文章は、どうしても、主語の省略やらがあって、いわゆる「論説文」としては、物足らない文章になりがちなんだなぁ、とか。あと、最近オレが書いている文章も、論説文としては、かなり省略やらかかりが変な部分があって、あまり褒められたものじゃないな、と。
と、いうわけで、途中、ちょっとした手続きと、果てしない待合室時間(と読書時間)の末、求める物体Xは手に入った。
「五時すぎてますので、正面限界は閉鎖しました。申し訳ありませんが、通用門から出ていただけますか?」と言われると「あら、まぁ、定時を超えて作業してもらって、本当にすみません」という気持ちになるのだが「午後2時に受付した作業が完了するのが定時を突破するってのは、なんか効率的に問題があるんじゃ?」とか思ってしまうオレなのだった。
ま、そういうわけで「9時から5時まで、オレはたらい回された一日だったぜ」ということだった。まる。
本屋で復刊した「Oh! X」を目撃。ロゴの「復刊」のスタンプが、鮮やかというか、なんというか。
ただ、まぁ、オレはX1もX68000も関係ない人間なので、特に感慨深いわけでもないのだが、MZ700ユーザーだった過去があるので、Oh! Xになる前の「Oh! MZ」には、ちょっとだけ思い入れがある。
キャラクターだけで表現された700用「XEVIOUS」や「スペースハリアー」、いやぁ、すごいすごい。すごすぎて、ちょっとだけど。
しかも、リストが何頁も果てしなく続いていただけなので、根性ないオレは打ち込めなかったし。CD-ROMやネットから、ダウンロードできるのって、いい時代なのね。
MacLifeの広告で「下がるのは定価です!」とかいうのが。MacLifeが980円になるらしい。「下がるのは、品質でもページ数でもない!」と宣言しているのをみてしまうと「じゃ、どこにしわ寄せが?」とか考えてしまうのはオレだけだろうか。「下がるのは、編集者の給料と年休日数、そしてライターの原稿料です!」とか。それは、ちょっと恐ろしい話だ。「増えるのは広告ページ数です!」ということなんだろうけどね。あ、まさか、実質記事ページ数が減って、その分が広告ページになったら、ちょっといやかも。
サクラの.htaccessの書式がわかった話は別項。
GTがPHSリーチャブルになったので、呼び出してガスト飯。そして、ウクレレ談義、ってのは別項。
「弥勒戦争」読了。感想は別項。
981005b[ "Voice from Heaven including Errors" / 天声入誤 ] ver.2.2
朝日新聞の天声人語10月4日版について。
(981007追記:10月4日版「天声人語」は、しばらくの間は、アサヒコム上で読むことができますので、この記事を読む前に、是非、お読みください。直接のリンクは朝日新聞社が推奨してないので今回は自粛しております。アサヒコムTOPページより探してください。アサヒコムTOPページから探して読むことを朝日新聞社は「正しい利用法」として、推奨しているわけですが、私は不便だと思います。ちなみに「アサヒコムメニュー」からだと、すぐ探せます)
「携帯電話を持っているのに普通の電話や公衆電話で長話する人(若者)がいる」という話から「(最近の若者は?)無駄遣いや、他人への心配りに無頓着になるばかり」というオチに持っていく話である。
SF彦日記の981004にあるいくつかのツッコミは、確かに感じる。曰く「夜中に何時間も長電話する男がいたら、まずネット接続してると思わないのか?」とか「醤油を少なめにさす、ってのは節約じゃなくて健康への配慮では?」とか。個人的には「醤油を少なめにさす」ってのは、味への配慮もありそうな気がするが、こういう細かい部分へのツッコミを考慮にいれても、まぁ、天声人語の話の大筋というか、部品部品の主張は、なるほどわからなくもない話ばかりだ。(年寄りの繰り言、というか「最近の若い者は」という文章だとすれば、ね)。
ただ、どうも「最近の若者は贅沢だ」というのと「最近の若者は他人への思いやりが足らない」ていうのと「携帯電話というのは悪いものだ」というのが、ないまぜになって話が展開するので、どうもピンと来ない文章だと思う。
さらに「長電話は悪いことだ」というのが「自明の前提」として使われていて、かつ、それが「無駄遣いは悪いことだ」というもう少し大きな話に組み込まれているせいで、話がややこしくなっている。「長電話が悪いこととは思えない」という反論をしようにも「無駄遣いはいいことだ」と同値になってしまうからだ。
「電話は要件のみで切る」ってのは、昔、電話回線が細かった時代に、回線のパンクを防止するために広められた「モラル」だそうで(資料ないからウソかもだけど)、今のようにNTTが率先して「電話しろー回線かえー、けけけー」というような商売をしている時代に、果たして単純に成立する概念なんだろうか、と思う。
さらに、ひょっとすると「電話で話すぐらいなら、直接会って話せ。それが人として正しい姿だ」というのも、暗黙の前提としてあるのかもしれない。まぁ、これの有無は、文章からはきちんとは判断できないのであるが。
と、いうわけで、「長電話がなぜ悪いのか」をいくつか考えてみたのだが、次の三つに集約できると思う。
で、おそらく公衆電話の話もふくめて、この天声人語の著者が一番問題にしているのは、「2.通話チャンスの妨害」の問題だと思う。にもかかわらず、この話を「1.無駄遣い」の話とごっちゃにしたまま述べているのが、話がすっきりしない理由だと思う。
さらに、ひょっとすると話の裏側に「3.電話は非人道的」という暗黙の前提が提示されているのかもしれない。「長電話は電話代がもったいない。だから悪だ。携帯は金がかかるからオヤジに金を払わせる気が、ゆるせん」という金の話だけに集約してしまうと、どうも「守銭奴?」という気がするのだが。「そんなに話すことがあるなら、出かけて行って、面と向かって喋れ!」というのがあるからこそ「ともかく話が長い。延々1時間、2時間にも及ぶ。」というような描写が出てくるのではないか。そうだとすると、そういう前提がが明確でないために、指摘して「これはおかしい」と言えないために、話が少しおかしく読めるのかもしれない。(しかし、これはちょっと深読みしすぎな気がするな)
あるいは、単純に、「大学生の息子二人」と「延々1時間、2時間」から「男のくせに、長々と喋るな。男は黙っているのが一番だ」という話なのかもしれない。「男は黙っているのが一番だ」というのは、実は事実だろうなとは思うのだが、喋りまくる男であるオレとしては、素直に「はい、そうですね」とは認めたくない前提だな。
さらに言えば、1、2時間も親の電話で長話していたのが「娘たち」だったとしたら、なんだかずいぶん話の方向が違って読めただろうな、とも思う。「自分らの金で回線をひけ」だの「電話じゃなくて出かけていって話」よりはむしろ「ワシの回線つかっていいから、夜遊びをやめて、ウチにいなさい」とオヤジは言いそうだからな。(って、これはオレの偏見か?)
話がちょっと脇道にそれたので、戻るのだが、
携帯電話などでは特に「どこにいても着信する」という「電話を受ける権利・機会」のようなものが最重要なのであるが、その点に関しては、この著者はあまり気にしてないようだ。話が公衆電話に展開するので、着信に関しては省略したのかもしれないが。
と、いうわけで、この天声人語の話で、オレ的に納得できる部分だけ使って、エッセイ風の文章を書くと、以下のようになる。本当は偽天声人語にするつもりだったんだけど、6段にまとめるのも下黒三角使うのも面倒だし、うまくいかなかったので、なんか、激怒調になってしまったのだった。エッセイって難しいね。
「公衆電話を独占するな!」
電話というものは「かけたい人がすぐかけられること」というのが、第一の機能だと思う。だが、最近は長電話のように「喋ることそれ自体」に重点をおいて、他人のかける権利を疎外して平気な人が多くて、私は憤っている。長電話が資源の無駄なのか、人としての普通の行いなのかは、世代によって感覚が違うだろうが、私はやはり無駄づかいの一種だと思う。そして、その無駄づかいで、私の「電話かける権利」が侵害されるのは迷惑だと思う。特に、公衆電話で長電話しているのを見ると不愉快だ。要件だけで手短にすますのが公衆電話を使う者のモラルというものだろう。最近は、携帯電話を持っていながら公衆電話を使う人を見かける。何のための携帯電話なのか悩む。公衆電話の通話料の安さがやはり魅力なのだろうか? 携帯電話を持って、自分のかける権利を確保した人は、積極的にそれを使って、公衆電話は携帯などを持たないような人に開放するようにするのが、モラルというものではないか? 多少通話料が高くても、それが贅沢品である携帯電話を持った者の義務だと私は思う。そして、自分の携帯電話でいくらでも長話すればよいのだ。私に迷惑をかけなければ、私も無用に不愉快な思いをしなくてすむ。
こう書いてあったら「なるほど、一つの意見だな」と納得できる。(オレの文章がヘタクソなのは別としてだ)。
公衆電話で、後ろに列ができている状態で、何件も何件も電話をかけて独占するのは、問題ある行為だろう。オレも、そう思う。ま、あくまでも日本的な考え方だろうけど。(外国だったら「並んで、自分の順番が来たんだから、自分の用事がすむまでは独占する権利がある」と発想するかもしれないから。外国なら(外国ってどこ?)、レストランの入口に行列ができていても、そそくさと食事を終わらせて次の人にテーブルを明け渡そうとは思わないらしいから)
「電話ボックスの中で、自分の携帯で喋っていて、公衆電話が空いている」という状態も、まずかろうとオレも思う。(あくまでも日本式の「なるだけ短時間で電話を終わらせて、列の人らになるだけ早く電話使用権を回すのが美徳だ」という前提にそって考えればね)。
で、超整理法の野口先生だったかが本の中で公衆電話独占問題に関して述べていた、「いくつか並んでいる公衆電話の中の一つを『3分以上通話できない電話』にすべし」とか「ひとつだけ料金を数倍にするかわりに、回転を早くした電話を作るべし」とかいうのは、実に正しいと思う。
だが、なんだか天声人語を読んでも「なんだか、古い考えの人が、なんだかおかしなことを言っている」ように読めてしまうのだった。残念。
(ま、オレが何か先入観をもって読んでいるから、変なこと言ってるように読めるだけで、素直な心で読めば、心にしみる文章なのかもしれない)。
あ、なんか投書欄に「長電話悪いこと?」とかいう(反論の)投書が届いてそうな展開だなぁ。なるほど、そういうことだったのか。
981005a[ daily life / 日常生活(月) ]
本日は、中秋の名月らしいので、空を見れッ!
それにしても、一度でいいから、三方の上に月見団子を(ピラミッド状に)並べて、両側にススキを飾って月見をしてみたいものだ。なんだか、幼稚園の時に「お月見会」とかいうのがあったようななかったような記憶があるのだが、何もおぼえていない。ただ、ススキ野原を歩いているといつも「あぁ、これだけあれば、お月見の時に苦労しなくてすんだのに」という脳内の声が聞こえてくるので、どうも、ススキを探してさまよった過去があるらしい。単純な感想としてなら「あぁ、これだけあれば、お月見の時に苦労しないだろうなぁ」となるだろう。まぁ、仮想記憶なのかもしれないが。
それはそうと、今年は閏月が入っているせいで「旧暦九月十五日」が、十月にずれ込んだのずれ込まないのという話を聞いたのだが、なんだか旧暦ってのは新暦よりいつも一ヶ月ぐらい遅れてくるもののような気がするので、新暦10月15日前後に旧暦9月15日が来るのが順当な気がしてしまって「逆に早いのでは?」とすら思うが、本当のところはどうなんだろうか? (こう書いたことでばれていると思うが、オレは旧暦がどういうルールで決まっているのか、知らない)
まぁ、九月なのか十月なのかはよくわからないけれども、果たして本日が本当に「旧暦の十五日」なんだろうか? と考えてしまった。九月じゃなくても「十五夜お月さん」じゃないと、ちょっと悲しいかな、と。
しかし、よく考えたら旧暦は太陰暦なので、「15日=満月」と決まっているわけで、つまり満月なら旧暦で必ず「15日」なのだった。心配して、損しちゃった。(勝手に心配しとれ>オレ)。
ハルキ文庫で「弥勒戦争」山田正紀を発見。
なんだか、この時期の山田正紀となれば「神狩り」を筆頭にあげることになっているらしくて、弥勒戦争はあんまり話に出てこない気がするんだけれども、「神狩り」を読んで「だから、何?」と思ってしまったオレとしては、「神狩り」と「弥勒戦争」を読み比べると、どう考えても「うおおお、『弥勒戦争』の方が、何倍も面白いぜぇええ!」と思ってしまうのだった。
オレの独覚パワーを見れぇえええッ! びしゅーももももも!
(って、なんか全然別の小説みたいだなぁ、これじゃ)
うーむ、一言二言言いたいこともあるが、一言でも言えば、なんか強烈にネタバレだからなぁ。「####とあわせて読むと、なんか感慨ひとしおだよね」とか言ったら「####」のネタバラシになるからなぁ。いやはや。
と、思って、ぱらぱらとめくってみたりすると、なんか全然おぼえてない。うー、ラストシーン読んでも、おぼえてないかも。うーむー。
と、いうわけで、ウチに帰ってハヤカワ文庫を読み返そうと思ったのだが、なんとなく「いくら探しても部屋の中から発見できない」気配を感じたので、ハルキ文庫版を買ってしまった。
うーん、商売上手なやつめ。って、部屋片付けろよ>オレ。
「SPEEDの新曲、どう思った?」と方々から聞かれるのだが、オレは週末は主電源が落ちていたので、何も見てないし何も聞いてないのだぁあああ! しまった、やられた。ぶしゅー。
「ARMS」皆川亮二の1〜5巻まで読む。
うーむ、面白いは面白いんだけども、やっぱり「『スプリガン』の敵が次々襲ってくるのを『寄生獣』の主人公がばったばったとなぎ倒すアクション物」という風にみえてしまうのが、ちょっとなぁ。
まぁ、「制御できない巨大な力を得た主人公が、その力に飲み込まれそうになるが、己の中の邪悪な心を克服して一つの戦士として成長する」とかいう「王道物語」を突き進んでるようにみえるので、これはこれで、かっこいいかなぁ、と。ただ、暴走するジャバウォックを見て「うしおととら」を連想したりするあたりが、オレの甘さなのかも。
あるいは「『アキラ』のクライマックスで、金田が助けに来ないので、しかたなく、暴走する自分の右腕をひとりでなんとかする鉄雄」の物語なのかもなぁ。
何にせよ、単行本で読んだ限りにおいては、秘密結社が二つも出てきて、どっちも秘密すぎるせいで、どっちが悪でどっちが正義か、はたまたどちらも悪なのか、善悪の基準なんかありえないのか、何もわからないあたりが、どうも宙ぶらりんかなぁ。まぁ、この謎が謎のまま突き進むあたりが、味なのかもしれないが。まだまだ5巻だし。(すでに5巻なのに、かもしれない)。「スプリガン」の時は「正義の味方アーカム財団vs困った軍人さんたち」って図式が徐々に「正義のアーカム財団って、本当に正義?」ってかたちにかわっていって、非常に読んでてわかりやすかったから、ついああいうわかりやすさを求めてしまうのかも。
「ジャバウォッキー」となると、テリー・ギリアムの映画だけど、観たことないや。
サクラインターネットは、htpasswdに関して、なかなか懇切丁寧なメールをくれるのだが、いまだに、うまくパスワード・プロテクトができなくて、悲しい。
こういうことを言うと、失礼なんだろうが、いままでの経緯もあって「うーん、サポートの人、自分でやってうまくいくかどうか試してから、オレにアドバイスしてるのかー? 試さずに、教科書みてオレに指導してないかー?」とか、つい思ってしまうのだった。
ちなみに、リムネットにhtpasswdを問い合わせると「CGI、SSIについては公式サポートはしていない」「自分でインストールしてもらえば、おそらく動くと思う」「ローカルのNetNewsなどにユーザーの集めた情報があるので、それを参考にして欲しい」「なお、設定を間違えるなどすると他のユーザーの迷惑にもなるので、充分気をつけて設定して欲しい」というお返事。
まぁ、ある意味、リムネットらしい清々しい返事では、ある。