諸星未来堂ワープ日記
オリンピックが終わり、三倍速は続く、二月第四週
MOROBOSHI Tomorou's
Warp Diary
1998 February 4th Week
Japanese-Language Contents
980228a[ daily life / 日常生活(土) ]
/ 飲み会
/ my graduation 初登場一位
/ コピーガード
/ 「いとしの未来ちゃん」
/
本日の歩数、10,500歩。
朝からプレゼン。昼には終わる。
いろいろ。
18時から飲み会。いろいろ。人生を語ったり。
ヒッパレ録画予約してこなかった。まさか、18時から12時近くまで飲み会が続くとは思ってなかった。
23:30。飲み会が終わったので、Love
CDTVを観るが、アルコールのせいか、どうも何があってるのか、あんまり認識できなかった。一位がSPEEDの「my graduation」だったのは、わかったが、なんか、この曲の「初登場一位」には、作為を感じるけど、世の中そんなものなのか、関係妄想なのか。
個人的に「wake me up!」は、それなりにいい曲だと思ったが、あまり売れなくて、「white love」は、つまんない曲だと思ったけど、かなり売れまくった。単に、オレの趣味が悪い(世間からずれている)だけなのかもしれない。まーまんまとSPEEDにはまっている輩がどの口で「世間からずれてるかも」とか言ってるのか、というのも感じるが。
オリンピック関連曲が、おちかけてたのが、フワっと一瞬、順位をあげているのと、支えを失って、一気に転落していく姿を観ると、なんか「K点付近の風をつかみました」とか「K点の大きく手前で、落ちてしまった!(どうした原田)」とか、そういうのを連想してしまうのだった。
MAXのビデオを観賞用にダビングしようかと思ったが、どうも、コピーガードがかましてあったらしくて、うまくいかないので断念。
正規にお金だして買ったオレ様の「個人利用」まで規制するとは! とムカついたのはムカついたのであるが、まぁ、コピーガードがなけりゃ、違法ダビング増え放題、ってのはまぁありそうだからなぁ。必要悪ってやつですか。
とはいえ、ひょっとすると、純粋に、再生用デッキがボロくなりはじめた、ってことなんだろうか? 謎。
「すりきれるかもしれないぐらい、観るな」というのもあるが、とりあえず、棚上げしておこう。
やはり、保存を考えると、LDやDVDみたく、非接触な記録メディアの方が安心だなぁ。蒸着アルミ皮膜が酸化して使えなくなる可能性もあるけど、そこまでくると、再生装置側が規格変更で存在しない方を心配した方がよさそうだからなぁ。
深夜に「いとしの未来ちゃん」がある。ノッコは老けたな。アンドロイドのオレンジちゃんの話で、タイトルが「時計仕掛けのオレンジ」と出るまでは、気付きもしなかった。弱まり。
しかし、この手の「ショートショート的SF」は、「世にも奇妙な物語」のおかげで、テレビの世界(と一般世間に)広く浸透したので、SF者としては、うれしいかぎりかもしれない。「こんなんじゃない!」と怒ってる人もいるだろうけど。
あと、トンデモSFな味は、「特命リサーチ200X」に吸収されている気がする。「ムー」とか愛読してて、ちょっとはトンデモ系、オカルト系のネタには詳しいつもりでいると、特捜リサーチの半年ぐらいで、持ってるネタが全部陳腐化するかもしれない、おそろしい時代だ。
とはいえ、「X-files」にしろ「ダークスカイ」にしろ、UFOネタに関しては、退行している気がしないでもない。
ホラーは、エコエコやらで、深夜で勢力を得つつあったわけだけども、現実世界の猟奇事件、暴力事件で、つねに叩かれるから、いまひとつ、表舞台に、ばばーんと出て来られないのかもしれない。うーん「リング」と「らせん」が劇場公開されてるときに、こういうこといいだすと、なんか認識不足だったかもしれないな。充分に表に出てきているのかも。ホラーが深夜なのは、売れないからとかじゃなくて、純粋に「ふさわしい時間帯が深夜だから」かも。
980227b[ "reru" or "rareru" / 「れる」「られる」「れれれのれー」 ]
「れる・られる」と「ら抜き言葉」に関して、色々考える。
オイラは基本的に、「ら抜き言葉」は嫌いで、使って欲しくないのだ。特に、歌詞で出てくると途方にくれる。♪きっと、きっと信じれるー、とか歌われても、「信じり」たくない。
見れます、着れます、食べれます、etc。
おせっかいなATOK10がさっきから《ら抜き表現》って警告を連発するなぁ。むー。この《ら抜き表現》は「うるさい」という人が多くて、オイラも「切れる」を出そうと思ったら「着れる《ら抜き表現》」とか出てきて「そんな日本語に存在しない言葉を勝手に出した上にオレに説教たれるな!」とブチ切れていたのだが、なんのことはない、世間の人々は本当に、「いわゆるら抜き言葉」をATOKに入力して、説教されていたのか。駄文体の「妙な日本語」を入れてるとたまに言われるが、何が引っかかるか忘れた。
とはいっても、けっきょく、この「れる・られる」「ら抜き言葉」の話は「快・不快」の話であるし「慣れの問題」でもある。非難する立脚点は「不快であり、かつ文法的に間違っているから」ということであるから「自分が不快だからといって、他人を制限するのは間違っている」「現実の用法と文法が乖離した場合、修正されるべきは文法だ」というような意見が出てくれば、立脚点が怪しくなってくるのである。
ら抜き言葉の「文法的に正しくない気持ち悪さ」を除いて考えれば、れる・られるの使い分けは無くなるし、ら抜きで可能を表すことになって、「られる」は、尊敬・受け身・自発だけを考えればよくなるので、読み間違いが減るだろから、利点は多い。
この場合、可能動詞という存在が浮いてしまうが、そもそも五段活用の動詞だけ、可能動詞を作れるのが、そもそも妙なんだから、廃止してしまってもいいかも。(「作れる」は「作る」の可能動詞ね。「作る」は五段活用だから、「れる・られる」つければ「作られる」ね)。
話はちょっとかわるが、オレは「全然」の後に否定語を付けない用法も、けっこう嫌いなのである。たとえば「全然すごい」など。しかし、「全然、平気」「全然、大丈夫」というような用法は、特に変だと思わなくなってしまった。昔は「とても」も、後に否定語を付けなくてはいけなかった言葉だったのだけれども、オレは「とても」の後ろに「〜ない」が来なくても「全然平気」だ。このように「言葉はかわるものだ」から、「全然すごい」系の用法も認めてゆかねばならないのだろう。って、この用法は「断然」の使い間違いだと思うのだが。(岩波国語辞典の「全然」の項に「打ち消しを伴わない用法は、現在、文章語として用いない」って書いてあるのは、「昔は使ったが」の意味なのだろうか?)
話を戻せば、この「全然すごい」系の使い方と、「ら抜き言葉」の話は、程度が違うだけで、基本的に同じ話なのであるから、「全然すごい」を認めれるなら、「ら抜き言葉」も認めれるはずである。(「認められる」が文法的に正しいが)。
とか言っていたら「『可能動詞』とかいう言葉を初めて聞いたが、新しい分類か?」と言われてしまって衝撃を受ける。う、うーん、中学の教科書をかって「理論武装」せねばならない時期にきたのか?(をい)
980227a[ daily life / 日常生活(金)]
/ 「合衆」という言葉
/
本日の歩数:10,895歩。
「れる」「られる」の話は別項
ワープ日記980224aの「合衆国」について、ネットの彼方より情報(ありまちょー)。
曰く「幕末、明治初期には、よりあつまる、という意味の『合衆』という言葉が存在したので、合衆=United + 国=States =合衆国、ということではないか?」とのこと。
おぉおお、そりゃーすごい。確認のためには小学館日本国語大辞典(全20巻)を参照せれ、との指示なので、おいそれと確認できないのではありますが。
よもや「国」がStatesだとは。その可能性をサクっと無視してましたね。「United States」国だから「合衆=United States」と信じていましたよ。
やはり、明治の人の方が、漢字が豊かだったのな(と、逃げる)。
本日の歩数:12,000歩。
昼御飯を食べるべく、路上をふらふらと歩いておりますと、近所の某大学から、怒濤のごとく、わらわらわらわらと受験生が湧いて出るではありませんか! 彼らはそのまま、レミングの群のように(陳腐な慣用句)流れていくのでした。
いやーそれにしても、なんですか、さすがに私も大学を受験したのがすでに10年ほど昔になりますもので、「オレが受験したときは」って話がとっさにでなくなってしまうぐらいオヤジなわけです。「オレは最後の共通一次でさ」とか言うと「共通一次って、何?」と言われる始末ですし。
で、自分よりも確実に10才は若かろうと思われるティーンエイジャーの群を眺めておりますと、いやーやはり、若いですなぁ。なんというか、もぉ「わかい」としか、いいようがないといいますか。青いといいますか。(いいようがない、と言っといて、言い換えないように>オレ)。
しかし、学生服姿の男子高校生を眺めておりますと「なんでそんな変な服きてるんだー?」という気がしますなぁ。自分も着てたのに。セーラー服姿の女子高校生を眺めておりますと......あ、脚が太い......(言いたいことは、それだけか)。
「トモロの衝動買いっぷりを見ていると、ノートパソやPDAを買えば、すぐにスタパ斉藤になってしまうな」と言われて、椅子の上でひっくりかえる。しかし「だが、スタパ斉藤がSPEEDとMAXにはまって、トモロになるとは思えない」と言われて、椅子から転げ落ちた。わはははは。
MAXのビデオクリップ集をみておると、ユーロビートな前3曲な時代は、茶髪で偽アムロなメイクのLINAが一番顔が怖いのであるが、Give me a shake以降の曲になると、NANAの顔がどんどんフケてくるのが怖いのだった。
ELTの持田香織とMINAが似ている気がずっとしていたのだが、どうも顔の輪郭が丸いことしか共通点がないらしい。女性顔識別ルーチンに致命的な欠陥があるのか>オレ。
Love is Dreamingのビデオがいちばん、見ててきれいだと思うのだった。
んがしかし、MAXは、ビデオクリップは、カット割が激しいから、ダンスが途中でぶちぶち切れてしまって、落ち着かない。(MAXを視聴して落ち着こうと思う方がどうかしているのかもしれないが)。歌番組で歌って踊ってる方が、ダンスがよく見えるから好きだなぁ。そういう理由で、オレは夜はヒッパレを見続けているのであるが。
それにしても、SPEEDのビデオを見てても、別に「ほー」と見とれたりしないわけで「かわええのぉ」と思っても「イトコの娘さんも、おおきくなったのぉ」とかいう回路を通過してる気がするのであるが、MAXのビデオは、ぼーっと見てると単純に「ええのぉ」という回路で見ている気がするので、これはこれでよろしくない気がする。って、若いオネーサンの歌手さんのビデオを「分析しながら見る」のと「ええのぉ、と思いながら見る」のじゃ、後者の方が「正しい」気がしないでもないな。
とはいえ、頭の中で、ユーロビートのフレーズがぐるぐる鳴られると、うるさくてしゃーないなぁ(幻聴なのか)。
(このビデオには入ってないわけだが)「MAXIMUM II」の中の曲では、5曲目の「Really Love Me」が、いま、一番のお気に入りだ。シングルカットしないかなぁ?(別にシングルになっても買わないけど、プロモビデオが出来て、歌番組に歌いにくるからさ)
しっかし、ここ数年で、本当に「単なるミーハー」「単なるファン」として音楽やら芸能人やらを消費するようになったなぁ。しみぢみ。これを「堕落」と捉えるか「社会復帰」と捉えるか。
買ったまま封も切らずにいたSPEEDの「my graduation」を聴く。
うーん、長調で始まって、サビで一転して怒濤のごとく短調になって、最後に、一転して長調になるのが、不気味だよぉ。怖いよぉ。
♪まい、ぐらぢゅえいしょーん、という歌詞も、いまいちピンと来ないしなぁ。
ジャケットの「Sの十字」のチョーカーは、なんかと思っていたら、歌詞に出てくるのな。(プロモビデオにも出てくるらしいが)。しかし「あの時のチョーカー、胸に光っている」と言われても、チョーカーはどちらかというと「首で光る」ような気がしないでもない。けど、首についてる、って言うと、ドラえもんの猫あつめ鈴みたいだからなぁ。
「スの十字」だと、SMAPみたいだな。
ペンダントの一種のロケット(写真とか入れるやつね)を、どーして「ロケット」と呼ぶんだろう? と疑問に思っていた。「空飛ぶロケットが、どーして、ああいうペンダントになるんだろう?」と。で、さっき突然「ペンダントのロケットの方が先にあって、それに似ているから空飛ぶ物体にロケットとつけたのではないか?」ということに気づく。なるほど、それのほうが、説得力がある。おそらく「火を噴いて飛ぶ」という意味ではなくて「金属で中空で、中に何かが収まる容器」というような意味で、空飛ぶ「ロケット」というのは、空飛ぶからロケットではなく、金属で中に何か入っているからロケットなのだ!
rocket
【名】
1 [C]
a ロケット.
b ロケット兵器 《爆弾・ミサイルなど》.
c ロケット発射による宇宙船.
locket
【名】
[C]ロケット 《小型写真・毛髪・形見の品などを入れて時計鎖や首飾りにつける装飾を施した小さなケース》.『LOCK+ET』
ぐええええええ、LとRが違う単語だったのか!!! ぶしゅううう(血しぶき)。
ペンダントの方のロケットは、「鍵がかかる」ぐらいの意味なのかー。むー、「空飛ぶロケットと首から下げるロケットって、どうして同じロケットなんだろ?」という発想自体が、極めて「日本じーん」だったのね。べ、勉強になったわ。
「論理的に話す方法」をつらつらめくっていると、簡単な例題がのっていたので、挑戦してみたのであるが、三段論法に対偶がからめてあるあたりは、さすがに、ちゃんと読めばだまされないのであるが、お恥ずかしくも「すべての...ではない、時」「...と...のどちからである時」とか、部分否定がからんでくると、途端に頭が混乱してくるのであった。ベン図ぢうやうなのか。
「あーぎゅめんと、ぢうやう」かー。うーん。
はぁ、やっぱ、「論理的にならんと欲するよりむしろ、論理的であることを諦めた方が早いのでは?」という気がしまくりやがる。
と、ある送別会で飲み。モツ鍋つついてビール飲んで、麦焼酎のお湯割りを飲んで喋っていたら、限界を超えてしまって、飲み屋の畳でぐーぐーと1時間ばかり「眠りトモしろう」になってしまったのだった。うーん、不覚。
やっぱ、あれだな、焼酎のお湯割りは、アルコール濃度が12%から15%ぐらいあるから、ビールに比べて、3倍ぐらい濃くて、「お腹いっぱい食べて、一緒に飲んだ」場合、「あ、限界だな」と気づいて止めた時にすでに、胃袋の中のアルコール総量が、限界を超えているのだ。ビールなら「あ、限界かも」と思って止めれば、胃袋の中のアルコール総量は限界よりもずっと下で。
とか、理屈こねてるけど、単に「おめー酒よえーんだよ」というだけの話だ。
へろへろになって仕事場に戻って、キャンプベットに毛布をしいて、その上に寝袋をひろげて潜り込んだところ、大変、心地よかった。
心地よく眠ったのだが、起きあがると、腰と背中がバキバキに痛いので、これは危険な寝床かもしれず。いやー布団がいかに偉大か、身に染みる。
しかるべきアルコール=>アルデヒド分解時間を費やした後、再起動して、家に帰る。本格的に寝ようと思って、ふと本棚をみると「退却神経症」の本が目に留まる。以前、買ったのだが、いまひとつピンとこずにほったらかしていた本なのだが、つらつらめくってみると、思いっきり今の自分にあてはまりすぎて、恐ろしくなる。
うーん、オレは「退却神経症」だったのか!?
うーん、確かに大学時代に留年したりしてるから、スチューデント・アパシー(学生無気力症)の傾向とかあるからなぁ。ふむふむ。うーむ、これはいかんなぁ。
って、仮面うつ病の本みたら、そんな気がするオレは、いわゆる「医学書をめくると、めくるページごとに『お、オレのことが書いてある!』と思ってしまう奴」な、だけなんだろうか? うーむ。
信じやすいというか、だまされやすいというか。む? なになに、乙女座のA型は...(やめなさい>オレ)。
980225c[ "Japanese Only" / 『じゃぱにーず・おんりー』 ]
英語を母国語とする人は"Japanese"という単語を見たときに、とっさに何を想像するのだろうか? オイラは"Japanese"とだけ見ると、とっさに「日本人」という連想が働くのだ。それで、先ほど、某ページに次のような警告文? がかかげてあったのを見たときに、
Depending on Browser, Japanese isn't sometimes displayed right
「ブラウザによっては、日本人は正気には見えないことがあります」と、とっさに読めてしまったのだった。いや、もちろん、これは「ブラウザによっては日本語が正しく表示されないことがあります」なのであるけれども、「Japanese...is not ...right」って書かれると「ギク!」っとしてしまったのだった。ってのは被害妄想なのかもしれないけども。
IRCのチャンネルに外国人がやってきた時その他、「これは日本語(フォント)使っているので、正しく見えないかも」とか「日本語しか使えません」とか言うときには、オイラは"Japanese Language"や"Japanese font"や"Japanese character"を使うようにして、決して"Japanese"だけ単独で使わないようにしている。ちなみに「日本人」は"Japanese people"のように表記している。これらは慣用的ではないのかもしれない。「日本語」のつもりの"Japanese"が「日本人」と誤読される可能性は、警戒するほど多くないのではないかもしれない。しかし、慣用的でなくても、やはり、誤読の可能性が減らせるなら、このような書き方をする方がいいのではないか、と思う。
と、いうのも、Web pageの先頭で「日本語しかありません」という意味で「Japanese Only」という英文がかかげてあるのをよく見るけれども、これはひょっとすると「日本人専用(外国人は読むな)」という意味に読まれるのではないか、と。まぁ「日本語しかない」ことがすでに問題だ、という主張もあるかもしれないけれども「この文字化けしているのは、日本語テキストなのです」「このページには日本語テキストしかないので、日本語を理解でいない方には有用ではないかもしれません」と表明することと「日本人専用だ」と主張することは、やはりレベルが違うのではないか、と。
もちろん「Japanese Only」と書いている人の多くは、「日本人専用」と言っているつもりは全然ないのだろうけれども、外国人の間に密かに「日本人は『日本人専用ページ』ばかり作る閉鎖的な国民だ」と誤解されていたら、非常にいやかな、と。
最近のワープ日記には、上の方に「Japanese-Language Contents」と書いてあるのだけれども「Japanese Only」とは書かないのだった。「Only Japanese-Language Contents」と書かなかった理由は、たまたまこれを書いた日のワープ日記のネタが英語日記ネタだったからなのだった。(そして、できれば、日本語のみでない日記にしたかったから、なのだ)。
余談であるが、イタネト雑誌の誰かのコラムで「Sorry, Only Japanese.」という文字列に対して「日本人が日本語のページを作っているのに、Sorryと謝るのは間違っている」と憤っているコラムを読んで、確かにその通りだと思ったので、日本語しか無いことに対して、むやみに謝らないことにしている。
(980303追記:"Japanese isn't"は、単数形であるので「日本人」とは読みづらく「日本語」と読む方が自然、との事。ワープ日記980303bに、追加記事あり)
980225b[ "the Constitution of Japan" / 「日本国憲法」を斜め読み ]
「日本国憲法」講談社学術文庫、ISBN4-06-158678-5、\350。を、なんとなく買う。
第九条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】って書いてあるなぁ、やっぱり。別に改憲論者の「これでいいのか!」みたいな台詞に「そうだそうだ!」と安易に同調する気はないんだけども、「陸海空軍その他の戦力は保持しない」って書いてあって自衛隊を持ってるのは、やっぱ、なんか変だよなぁ。とはいえ、現実問題として「自衛隊を廃止」するよりも「戦力は保持しない」の記述を変える方が簡単だろうなぁ。それで軍国主義の道に乗り出すのはイヤだけども、憲法に「軍備はない」って書いてあるのに、現実にはGNPの1%弱だかを軍備に使ってるからねぇ。社民党のおタカさんとかなら「だめなものはだめ!」ってことで、自衛隊廃止の方に丸つけちゃうのかもしれないけども。とはいえ「第九条【国防軍】国防軍の組織及び運営に関する事項は、法律でこれを定める。」とか、素っ気なく書かれると不気味かもしれないなぁ。だからって、第九条【防衛軍】日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国土、国民の自由ならびに私有財産を防衛するために、適正な軍備を保持する。前項の目的を達するため、国防軍の組織及び運営に関する事項は、法律でこれを定める」とか長たらしく「国際平和」を「誠実」に「希求」してみたりしても、結局は、同じなんだけどねぇ。「国際平和実現の本旨に基づいて」とか入れてみるとちょっとホッとするかもだけど。結局「軍隊持ちます。場合によっては戦争します」って書くしかないんだよなぁ。戦争するためにあるんだから、軍は。帝国憲法とか「第十一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とか、そっけないなぁ。「軍備を持つか持たないか」とかすっとばして「(当然、存在する)軍は天皇が統帥す」だからなぁ。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
とかいいつつも、実際に憲法九条の改正の国民投票とかあったら、反対票入れそうだなぁ>オレ。
あーこういう話するには、オイラは安保闘争とかの知識がサクっと抜けてるからなぁ。気づいた時にはあったからねぇ。自衛隊も安保条約も。ってそういう問題じゃないのか。
まー憲法問題だの、なんだの、ってのは、大学の教養部の時に、日本国憲法ぶっちしたから身だから、偉そうな事はいえないのかもしれないが。(って、大学の単位のために「法律学・日本国憲法概論」を受講した人だけが、語っていいって問題でもないんだろうが)。
第一〇条【日本国民の要件】うー「主権の存する日本国民」に対して、えらく素っ気ないなぁ。そもそも、主権在民であることは、天皇の項目で述べられてて、国民の項目には無いのだなぁ。
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第八十九条【公の財産の支出又は利用の制限】って書いてあるなぁ。言われてみれば、私立大学へ国から出る補助金は、「日本国憲法の字面だけみれば」憲法違反なんだよなぁ。あ、ひょっとして「私立大学は公の支配に属している」ってことなのかな?
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属さない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
(強調は引用者(諸星))
それにしても「第一章 天皇、第二章 戦争の放棄、第三章 国民の権利及び義務...」だからなぁ。やっぱし、日本国憲法作った時には「天皇をどうするか、軍備をどうするか」ってのが「主権の存する日本国民」よりも大事だったんだろうなぁ、と思ってしまうのだった。って、元ネタたる大日本帝国憲法が「第一章 天皇、第二章 臣民権利義務...」だからだってのが、本筋なんだろうけどね。
それにしても、付録の大日本帝国憲法をつらつら眺めるに、帝国憲法の方が、わかりやすいなぁ(カタカナだから読みにくいけども)。「天皇ハ何デモデキル」の連発で話が進むから読みやすい。書いた人も書きやすかっただろう。日本国憲法は「主権の存する日本国民」の「総意に基づ」いてみたり「内閣の助言と承認」を仰いでみたり「法律でさだめるところの」なんとかによってみたりするから、いちいち、面倒くさい。
本日の歩数、3975歩。
本日はだめすぎ。朝起きたら激頭痛で、バファリン飲んで再起動。起動したら、13時をまわっていたのだった。
新しい調度品が到着。まー詳しい話を省けば「業務用のでかいティーサーバー」というような物体だと思ってもらうと話が早い。でかくて、金属で、湯が沸くのだ。
ずっと使い続けていたやつが、最近、調子が悪くなったので、分解してみたところ、どうやら部品が寿命。調べると、なんでも「15年前に15万円で購入」した物体らしい。で、先週、業者さんに見積もってもらったら「30万」とのこと。15年で物価が何倍になったのかわからないけども、まぁ、スマートでかっちょよくなっているので、よろしいかと思ってスペックを見ていると、製造能力が足らないのだ。新型でスマートでコンパクトになった分だけ、製造能力が半分になっているのだ。業者さんに問い合わせると「最近は、そんなに大量にがっぽがっぽわかす人いないから」とのこと。しょーがないので「今のと同じ機種はないのか?」と言うと「ある」とのこと。今の値段は「16万円」。15年たっても値段がかわらないのか? 時を駆けているのか! それ以前に、どーして黙って30万の機種を見積もるのだ業者さん!!
と、いうわけで、それが届いたわけであるが、「製品の仕様は予告無く変更します」な細かい違いはあっても、なんか、もぉまったく同じ機械すぎる。横に並べると立体視できるほど、そっくりだ(って、立体なんだよ、そもそも)。いまついている電線とか配管とかをべりべりはがして、もりもりとりつけるのだった。
おぉ、動いた! あー、なんか、やっぱ、威力がスペックどおりだと、どんどん「湯が沸く」じゃないか、すごいぜ。すごすぎて、あっというまに満杯だ。ぐえ。
と、いうわけで、古い機械を倉庫に持っていったのだった。戻ってきて、もりもりと稼働しているNewマシンを眺めると「あーやっぱ、クロームメタルに輝く機械はいいぜ!」と、にわかメカフェチになるオレなのだった。
クロームメタルから吹き出す蒸気。うーん、スチームパンク!
って、どっかから蒸気が漏れてるんじゃないのかー、おーい!
本屋+CD屋に雨の中自転車で走る。本日発売のMAXのビデオクリップ集を、衝動的に買いに行ったのだ。(衝動買いしに行くってのは、おかしな話だが)。
しかし、入荷してなかったようだ。関門海峡の税関で手続きでとまっているのだろう。
岩波文庫で「古事記」と「日本書紀」の現代語訳でも買うかと思ったのだが、品切れ。しかも、それぞれ「上・中・下」があって、文庫なのに一冊1000円もする、けっこう大部なものだったのだ。おそるべし、日本の歴史! 「続日本紀」は、上中下三冊あったが、買わなかったのだった。いっそ子供向けの「古事記物語」とかで満足してるほうが楽なのかもしれない。
「別冊歴史読本 日本古代史[争乱]の最前線」新人物往来社 ISBN4-404-02577-7、\2000。という本を買う。
「日本国憲法」を買って読んだ話は別項。本屋で「論理的に話す方法」なる本を買ってしまう。「説得力が倍増するワークブック」と書いてあるのでふらふらと買ってしまうのが弱いオレなのか。ぱらぱらとめくったところ、「しっかりした論理的構造をもった話し方は説得力をまします」とかいう方向の話が書いてあるようなので、ひとまず安心である。と、いうのも、この手のビジネスマン向けの「説得術」の本は、なんか、詭弁のノウハウ本だったりすることが多いので、読んでるとげんなりすることが多いからだ。
「ギルガメ系の番組に出る娘は、どうして特撮番組に出たがるのだろうか? 特撮番組に出ると、過去が清算されるのだろうか?」ということを言われて、考え込む。たしかに、そうなのかもしれないなぁ、と思わないでもないけど、「特撮もお色気番組も、B級芸能界で、B級芸能人が流動している」だけなのが、見方によってはそのように(ギルガメ=>特撮が過去の清算に使えるように)見えるのではないか、と思える。
「特撮番組による、禊ぎ(みそぎ)と清め」というか。
って、お色気番組(が死語かどうかは別として)ってカテゴリーを考えることが、一種の女性蔑視に相当したりするのかしらん? それとも、やはりカテゴライズして「普通の芸能界」と区別するのが「良識ある見方」なのかしらん?
Webページで申し込んだエンペックスのカタログが届いた。GPS65のカタログ(C.W.ニコルが出てくるのが、それっぽい)をみる。ええのぉ。「20万分の1相当の日本地図内蔵」ってのはナイスだけど7万するからなぁ。けど、カタログに「訂正表」が入っていた。「カタログに『20万分の1の日本地図を内蔵』とあるのは『20万分の1の日本地図を編集して得られた簡略化された地図データ』の間違いです」(文責オレ)と書いてある。わはは。そりゃ、まぁ、CD-ROM数枚になるような20万分の1の日本地図の全図が、7万円ぐらいの電子機器に内蔵できるとは思わないけど、世間ではそう思う人もいるんだろうなぁ。
とか笑っているけども、7万円のGPSに「地図データを内蔵させるのもありだね」という発想が商品になってしまったわけだから、あとはROMやらRAMやらが安くなればなるほど、どんどんデータ数がでかくなるのだろうから、うかうかしてられないな。とはいえ、8cmシングルCDサイズの電子ブックプレイヤー内蔵ならわからなくないけども、CD-ROMやDVDプレイヤー内蔵すると、ちょっとでかいからなぁ。うーむ。
とはいえ、松下その他では「持ち歩けるカーナビ」が商品化されているし、「地図内蔵GPS」ってのは「カーナビ」以外のなんでもないわけで、「カーナビ」の機能は「ノートパソコン+CD-ROMドライブ+GPSアンテナ」で完全再現できるわけだから、「でかくてもいい」なら、簡単なんだよなぁ。いや、簡単なんじゃなくて、「持ち歩けるカーナビ」は「地図内蔵GPS」そのものなんだから、実在するわけだし。
あーでも「カラー液晶+CD-ROMドライブ」ってサイズの機械と「ハンディGPSレシーバー」ってのは、まだまだ「別ジャンルの機械」って気がするから、「ハンディGPSレシーバなのに、地図内蔵」ってのが欲しいなと。
やっぱ、フラッシュRAMの値段なのかしらね。
この「欲しいな」ってのは、実用面での必要性、ってことじゃなくて「地図って面白いねぇ」というか「測定グッズってなんか燃えるよね」ってのの延長なんだけどね。必要ないけど、超音波メジャーが欲しいのと似ているというか。欲しくないですか、超音波メジャー。ぐえ。
ゼンリンの住宅地図とか搭載してたら、もぉ、「名前入れたら、矢印の方向に歩くだけで地球上のどこからでもその人のお家に到着する」とかいう世界になってしまうなぁ。なんか便利なのか恐ろしいのかわからない世界だなぁ。けど、住宅訪問時に100mの誤差ってのは、でかすぎるか。あ、でも、ディファレンシャルGPS使えば、いいのか。
そうか、エンペックスって、気圧計とか温度計のメーカーなのかー。気圧変化でお天気予報する時計とか(ありがちだけど)ちょっと欲しいなぁ。こういうのが「買いたくないけどもらうと嬉しい」ってカテゴリーのグッズなのかー。あーなんか結婚式の引き出物から出てきそうだな。あるいは電気屋の福袋から。(なんか、すっごくバカにしている気がしてきたなぁ。そんなつもりはなかったのに)。
高度計と気圧計を備えた山歩き用の時計とかあるけど、高度計って気圧で高度を推定してるんじゃないのかなぁ? 天候の変化で気圧が変動しているときに、人間が山を上がったり下がったりしてたら、気圧と高度がわやくちゃにならないのかしらん? 謎。そこのあたりが「ノウハウ」だったり「ハイテク」だったりするのかしらん? けど、気圧の変化と高度の変化を同時に測定するのは不可能な気がするけどなぁ、原理的に。
別の本屋+CD屋で、MAXのビデオクリップ集をゲット。うふ。
980224b[ keen edge of words? / 「言葉の暴力によるイジメ」? ]
オレは、お笑い番組が嫌いだ。
理由は(「説明不能な生理的嫌悪感」も含めて)色々あるのだが、理由の一つが「いびり系の笑いが嫌いだから」である。素人や、弟子に「痛いこと、嫌なこと」をやらせて、それを眺めて笑いをとる系のお笑いが嫌いなのだ。見てて痛そう、嫌そうなのも単純に嫌なのであるが、見てるうちにそれを楽しんでしまいそうな自分を考えると、もっと嫌なのである。で、あるからして、いくら「松本人志は天才だ」とか「あの笑いが理解できないと21世紀には生き残れない」とか言われても、あまり本腰を入れてお笑いを理解しようという気が起こらないのである。生き残れないのは嫌だが。(別に「ダウンタウン松本人志(だけ)がイビリ芸をしている」とか「松本人志の芸はイビリ芸だけである」とか主張したいわけではないが、オレの近所で「お笑い番組は嫌いだ」と発言すると、だいたいにおいて「松本人志を理解できない人は...」と、いう話になるので、一つの例として、あげてみた)。
で、「あのようなイビリ系のお笑い番組ばかりみていると、見ている人はイビルことを当たり前と思うになり(原因)」=>「イジメがはびこる社会となる(結果)」とか「あのようなイビリ系のお笑い番組がはびこるのは(結果)」<=「社会がイジメに溢れているからだ(原因)」とか、主張したくなるわけであるが、どちらを原因、結果にしても「有意な相関はない」可能性もあるし、証拠も統計も持たないオレとしては、判断保留するしかない。無理に話を進めれば、「ギフトでキムタクがふりまわしていたから(原因)」=>「少年はバタフライナイフで武装するのだ(結果)」とか「スプラッタ映画が血塗れだから(原因)」=>「猟奇事件が起こるのだ(結果)」とかいうのと同じような流れになるし。
で、主張したくなるのを止めてしまって、どうするかというと、関係ない話をするのだ。
「言葉の暴力によるイジメ」に関する話だ。
「イジメは肉体的な暴力によらずとも可能である。言葉の暴力をそれと気づかずに使い、正義の名のもとによってたかって、弱者を攻撃することは、立派なイジメである。今、インターネットもまごうことなきイジメ世界である」というような主張があるとしよう。(これは、今、オレが1分で合成したものであるが)。一見もっともらしいし、実際、その通りかもしれない。
ただ、この手の主張を聞いた時は、言われたシチュエーションや、発言者の日頃の言動をよく観察しないといけないと思うのだ。この手の発言が発せられるのは、主に「Web掲示板」などであるが、「自分の意見に反対する人は、悪意を持っている」とか「全員が自分の意見に賛同しなくてはならない。当然賛同すべきだ。」とかいう発想をする人が発している場合が多々見られる。人は色々な意見をもつわけであり、様々な選択肢がある場合、必ずしも他人が自分と同じ選択肢を選ぶとは限らないのだ。「他人は必ずしも自分に賛同しない」
あるいは、そういう事の以前の問題として、説明がヘタな人である場合もある。「いくら説明しても、わかってもらえない。これは、(悪意を持って)最初から、私の意見に反対するつもりだったのだ」という思考の流れで逆上する人も多いようだが、多くの場合、その人の「いくら説明しても」の「説明」が「説明になっていない」のである。百万語を使っても、説明になってない説明を繰り返し、関係のない事を語り続けている限り、けっして「わかってもらえ」ないのである。「説明になった説明を」
あなたの意見に反対されたとしても、あなたの人格が否定されているわけではありません。よって、自分の存在をかけて逆上しつつ直ちに徹底反撃に出る必要はありません。「言葉の暴力か? 反論と人格攻撃の区別」
「よってたかって攻撃される」というのは、残念ながらネット上では実際によくあることで、これは、議長や司会者をたてて慎重に話を進めないと防止できないことだと思います。自分の意見が少数意見か多数意見かが「一目でわかる」とか「なんとなくわかる」場合は、まだ自主規制が可能でも、そうでない場合は、ある意見が、そのコミュニティの大半の意見と相容れない場合、たとえば、1vs100であった場合「私は反対です」という意見が、たった一度の発言に対して100通も押し寄せるわけです。「よってたかって、もしかたない」
と、いうわけで、「いくら説明してもわかってもらえず、言葉の暴力としか思えないもので、よってたかって、攻撃された」と感じる時は、「正しい説明をしたのか?」「それは反論ではなく、本当に言葉の暴力なのか?」「よってたかって、というのは被害妄想ではないのか?」ということを、確認してもらいたいものだ、と思うのです。
「これはイジメではないのか?」と叫んで、自分は主張するのに相手の反論を禁止しようとしたり、「言葉の暴力です」と言って、批判されるのを拒むのを、たまに見掛けるので、書いてみました。
とはいえ「批判のふりをした人格攻撃」や「正義の名の下に言葉の暴力でよってたかって叩きのめす」という行為は、実際に存在するから、困るんですよね。みなさんも、「よかれと思って反論、忠告」するときは気をつけましょう。
「気をつけましょう」とだけ言って「どうすればいいのか」を言えないあたりが、弱いですな。
と、いうわけで、「お笑い番組のイビリネタはよくない」って枕で「インターネットも言葉の暴力によるイジメ社会である」という話にもっていってる人がいたら、その人の過去の言動を調べて「困ったちゃんすぎて、ネットのあちこちで問題起こしてる人の自己正当化かもな?」と思うと吉なんだけど、だからって「自己正当化してんじゃねーよ」とばかりに、言葉の暴力でイジメてしまってはいけませんよ、という話。以上「一般論のふりをした、特定の誰かへの攻撃」ではなく、一般論のつもりなので、よろしく。「どう考えても、オレあてだ!」と思ったアナタは「特定の誰かに触発されて書いた一般論」だと思ってくれると吉。それでもダメなら「一般論に反論する一般論」を書いてくれると吉。それでもおさまらない時は「一般論への反論である一般論のふりをした個人攻撃」をメールしてきても可。けど、最後の場合は、返事しないかもよ。あるいは逆にアドレス消して、web上で引用するかも。
しかし、こういう場合、予想もしてない人が「自分のことだ!」と思いがちなのは、やはり書き方が悪いのだろうか。そうです、アナタ宛ではないのです。ご安心ください。
980224a[ daily life / 日常生活(火) ]
/ 忘れぢの書類
/ 「謎のパラメータ」を追え!
/ 「合州国」と「合衆国」
/ アニメタルはマッドテープか!?
/
本日の歩数:8,032歩。
忘れていたことにしていた(をい)書類の提出締め切りが本日だったので、忘れていたことを忘れたことにして、速攻で合成して、ボス、大ボスチェックに通す。うむ、すぐできた。さっさとやっておけば良かった。
本日は、軽く2倍速ほど。だんだんと、作業の正否を決定している「謎のパラメータ」の存在が浮き彫りになってきた。っていうか、「同じつもりでやってても、結果がばらつくってことは、なんか気づいてない違いがあるのよね」ということなんだけども。「神はサイコロ遊びをしない!」byアインシュタイン、ということか(激しく違うような>オレ)。あ、量子効果と関係ない作業ね。念のため。
United States of Americaを「合衆国」と書いて「合州国」と書かないことについて「きっと明治の人が『アメリカは、民主主義の国だから、合州国じゃなくて、合衆国なのだ!」とか主張して勝手に決めたんだろう」と思っていたのだが、辞書で「州」をひいたら、州にも色々な意味があって、「州=STATEだから、United States=合州国」って発想をしたオイラの方が、発想が貧困であったようだ。考えてみれば、「連邦国家のStateに『州』の字をあてる」ことにした時期と「連邦国家を合衆国と呼ぼう」と決めた時期の前後によって、また話がかわるしな。どちらにせよ、明治の人の方が、現代人(少なくともオレ)よりも、はるかに漢字のニュアンスに対するセンスに優れていただろう、ということで、先ほどの発言は撤回するのだった。
とはいえ、どーして連邦国家が「合衆国」なんだろうか? この用語、誰がいつごろ使い始めたのか、教えてほしまり。
(980227に追記:明治時代には「よりあつまる」という意味で「合衆」という言葉があった、という話は980227aを参照。)
ちなみに、「州」の辞書的意味を引用しておくと、
しゅう【州】なのだった。
シュウ(シウ)/す
(岩波国語辞典@マイペディア97。リスト表示の番号は引用者(諸星)がつけかえた)
- 川の中にできた島。人の居住できる所。しま。なかす。す。「三角州(さんかくす)・中州(なかす)」
- 人の集まり住む土地。くに。「神州」
- 大陸。「洲」に通ずる。「アジア州」
- 行政区画。
- 日本では国にあてる。「六十余州・和州・武州」
- 〔造・名〕連邦国家を構成する行政区画の一つ。「ネバダ州・州権・州政府」
- 中国で、郡の上級。後に郡を州と改称した。「四百余州・直隷(ちよくれい)州・州俗」
「言葉の暴力によるイジメ」に関する(懐疑的)話は別項。
アニメタル・マラソン2 特撮編はいい。すんげーいい。やっぱ、洋楽とちがって、歌えるのがいいよなぁ。洋楽は知ってても歌えないから。って、英語ができる人は歌えるのかもしれないけども。それにしても、正義の変身ヒーローの歌ってのは、本当に、内容がワンパターンだなぁ。アニメの歌だと「いくらなんでもそれは」と思いがちな「戦え僕らの###。守れ僕らのこの地球」とか「戦え正義の###。倒せ悪魔の%%%」とか、ありがちフレーズのオンパレード。(オンパレードって死語か)。その昔、マッドテープを自作してた時に(自作してたのか!)「あー、水木一郎、子門真人、ささきいさお、ヒデ夕木が、同じ声なら、もっとつなぎやすいのに」と思っていたのだが、アニメタル坂本英三ひとりの声で、全部メタル演奏で延々と続いていると「つながなくてもマッドテープ」だなぁ。うんうん。
あ、「マッドテープ」ってのは、アニメや特撮の歌とかドラマとかを、ツギハギして、別の歌を作ったり、パロディにしたり、意味不明にしたりして遊ぶ遊びね。最近は、ビデオでやるみたいだけど。その場合は「マッドビデオ」と呼ぶ場合もあるのさ。あ、「マッドテープ」という固有名詞の作品もあるらしいけど、ここで書いてるのは普通名詞としての「マッドテープ」ね。
980223a[ daily life / 日常生活(月) ]
/ 朝から皿洗い
/ 三倍速ふたたび
/ 仮眠とねむまり
/
本日の歩数:17,000歩。
朝イチから気合いを込めるべく早起き。うぞ、単に週末ぶったおれて寝てたせいで、睡眠時間がおかしくなっているだけ。って朝早起きするのを「おかしい」というのが、おかしいのか。
ここしばらく、弟君との間で政治課題、いや、外交問題に発展しつつあった「台所の洗い物の処分」は、弟君の空爆予告もあって、一気に解決した模様。って、要は「オレが洗いました」ということなのだが。どうして弟君の要求をのむかというと、洗い物の大半が「ともろの森ベランダキャンプ場で生産されたキャンプグッズ」だからだ。ぐえ。洗い終わった主にキャンプグッズで構成される調理グッズが流しの横に整列しているのを眺めると、ほぼ全部、銀色に鈍く光っていて「お、なんか、主婦雑誌の『アメリカンな素敵な台所』の特集フォトみたいだ!」ってかんじでナイス。けど、すぐまたケイオス(混沌)の淵に沈むのだろうなぁ。「カオスの縁(ふち)」は、多様性が湧いて出る処かもしれんが「カオスの淵(ふち)」は、まさしく、淀んでドロドロなイメージだなぁ。
第二期の「三倍速週間」に突入なのか。って先週とはちょっと狙いが違うから、厳密には三倍速ではないのであるが。
やっぱ、燃えて三倍速作業すると、歩数も異様に多くて我ながらビビるな。2歩で1mとすれば、10,000歩で、5kmか。うーん、仕事場の床を8.5kmも歩行しているとは、にわかには信じられないけどなぁ。謎。
朝早起きした反動か、夕方から夜にかけて、とてつもなく眠くなる。ゆっくり仮眠とってると、作業が終わらないし(途中で止められない作業だったのだ)、かといって、寝ないでやるには眠すぎる状況だったので、居眠り用椅子「いねむりクン」と、キャンプ用おりたたみベットを持ち出して、毛布かぶって、仮眠。けど、タイマーが10分ごとに、オレを呼ぶので、眠れない眠れない。けど、起きてられない。外は雨がふっているので、毛布一枚じゃ、寒くて眠れない。寝袋ぢうやうかもしれぢ。
24:00。とりあえず作業終了。帰って寝ても可。だけど、眠すぎて動けず、居眠り椅子にもたれかかる。
ふと目を覚ますと、時計は3:00。むー、3時間も気絶したように寝るとは、よほど眠かったのだな。と、自転車ぶっとばして帰ってねる。あーやっぱ布団は偉大だ。