諸星未来堂ープ

三月第二週


MOROBOSHI Tomorou's
Warp Diary
1998 March 2nd Week


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980315a[ daily life / 日常生活(日) ] / 「リング」と「ループ」を比較 /
980314a[ daily life / 日常生活(土) ] /「ループ」の解釈 /
980313a[ daily life / 日常生活(金) ] / 13日の金曜日 / 「井沢元彦の世界宗教講座」 / 浄土宗のひみつ / 仏教のひみつ / 偶像崇拝のひみつ / 阿弥陀如来のひみつ / 弥勒菩薩のひみつ / 「光の王」「百億千億」 /
980312a[ daily life / 日常生活(木) ] / ビデオカメラとゆらゆらぐるぐる / べんりくン全部読みとHyperDiary / 「じぶん更新日記」と「ある」「いる」 / 国道三号線ボロボロ事件 /
980311a[ daily life / 日常生活(水) ] / 韓国本よんでゲンナリ / ムー4月号「堕天使」とあすかあきお /
980310a[ daily life / 日常生活(火) ] / 論理的でわかりやすい文 / 万能形式としてのWeb日記 / 議論と被害妄想とサディスト / シナモンと韓国と「辛みが足らん!」 / ペプシマンとサントリーとコーク中毒 /
980309c[ not so cool pages 2 / 「『間違いだらけのサイト作り』の大間違い」の大間違い ]
980309b[ not so cool pages / 『間違いだらけのサイト作り』の大間違い ]
980309a[ daily life / 日常生活(月) ] / 医学部の恐怖 / 理系クンの実験系のココロ /

MOROBOSHI Tomorou's Warp Diary 1997 March 2nd Week

980315a[ daily life / 日常生活(日) ] / 「リング」と「ループ」を比較 /

 本日の歩数、不明。


「リング」と「ループ」を一部、読み返してみた結果、すこし理解が進んだ。結果は ネタバレ編(980315z)でよろしく。


980314a[ daily life / 日常生活(土) ] /「ループ」の解釈 /

 本日の歩数、7,784歩。


「ループ」の解釈で気になる点があるのだが、ネタバレなので、別ファイル(980314z)にしてみた。「ループ」読んだ人は是非ともあなた的解釈をオイラまでメールしてくれると嬉しいのでプリーズ。(ワープボードだとネタバレになるので、できたらメールしてね)。

 しかし、なんか読み返してみるとオレのやっていることは「作者が『SFではない』と言ってる作品を無理矢理、『SFだ』と断言して、SFとして読もうとして、あげくに、『これSFとしてはいまいちだね』とか因縁つけてる」ことに他ならないんじゃないか? という気がしてきたなぁ。まいったまいった。


980313a[ daily life / 日常生活(金) ] / 13日の金曜日 / 「井沢元彦の世界宗教講座」 / 浄土宗のひみつ / 仏教のひみつ / 偶像崇拝のひみつ / 阿弥陀如来のひみつ / 弥勒菩薩のひみつ / 「光の王」「百億千億」 /

 本日の歩数、不明。

 ふと気づけば、13日の金曜日だったのか。「キリストは13日の金曜日に磔になったわけではない」と知ったので、なんか、ますます怖さが減ってしまった13日の金曜日であることよ。しかしま、多くの人が「なんとなく不吉かも」と思っているとすれば、その「想念」が不吉な事態を引き起こしてしまうことも、あるんじゃないか、と思うのだった。


 よせばいいのに、また井沢元彦の本を読んでいる。今度は「井沢元彦の世界宗教講座」という本。

「逆説の日本史」シリーズと「言霊」と「言霊2」を読んでおけば、この人の主張の概論はあらかた押さえられるわけであるから、各論にしぼった本は読む必要ないんだけどなぁ。

 しかし、「基本的人権はどうして存在するのか? どうして何人たりとも侵してはならないのか?」って疑問に対して「キリスト教徒は『神が人間に与えたものだからだ』と納得している」ってのは、言われてみれば、衝撃であることよ。

 うーん、キリシタンでないオイラとしては、どういう風に納得すりゃーいいのだろうか?

「井沢元彦の世界宗教講座」著:井沢元彦、徳間書店、ISBN4-190555262-1、\1400。


 さて、実はオイラは仏教徒なわけだ。と、いっても、自主的に自覚して自分の宗教を選んだわけではなくて、たまたま父方が浄土宗だったので、なし崩しに浄土宗の信者ということになっている。とはいっても、言葉は悪いが「葬式仏教」的な仏教徒で、葬式と法事の時しか、坊さんとは縁がない。

 で、そういう仏教徒である所のオイラ的には、ふと「はて? オレが仏教徒だとしたら、いったいどういう教義になってるんだろう?」と思ってしまったわけだ。

 まぁ、浄土宗なんだから、開祖が法然さんで、総本山が京都の知恩院で、崇拝の対象は「阿弥陀如来」で、教義としては「阿弥陀如来が世界を救うぜ! と宣言したので、それをひたすら信じて『南無阿弥陀仏』とその名を唱えると、死んだときには西方浄土に生まれかわるので、以後、幸せ」ということなんだろう、と認識している。

 というわけで、Webでちょっと調べてやれ、と思ったら、その名もずばりwww.jodo.or.jpというドメインが。内容も、ちゃんとした浄土宗が作ってるし。(うっかり「浄土宗」とか書いたけど、このページの責任は、結局、誰がとってくれるんだ? 「浄土宗事務所」とか「浄土宗東京事務所」とかいろいろあるけどわからんぞ。「宗教法人・浄土宗」なのかな?)

 ま、細かい話はほったらかすとして、簡単な教義を読むと「南無阿弥陀仏と唱えればオッケー」ということで、いいらしい。しかし、根元的には「死んだあと、極楽にいけることが目的」っぽいので「現世でどうあるべきか」とか、そういうのは、よーわからんことよの。まぁ、そもそも念仏宗なんだから「なんまいだー」と唱えておけばオッケー以上のことは、どうでもいいのかもしれんな。

 ほぉ、浄土宗の基本となる経典は「阿弥陀経」「観無量寿経」「無量寿経」なのか。実は、今の今まで知らなかったぞ。わははははは。罰当たりめ! 浄土宗が般若心経を採用してないことは、知っていたのだが。

 ふむふむ「阿弥陀経」=「西方浄土の様子。念仏を唱えることの正しさの証明。六万諸仏が念仏者を守ってくれること」が書いてあるのか。「観無量寿経」=「死んだらこのように極楽浄土に行きます」ガイドなのか。「無量寿経」=「そもそも阿弥陀如来の誓がどんなものだったのか。それがかなうと、どんないいことがあるのか」の解説。

 うーむ、こういうふうに、適当に理解すると、わかりやすいなぁ。基本的に念仏宗は、「難しいことは、阿弥陀様まかせ」ってことになってるから、あんまり何も考えなくていいんだよな。宇宙の法則とか、阿弥陀如来が世界を救う方法とか。

 しかし、あたりまえといえば、あたりまえだが、ここまでの話に「釈迦」とか「ゴータマ・シッダルタ」があんまり出てきてないぞ。うーむ。

 あーあと、オイラの知識から仏教的な創世神話って、サクっと抜けてるなぁ。如来とかのみなさんは、そもそもどこからどのように出現したんかしらん? どういう「設定」になってるんだろ? それと、仏教の元ネタってなんなんだろ? 仏様の設定とか、あんまり、バラモン教とかヒンドゥー教の神様と関係なさげなんだけども、それってのは、よく知らないからそう思うだけなのかな? それとも、やっぱし、瞑想ののちにカルピスのんだ衝撃でうっかり悟りを開いてしまったゴータマ・シッダルタ君の脳裏に、電撃のように「仏の世界」の設定が浮かんだんだろうか?


 gooで検索してみたら「仏教各宗派の宗祖・特徴」とかいうページを発見。いろいろな仏教各宗派の違いを読む。

 うーむ、浄土宗、浄土真宗の本尊が「阿弥陀如来」なのは、あたりまえといえば、あたりまえなんだけども、他の宗派は、だいたい「釈迦牟尼仏」=「釈迦如来」なんだなぁ。うーむ。まぁ、お釈迦さんが開祖なんだから、当然ちゃ当然だが。それで「南無釈迦牟尼仏」って唱えるのか。あんまり聞いたことないけども、それはオレが浄土宗だからかな? まぁ真言宗の本尊が「大日如来」なのは、これまた当たり前な気がするな。あとは日蓮宗が「南無妙法蓮華経」って唱えるのも。

 へー、奈良の大仏は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」だから、大日如来なのか。知らなかったな。ほぉ、鎌倉の大仏は阿弥陀如来なのか。

 それにしても、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、根元が一緒だから、どれも「偶像崇拝禁止」なんだよな。まぁ、キリスト教は、十字架のイエス像とかマリア像とか拝んでるといえば、そうなんだけども、基本的には偶像崇拝禁止だ。神道も、神社いっていろいろ拝んでるけど、拝んだ先には、鏡とか岩とか、神様が宿る「依代(よりしろ)・霊代(みたましろ)」が置いてあるわけで「神様そのものズバリの像」は置いてないわけだ。イスラムのメッカのカーバ神殿とか、なんとなく巨石信仰を彷彿とさせる気がしないでもないけど、そんなこといったら、怒られるんだろうかな。

 で、身近な宗教である仏教ってのは、本尊である神様(仏様だけど)の像をずどーんと作って、拝んでしまうんだよなぁ。考えたら、変な宗教だよなぁ。しかも、釈迦如来は本来は、人間だったお釈迦様の姿だから、いいとしても、阿弥陀如来も大日如来も、なんというか、その「宇宙の真理」なんだよなぁ。「宇宙の真理を人間の姿にたとえれば」ってことなんだろうけども、なんかなぁ。

 ありゃ? 阿弥陀如来は悟りを開く前は、法蔵菩薩だったらしいから、その当時は、一応「人類」だったんだろうか? とすると、人間の形してても、いいのか。しかし阿弥陀如来がまだ法蔵菩薩だった頃の無量劫の昔って、どれぐらい昔だったのかな? って「そんな昔だったら、人間はまだ猿だったり、原形質だったり、星間物質だったり、純エネルギーだったりしますよ」とかいう発想をしたら、いかんのかもしれないな、仏教宇宙の話なんだから。

 ま、いいか。細かい話は。

 キリスト教徒的には、明日にもイエス・キリストが復活して、最後の審判をおっぱじめかねないから、いつも臨戦態勢にないといけないんだろうけども、仏教的には弥勒菩薩が悟りを開くまで、あと、五十六億七千万年かかるから、のんびりいこうや。

 しかし、とてつもなく長い時間として想定した五十六億七千万年も、地球寿命と似たようなオーダーだし、宇宙寿命からすると三分の一程度だから、待って待てなくもないよな。って、待ってみるか? と言われると困るが。

 うだうだ書いたついでに、もう二つだけ。「釈迦伝説」については「光の王」ロジャー・ゼラズニィというSFに詳しい。オイラ的SFオールタイムベスト2位。「弥勒伝説」については「百億の昼と千億の夜」光瀬龍、というSFに詳しい。オイラ的SFオールタイムベスト1位。ククク。(なんで笑ってるのかは、読むとわかる)


980312a[ daily life / 日常生活(木) ] / ビデオカメラとゆらゆらぐるぐる / べんりくン全部読みとHyperDiary / 「じぶん更新日記」と「ある」「いる」 / 国道三号線ボロボロ事件 /

 本日の歩数、8,010歩。

 本日は、新しい業務秘密兵器として「ビデオカメラ」が登場したんだ。つまりは、目を凝らしてもにわかには識別不可能な世界を、ハンディカムで撮影しておいて、あとからじっくり分析する、って寸法なのだ。

 でもね、案の定、手前にピントが合ってて、オイラが欲しまった物体Xにはピントがあってなかったんだよ。悲しいね。

 しかも、三脚が無いので手持ちだったから、拡大映像では、画面がゆーらゆーら揺れていて、見ているうちに、素敵に三半規管のリンパ液がぐるぐるしてきたのさ。

「三半規管のリンパ液がぐるぐるする」ってのは「乗り物酔いしたよ」の婉曲表現なんだ。ちなみに「リンパ液」は「リンパ」の方が正式だったと思うんだけど、岩波国語辞典的世界では「リンパ液」でも通用するんだ。オイラが中学生のころは「胆汁(たんじゅう)」を「胆液」と教えていたので知り合いの医者は、怒っていたのだよ。「医学用語を勝手に変更すな!」ってさ。あ、これは関係ない話だったね。

 そういうわけで、画面みてると、ゆらゆらぐるぐるだから、パソコンにとりこんでムービーを逆転再生してみたり、デジタル拡大してみたり、プリントアウトしてみたりしたんだ。拡大した上に色調かえたりしてたんで、しまいには、色とりどりのモザイクになってしまったんだ。そういうモザイクを作業台の上にいっぱいならべていたら、仕事場なかまが「うひょー、えっちー」と大喜びして近づいてきたんだね。いくら眺めても、そのモザイクの向こうに素敵なものは見えてこないよ。うふ。

 それにしても、大学時代に、SF研でほげぷーなビデオ映画やら、学園祭記録ムービーやらを撮影して、ちょっとは撮影のこつはつかまえていたと思っていたのだが、よわよわだったらしいな。腕がにぶったのか、それとも、デジタル25倍ズームとかしてしまう今のムービーが悪いのか。

 責任転嫁するオレが悪いらしいな。一番悪いのは、三脚を持ってこようと思わないオレか。


 思うところあって、べんりくン登録の日記を上から全部、読んでみたんだ。「htmlの書式」とか「プレーンテキストのあるべき姿」とかの話題が、いろんな日記に飛び火(失礼)して書いてあって「おぉ、HyperDiaryぢゃーん」って、懐かしい気持ちになったんだね。って別に、べんりくン登録の日記者らが「HyperDiary」を意識して推進してるわけじゃなくて、単にオイラがそこに「HyperDiaryの影」を見ているだけなんだろうけどね。

 ここでいう「HyperDiary」ってのは、その昔、須藤玲司が提唱した概念で、詳しい定義とかは、すでにオイラ的にも忘却の彼方なんだけども「相互に言及しあいリンクしあうWeb上の日記」みたいなもんだな。単純な「Web日記」よりはもうすこし限定された意味なんだけども、いわゆる悪い意味での「身内日記」とか「仲良し日記」とか「日記読み日記」とは、少し方向性の違う概念なんだ。

「お互いに独立しつつも、さりげなく連動する魂」つーか「さりげなく連動しつつも、独立を失わない魂」とか、なんか、いい感じだよね。

 オイラ的には、現在は、HyperDiaryって概念に全面的に賛成というわけでもないのであるが、あらためて「HyperDiaryっていいよね」と思ったよ、ということです。


 長谷川先生の「じぶん更新日記3/11版」(あるいはココ)を読むと、「Basic Japanese」の話の延長で「動詞+いる」「動詞+ある」の話題が出てきている。「あってる」とか「売ってる」とか「雨が降りよる」とか「雨が降っとる」とかの話題が出てきている。どうやら朝日新聞社の「日本語相談」シリーズを読むと、すこしは賢くなれるらしい。ううむ。(週刊朝日に1頁で連載されてるのを見た記憶があるので、その単行本なのだろう)。

 で、ちょっとgooで「日本語相談」を検索したら、日本語研究の参考図書リストがヒットした。すばらしい。すばらしくたくさんある。すばらしすぎて、ぐーの音も出んというか、途方にくれてしまったよ。


 数日前、突如、国道三号線の表面が、ひっかかれたみたいにボロボロになっていた。

 しばらく考えて、「これは、長距離トラックのスパイクタイヤ類による削れでは?」と思いついた。数日前の関東の大雪の時に、突如、スパイクタイヤにはきかえた長距離トラックが、そのまま、山陽と九州の道路を蹂躙しつつあるのか?

 しかし、先ほど通りかかると、道路をほじくりかえして、アスファルトを塗り替え(貼り替え?)工事があっていた。

 トラックが悪いのではなくて、3月中旬恒例の「予算消化工事の大勃発」だったらしい。ぐえ。

 まぁ、東京で雪降ったとたんに、福岡の道路がボロボロになってたら、日本中の道路がめちゃくちゃだよな。すこし陰謀史観が強すぎたらしい。(陰謀史観なのか!?>オレ)


980311a[ daily life / 日常生活(水) ] / 韓国本よんでゲンナリ / ムー4月号「堕天使」とあすかあきお /

 本日の歩数、7,700歩。

 韓国関連の本を何冊か買う。「在日コリアンからみた、日本の悪いところ」みたいな本と「ゆるせないぞ韓国」みたいな本を、数冊ずつ。

 日本のことも韓国のことも考えるのが嫌になってしまった。違う部類の本を読めばよかった。失敗失敗。

 スーパーミステリーマガジン「ムー」の4月号を買う。今回は「堕天使伝説」に関して。「堕天使は、神の怒りで落とされたのではなく、自ら地上に降りたのだ」的なお話。あげくのはてに古事記神話と合体するのが、かっくいい。別冊付録のアスカアキオ先生のコミックも、いつもにまして、トンデモな論をぶちかましてくれて、ナイス。


980310a[ daily life / 日常生活(火) ] / 論理的でわかりやすい文 / 万能形式としてのWeb日記 / 議論と被害妄想とサディスト / シナモンと韓国と「辛みが足らん!」 / ペプシマンとサントリーとコーク中毒 /

 本日の歩数、10,100歩。

 なんか調子でないなぁ。きゅう。


 最近、論説文というか、議論するための文章の書き方について、いろいろ考えている。どうも、自分で思っていたほど、説明文書くのがうまくはないらしいと、最近気づいてしまったのだ。

 文章を書くときに誤解のないようにと、言葉にいちいち定義を書き、論拠をいちいちあげ、予想される反論に対してはいちいち予防線をはり、と色々なことをするのは、「理系」で「論理的」な書き方の宿命だと思っていたのだけれども、「その結果として、読みにくい文章」になったとしたら、それは、考え方のどこかが根本的に間違っているのではないか? 「文章の正確さ」と「わかりやすさ」のトレードオフっていう考え方がどこかおかしいのではないか、と。

「文章構造と内容は比例する」というか「文章構造がヘボい文章が、論理構造はしっかりしていることはあり得ない」といのは、本当ではないか、と。「正しい筋道で考えをまとめて、それを文章にして、さらに余力があれば、わかりやすい文章にする」っていう発想をしているとしたら、それが根本から間違っているのではないかと、思うようになってきた。

 そのようなわけで、「論理的に書く方法」とか「レポート・論文の書き方」とか「できるビジネス文書の書き方」とかを、読んでしまうオレである。


 論理的な文章、をめざすと、ワープ日記がものすごく書きにくくて困っていたのだが、その理由は簡単で、「結論がないから」だったのだ。最終的に「だから、何?」と聞かれたら「いや、そう思っただけ」と答えるしかないことを書いているから、明確な結論がない。よって、論理的な文章にしようにも、できないのだった。無理に論理的な文にすると、あまりそうは思ってないことを「主張」していることにしないといけないし。

 まぁ、そういうとりとめのないことを書けるのが「日記」のいいところなんだけれども。

 Web日記ってのは、なんでも放り込める非常に間口の広い、一種の「万能な形式」だと思っていたのであるが、やはり、どうも、間口が広いばっかりで、再利用性がひくい形式なんじゃないか、と思えてきた。

 ま、このあたりは、またしばらく考えてみることにしよう。


 議論と口喧嘩の区別ができない人、批判と人格攻撃の区別ができない人が、ネットワーク上には一定数いて、そういう人は困ったものだ、と思っていた。しかし、どうも、最近オイラが目にする議論というか喧嘩を見ていると、「被害妄想が強い人をみると、つい、批判の裏側に悪意をこめてしまう人」とか、「普段は温厚な言論人なのだが、被害妄想的な反応をする人をみると、つい言語サディストに変貌してしまう人」とかが、オイラの予想以上に多いんじゃないか、という気がしてきた。

「わからずやには、一発、グサッとくること言って思い知らさねば」という感情は誰しも抱きがちであるけれども、それは「義憤」ではない、ということを肝に銘じなくてはならない、と思う。「こういう輩を野放しにするのはネット社会のためにならん!」という理由はすぐに思いつくのだが、「本当にそうなのか?」と。刺す前に確認を、といいますか。

 自戒も含めてね。


 最近、シナモン味に飢えていたのであるが、理由がわかった。「韓国」だ。

 韓国では、焼き肉屋さんとかで食事が終わると口直しとして、シナモン味の甘いお茶? が出てくるのだ。なんだか知らないけれども、その「味の記憶」が頭の中で自動的に反芻されているらしい。

 マンガ「美味しんぼ」などでは「懐かしの味で、突如記憶がもどる」というようなエピソードが何度も出てきて、「いい話だけど、ドラマを盛り上げるための演出だよね」と思っていたのであるが、どうも、オイラが思っている以上に「味の刺激」というのは、人間に影響を与えるものだな、と思った。

 ちなみに、韓国にいった仲間などの話を総合すると、最初に韓国に行って、辛いものを食べまくると、帰国した直後は、日本食が死ぬほどうまく感じて「韓国の食べ物は、美味しかったけれども、しばらく食べたくない」という反応が出るのだが、数年以内にまた韓国に行って、辛いものを食べまくると、今度は、帰国直後に「辛さが足らん!」と、何にでもタバスコをかけまくる人間に変貌するらしい。

 オイラの場合、前々回の韓国訪問直後は、水炊きを食べて「日本人にうまれて良かった」とか涙を流してしまった。前回の訪問直後は、別に日本食に感動もしなかったし、逆に辛さを過剰に求めることもなかった。とすると、次の韓国訪問後に、「辛いもの欲しまりまくり」になる、ということなのだろうか? 乞うご期待であるな。


 ペプシの国内販売権がサントリーのものになって、パッケージが青にかわって、ついでにペプシマンも青くなって、しかも、自分でペプシをぐびぐび飲んでしまっているのは、皆様ご存知の通りである。

 いったい、何事なのかと思っていたが、サントリーはアメリカで、ペプシのボトラーを一社経営していた実績があって、それが縁で、ペプシの国内販売をまかされたという話だ。

「縁もゆかりもないけれど、金がすべてのM&A」とかいう話かと思っていたので、すこし安心した。(ボトラー経営を「縁」と思うのが間違いだという気がしないでもないが)

 と、安心したところで、ためしにペプシをぐびぐび飲んでみたのであるが、うーん、なんか「駄菓子のコーラ菓子の味」というのが、オイラ的な理解だなぁ。いくらペプシマンが「日本のコカ・コーラ社の帝国主義的一社独裁状態を打破するためにペプシのおいしさをひろめて」いても、やっぱ、コークの方がうまいぜ。

 ぐびぐび。ういー。

 はっ! やっぱ、これって、コカの葉のせい?


980309c[ not so cool pages 2 / 「『間違いだらけのサイト作り』の大間違い」の大間違い ]

 書いてから、しばらく考えてみたのだが、どうも、根本的に思い違いをしていたような気がしてきた。

「最強ホームページ」「イカすホームページ」「イケてるホームページ」を作るべく、いろいろ熱く語っている雑誌特集に対して「イケてないホームページのどこが悪いんじゃ!」と文句たれてるだけなんじゃないか、と。

 ぐちゃぐちゃいわんと「個人のWebページをイケてる、イケてない、で評価するって、本質的じゃないよね」って言って、黙ってればいいわけで。

 別に多くの人が、勝手に「イケてるページ作らねばならん!」と燃えて、イケてるページを作るために必死になっても、別に、オレは困らないわけで。「イケてるページを作らねばならない、と思いこんでる人が増えると、いずれやばくなる」ととっさに思ってしまった、オイラが被害妄想というか心配性なのかもしれない。まぁ、ネットには「イケてないページなんかなくなった方がいい」という根拠で暴れる困った人もいるから、あながち心配性ってことでもないと思うが。

 と、いうわけで、980309bで書いた文章は、オレの主張それ自体は間違っているとは思わないけれども、「わざわざ書いた」って点で、間違っていたと思う。(って、わざわざ消さないけども)

 なんつーか、美人コンテストやってる所に「外見で優劣をつけるのは女性差別です!」とかいうプラカードもって突入したら「およびでない」というか。あ、いや、この例は、いろいろ問題があるな。実際に一種の差別なんだろうし。


980309b[ not so cool pages / 『間違いだらけのサイト作り』の大間違い ]

 週刊アスキーの3-19日号の大特集は「絶対に作れる!!最強ホームページ」だ。

 で、その中の一つのコーナーに「間違いだらけのサイト作り・こんなサイトは見たくない!!/サリフ啓太」という見開き記事があり、4種類の「間違い」があげてある。(pp32,33)

  1. 「イケてない日記系サイト」
  2. 「イケてないこだわり系サイト」
  3. 「こんなコメントはゲンナリ!!」
  4. 「こんなデザインはゲンナリ!!」

 これを読んでみると、「デザインはゲンナリ」には、全面的に賛成したいが、「コメントがゲンナリ」は、半分はその通りだが、もう半分は、意識的に読み替えしないと間違っているし、「日記系サイト」「こだわり系サイト」に関しては、根本的に考え方が間違っている。よって、以下にどこがどう間違っているかを書いてみたい。

「イケてない日記系サイト」に関して。
 雑誌記事をまるごと引用するわけにもいかないので、要点だけ抽出すると、

と、いうようなことになる。

 基本的には「著者は他人の日常など知りたくないので、日記ページは作るべきではない」という主張なわけで、「他人の日常を知りたい」と思う人がいた場合に、これだけでは、なんら説得力がない。実際に、オイラ(諸星)を含めて、他人の日常生活をかいまみることを面白いと思っている人間は存在するのであるから、「面白くないから作るべきではない」というだけでは、困る。「他人の日常を知りたいと思う人がいても、日記ページなど作るべきではない」理由を述べるとか「他人の日常を知りたいと思うのは間違っている」と理由こみで主張してもらいたい。

「本日の朝食ネタ」などは、まぁ、「お前、本当にそれが好きで好きでたまらないぐらい面白いと思うか?」と言われれば、悩んでしまうが、ひとりの人が、毎日かかさず「本日の食事」を延々と記録して公開し続けているとしたら、それなりに面白いと思うのだが。「ほぉ、リンゴ半分が、オレンジ一個になったな。なんかあったのかな?」とかさ。単純に「データの羅列」としてではなくて「食事内容の羅列の背後に、一人の人間の日常生活があるのだな」という含みが面白い、のであるが。(「データの羅列」が、それだけで現代詩として、あるいは、栄養学的見地から面白い可能性も無きにしもであるが、そこまではオイラは要求しない)。

 それに、なんというか「面白くないページ」が存在しても、困らないと思うのだが。読まなきゃいいんだし。つまり「自分にとってつまらないページは、他人には面白いかもしれないので、排除すべきではないが、読まなくてもいいので、自分は困らない」のである。無理矢理、面白くないページを読まされるような事態になっていれば、まぁ、話は別のなのだが、その場合は、悪いのは、面白くないページじゃなくて、「無理矢理読まされる事態」の方だろうし。

 特定少数向けのWebページの存在意義を強く主張するのは、実のところ「つまらないページがたくさんあっても、困らない」という前提があってのことなので、特定少数向けのWebページが存在することで、公共の福祉に反するような事態が発生するなら、また話は別である。例えば、ネット全体でWebコンテンツの総量が規制されていて、特定少数向けWebページのせいで、多くの人が必要とするWebページが開設できなくなる、とか。特定少数向けWebページに否定的な論調の文章は、色々な事例をあげて、「特定少数向けWebページの存在が公共の福祉に反する」といいたげであることが多いけれども、実際に「これこれこういう理由で、公共の福祉に反する(ので存在すべきでない)」ときちんと説明してある文章には、あまりおめにかからない。

 ただ「飲み会写真を公開して、ストーキングされればいい」というのは、ある意味で、本当の話で、日記系サイトは、つねに「プライバシーの漏洩・侵害」の問題を抱えているわけで、そこいらあたりに無頓着なまま日記を書き続けることに問題があるのは、本当の話である。ただし、それは別の話であって、「面白くないから作るべきでない」という主張の根拠にはならない。

「イケてないこだわり系サイト」に関して。
 著者曰く、

『自分の好きな物について強烈にアピールする“こだわり系”のサイトも、「こりゃ見たくない」とおもわせてくれるシロモノが少なくない。非常に特殊な対象についての思い入れを延々と語ってしまっているので、見ているほうは完全にシラけてしまうのだ。』
であり、その例として「鉱物関係者以外二度とアクセスしてくれないだろう」サイトと、「過去のアイドルをまじめに応援する」サイト、をあげている。

 これこそ、最大級の勘違いで、「特定少数向けの情報を公開できる」ことがWebの特徴なのであって、「Webは不特定多数向けの情報を載せなくてはならない」という発想でWebについて語ってもらいたくない。まぁ、語るのは勝手なのだが、少なくとも、こういう発想で「不特定少数向けWebページ」を批判するのは、間違っている。

 鉱物ファンのページのキャプチャ画像のキャプションに「鉱物について熱く語っている。鉱物ファンにはたまらないサイトのひとつだが、一般的にはつまらないサイトのひとつだ」(強調はオイラ(諸星))と書いてあるが、「鉱物について語るサイトが、鉱物ファンにはたまらないサイト」だったとしたら、こんなすばらしいことは、ないではないか。この上にいったい何を望むんだ?

 と思って読んでいると「もちろん、個人が自由に情報発信できるのがサイトのいいところなのだが」とか「このページ(記事のこと)自体が大きなお世話ですみません」とか「アクセス件数が気になる人は、あまり特殊なこだわりを全面に出さない方が得策だろう」とか「異常に特殊なこだわりを前面に出した場合は“イケてるこだわり系サイト”になる可能性もある」とか書いてる。

 なんだ、わかって書いてたのか。その通りこの記事は「余計なお世話」であるし「世間はアクセス件数を気にする人が多い」のだろう。ただ「イケてるかどうか=一般ウケするかどうか」を判断基準にしているあたりは、やはり「わかってない」のだろう。

「こんなコメントはゲンナリ!!」に関して。
 著者は「(笑)」がゲンナリだ、と主張しているが、これはある程度納得できる。オイラも最近、「(笑)」や「(^_^;;」をワープ日記の文章から排除しつつあるので、「ゲンナリ」する気持ちはある程度わかる。

 まぁ、記事の著者やオイラがゲンナリするから、という理由だけで「使うな」と主張するわけにはいかないが。(オイラは個人的に、使うべきではないと思う理由があるのであるが、この話とは別の話になるので、ここでは述べない)。

 また著者は「見る側にとってまったく意味がわからないコメントもかなり怖い。『油に興味ある方、メールちょうだいね!』。これは、どうしたことだろう?」と書きつつ、このコメントの趣旨をいろいろ妄想したあげくに「とにかくゲンナリだ」と書いている。

 他人の書いてる文章の意味がわからないからと妄想をたくましくしたあげくに「ゲンナリだ(だからやめろ)」と書かれてしまうと、本当に困る。気持ちはわかるのだが、批判になっとらんじゃないか。

 しかし、この話は、ちょっとひねると「専門外の人にも、ある程度内容が理解できるような文章の書き方、ページ運営方針をとる方がよい」という教訓になる。これは、一度考えてみるべき立派な教訓だ。

「こんなデザインはゲンナリ!!」に関して。
 著者は「変な吹き出しや、無意味に大きい字、タイトルバーに流れるしょういもないメッセージなど、これもゲンナリである。」と書いている。

 これに関しては、オイラもかなり同感なので、文句はない。


 と、いうわけで、著者が個人的な好悪を基準に「(オレは)こんなサイトは見たくない!!」と主張していることは、わかる。また「開設するなら、みんあに愛されるサイトにしたいもの。」とか「アクセス件数が気になる人は」とかいう価値基準を明確に自覚した上で「間違いだらけのサイト作り」と主張しているなら、その意味では、わかる。

 しかしながら「個人ページも、アクセス数がたくさんあればあるほどよい」とか「万人にとって価値あるページをめざさなければならない」という思想には、反論があるので、そういう思想を無批判にバックボーンにした記事は評価できない。

 よって、この「間違いだらけのサイト作り・こんなサイトは見たくない!!」こそ、間違いだ。

 個人のWebページの最初の開設動機は「自分にとって役に立つ」であり、次に「不特定少数にとって役に立つ」であるべきだ。一般ウケする(不特定多数にとって役に立つ)かどうか、は、この二つの動機の前には、かすむ。

 それにしても、個人ページも増えて、プロバイダ系の個人ページの歴史も、そろそろ4年にもならんとするのに、この程度の発想の記事が書かれてしまうことを考えると、日記ページの存在意義や、個人ページの意義などについての認識は、前進するどころか、退化しているのではないか、と思う。

「日記ページも個人ページの定番として定着したので、日記ページの意義、とかいう啓蒙的な話は、用済になった」という発想は、間違いだったのかもしれない。初心者は毎年現れるという意味でも、人はやがて初心を忘れるという意味でも「Web日記の意義」は、語り続けなくてはならない。

 なら、まず、お前が語れよ>オレ。


 さて、ここまで読んで「トモロはなにをぶりぶり怒りまくってるんだ?」と思った人もいるかもしれないので、いちおう、解説というか言い訳しておくと、実は、「論理的に書く」という本を読み返して、主義主張するときに「でないかと思われる」とか「した方がよいのではないかと思われる」とか、逃げを含んだ文章をなるだけ排除したい、と思っってしまったのだ。そのために、意識的に「強烈な言い切り」を多様してみたのだが、そうすると「偉そうすぎるぞオレ」な文章になってしまったのだ。言ってみれば「暴言体」というか。別に本気でブリブリ怒っているわけではない。

 それに、元の雑誌記事の「あざけり調」も本気であざけってるわけじゃなくて、記事としての商品価値を高めるために、偽悪調、暴言調で書いただけなんだろう、と思う。

 しかし文体の話を抜きにしても、、せっかく「最強ホームページ」とかいう企画の一環として書くのなら、「Web日記はどうすれば、よりよいコンテンツになるのか?」とか「現状の個人ページの問題点と改善方法」のような、建設的な記事を書いた方が良かったのではないか? と思うし、そもそも、記事ネタとしてとっさに「Webページは不特定多数向けであるべきなので」という前提が浮かんでしまったとしたら、それは非常に残念なことだよ、と。

「Webページは、不特定少数向けのコンテンツに向いている」っていうことを前提にした記事がパソコン雑誌、ネット雑誌に載るようになって欲しいと思う。


980309a[ daily life / 日常生活(月) ] / 医学部の恐怖 / 理系クンの実験系のココロ /

 本日の歩数、6,500歩。

 本日は、用事があって、近所の大学の医学部まで行って、医学部図書館というところで、資料を探してみたりしたんだ。

 ゲットしてみると、なるほど、業務関連な内容なんだけども、学術雑誌の名前を含めて「どーして、オレらが大学の医学部に?」という雰囲気だったんだよ。

 けど、部外者のオイラ達は、中に入るまでにいろいろ面倒くさい手続きがあって、面倒だったんだよ。

 それにしても、医学部図書館って所は、内容的にはオイラの出身大学の中央図書館と工学部の資料図書館と似たような場所なんだけども、なんつーか、張りつめた雰囲気が、ぜんぜんちがっていたよ。

 たくさん人がいるのに、誰も音を発してないんだ。耳がどうかなったかと、思ってしまったんだよ。

 そうやって、びびりながら歩いていたから、床に置いてあったゴミ箱をけっ飛ばしてしまったんだよ。そしたら、ガランガランガラン! っていうとんでもない轟音が響きわたったんだよ。オレとスパユザ様の心臓は止まりそうになったんだ。そして、広い図書館の全員の視線が一斉にオイラに集まったんだ。その冷たい視線が冷凍光線だったら、オレは一瞬にして氷像になってしまうぐらいの視線が、バッ! っと集中したんだ。(って書いておきながら、白いスプレー吹いておいて、サランラップをまけば氷像にみえるかな? とか考えてしまうオレは、悪い意味で特撮ファンなのね)。

 うえーん、医者の卵って、超こわいーん。

 あまりに図書館が恐ろしかったので、次に薬学部図書館に行くはずが、まちがって「医学部解剖学教室」のビルに入ってしまったんだ。もぉ、ものすごくこわかったっす。

 誰もいない古いビルで、天井は高いのに通路が狭くて。なんか、いつなんどき、曲がり角の先にマッドなドクターが現れて「じゃ、切りましょう」とか言い出すか知れないぞ! みたいな。

「あー、こういう怖い雰囲気の中で、戦時中は捕虜の生体解剖とかしてたんだなぁ」とか、感慨深いんだね。

 つい先日、梶尾慎治の「ドグマ・マ=グロ」を再読したばっかりなので、「魚面した倍尾院長が、培養体を機械の身体に埋め込む」とか「地下室から生体改造を行う秘密結社の構成員がわらわら湧いて出る」とか連想してしまったんだ。

 転げるように逃げ出して(大げさ)、向いのビルの薬学部に逃げ込んだんだ。

 薬学部も、なんかよそよそしい雰囲気で、不気味だったんだよ。けど、薬学部図書館になかった資料が、研究室にあるということで案内してもらったら、なんか、とてつもない懐かしい雰囲気にでくわしたよ。

 廊下にはみだした物品。薬品冷蔵庫、ガスボンベ、試薬棚、使わなくなったPC98。

 すれ違う院生さん達の首からは、タイマーがぶらさがっている。オイラが修士のころにぶら下げていたTANITAブランドのタイマー(赤)をぶら下げている院生とすれちがって「おぉ同志!」とか叫びそうになったよ。

 案内してくれた図書館の事務員のオネーサンは、何度も「ちからってて、すみません」と言っていたが「大学の研究室ってのは、こういうのが正しい姿で、さっきの図書館はよそよそしすぎ」と思うのはオイラだった。

 そして、資料を発見するために、次々に研究中の人々に話しかけるはめになったよ。邪魔してごめんね。

 薬学部だけあって、男女比が半々ぐらいで、なんかうらやましかったよ。工学部のオイラの出身学科だと、女性濃度は、ppmオーダーだからね(うぞ)。

 マイクロピペット片手に、なにやら試薬を充填してたらしい茶髪なオネーサンは、マイクロピペットを持ったまま、あっちこっち探してくれたし、すんごいかわいいメガネっこが、廊下の冷蔵庫をがさがさかきまわして試薬を取り出してるのを邪魔したし。おねーさんが流しでガシガシガシガシと試験管を洗っているのがあまりに迫力ありすぎて、背後から声をかけられずに、素通りしてしまったよ。最後は、薄暗い実験室の片隅の本棚から、資料は出てきたんだ。

 スパユザ様が貸し出し手続きをしてる間、ふと、実験台を見ると、どうみても「お好み焼きのヘラ」な物体ががきちんと並べて置いてあったんだ。ステンレス製の調理器具は、実験用具に転用すると具合のいいものが多いんだね。けど、ひょっとしたら、「どう見てもお好み焼きのヘラ」に見える物体は、理科学実験用具カタログにしかるべき名前で載ってる「実験用具」かもしれないんだ。

 ヘラの先端に、ちょっとあやしい曇りがあったのもあったので、オイラは手は出さずに、じーっとそれを見ていたんだけども、横にいた図書館の事務員のオネーサンが「これがどうしたんですか?」と聞いてきたので「おそらくお好み焼き用のステンレスのヘラを実験用具に使ってるんだと思うんですが、ひょっとしたら実験器具として専門に売ってるのかな、と思って」と正直に言うと「そうですねぇ」と手を伸ばした。

 いくら元がお好み焼きのヘラだろうと、他人の実験器具は「1.触っただけでこっちの肉体が致命的にやばいぐらい汚いかも」というだけでなく、むしろ「2.触っただけで致命的に実験妨害になるぐらいにこっちが汚いかも」って可能性があるので、許可無く触っていけないってのは、理系クンの常識だろう。だから、まさか、他人の実験器具にいきなり手を伸ばす人がいるとか、オイラは想像だにしてなかったので、頭の中では「やめんか!」と思いながらも、声も手も出せなかったんだ。

 けど、見てないようで、視界の隅で監視してたらしい、そこの院生が「さわんないでください、発ガン物質ついてますよ」と鋭く警告したので、事務員のオネーサンは、ビクッ! と手をひっこめたのだった。あー、危なかった。

(いま書いてて気づいたけど、オレがさっき感じた「あー危なかった」ってのは「発ガン物質に事務員さんが触れそうで、危なかった」ではなくて「大事な実験道具が、わかってない人に触られそうで、危なかった」っていう「危なかった」だったなぁ、と。)

 なんつーか、久しぶりに「理系のココロ」が震えたぜ。つーか「理系の」よりむしろ「実験系のココロ」かな?

 非常階段の踊り場に、アウトドア用折り畳みテーブルとくつろぎチェアが置いてあって、院生が休憩してる姿を見ると「なんか、あまりによく知ってる風景だなぁ」とか思ってしまったよ。きっと、研究室の中には、シュラフや折り畳みベットがあって、床眠りする人々もいるんだろうなぁ。

 しかるべき文房具屋でコピーした後、返却に行ったら、「くぅ!」ってくるメガネっこが応対に出てきたんだ。この「頭はいいんだろうけども、ちょっと服装がどんくさい」感じが、すげーいいなぁ。タイプだなぁ。とか思ったんだけども、彼女の首からもタイマーが下がってて、それが容赦なくカウントダウンしているのを見てしまうと「あ、おじゃましました」という申し訳ない気持ちが湧いてきたので、そそくさと退散したんだよ。(って、タイマーに気づかなかったら、長々と話し込む魂胆だったのか?>オレ)

 で、「あの先生に渡してください」ってメガネっこが示した先生は、白衣を着たすげー美人だったんだけども、その白衣の美人が「あ、どうも」と差し出した手には、いわゆる「手術用ゴム手袋」がピッチリはまっていて、工学部出身なオイラは、その「なまもの系」のやばい雰囲気にたじたじになって、渡しかけた資料本をひっこめてしまったのさ。


 と、いうわけで、今日は、なんか、「大学研究室の世界」をかいま見て、懐かしい気持ちになりかけたんだけども、王様の「王様の恩返し」を無限リピートで聞きながら、修論書き続けた徹夜の日々を思い返すと、戻りたくないのだった。

 って、今もまー似たような生活を送っている気がしないでもないが。わはは。


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