諸星未来堂ワープ日記
"MAX"漬けの三月第一週
MOROBOSHI Tomorou's
Warp Diary
1998 March 1st Week
Japanese-Language Contents
本日の歩数、17,000歩。
録画しておいたテレビ番組をチェックする。
「夜もヒッパレ」は、MAXが出てなかった。録画しそこなった先週のには出ていたのに。くそー。
「ラブラブあいしてる」は、バンドごっこが楽しそうだ。スーパー!?テンションズの「しゅう」は、何度みても、出川哲朗に見える。
「CDTV」は、ゲストライブのkiroroが歌がうまいのに、びっくりしてしまった。歌がうまい人ってのはたくさんいるのだなー。
「星獣戦隊ギンガマン」は、始まったばっかりなので、なんともいえない。戦隊は、「ありがちな設定を背負わされた、売り出し中の若い俳優さん」が「すっかりなりきって熱血ドラマにはまっていく」課程が面白いと思うので、初期は設定的なおもしろさ以外には、みるべきところがないと思う。んで、最近、設定的には、特に「これはすごい」っていうような新味はないわけで、モチーフ的には、ジュウレンジャーそっくりに思えてしまうし。(アースフォースはチェンジマンか)。しかし、「五星戦隊ダイレンジャー」が、モチーフ的には「光戦隊マスクマン」と同じ(拳法で鍛えた体に気力(オーラパワー)が宿る。隊長は、座禅組んで宙に浮かぶ)だったにもかかわらず、まったく違う物語になっていたように、表面的な設定の類似は、演出によってまったく違う話にできるので、問題ではないと思う。結論としては「様子みり」ってことですな。
「鉄腕探偵ロボタック」は、カブタックと同じネタを犬ロボにした、としか思えない話で、しかも「ロボタック」って名前が、とてつもなく、デジャビュを感じせるので、困る。「ワンタック」ぐらいにしてほしかったかも。とはいえ、お話としては、ありがちな不思議コメディの王道パターンなので、危なげなく進むのではないかと思う。まぁ、争奪戦の対象になっているワンダーツールだかなんだかが、いまひとつ何なのかわからないのが、いまいちではあるが、審判役のマスター・ゾウキング(じゃなくて)が納谷六郎声で、「がんばるんだゾォ」とか厳かに宣言してしまうのは、なかなかナイスだ。あとは、カブタックのスーパーチェンジが、ジシャックチェンジになって、ロボたちは手足がひっこぬけて組み替えになるので、変形の自由度が増している。よって、敵役もロボタックも、一度ばらばらになって組みかわるので変形前後でシルエットががらっとかわるので、みてて楽しい。おもちゃも売れるんじゃないかな? カラスロボがあまりにかっこいいので、買ってしまうかもしれない。と、いうわけで、ロボタックは争奪戦がどううまくこなれていくのか、と、フォーマットを逸脱するネタを生み出すことができるかが、これからの勝負どころだとおもうバウー。期待していきたい。
朝10:00から、MAXのライブチケットの発売開始なのであるが、リダイアルしつづけても、当然のごとくつながらないので、10:30分に電話は断念して地下鉄にとびのって、IMSのチケット・ぴあ、まで出向いたが、11:00には全席(立ち見含めて)SOLD OUTになっていたんだよ。ぐえ。
ほんとにたった1時間で売り切れられるのか、っていう疑惑をおぼえたんだけれども、ぴあのお姉さんの台詞をオレ的に解釈すると、「予約かなにかされてますかー? ないんですか。えーと、座席指定分は、予約で売り切れてるので、あとは、立ち見しかないんですけど。えーと(端末操作)、あ、すみません立ち見もさきほど売り切れてますね」とのことだったので、「座席指定分は先行予約販売で売り切っておいて、通常の発売開始日は、先行予約のあまりと、立ち見を売る開始日」だ、ということらしい。
ぐあ。ぶしゅー(血しぶき)
「おれは、なんと世間の常識を知らないのだ!」と、ショックを受けてしまったのであるが、これでやっと「どんなに人気があるアーチストであろうとも、千人単位の人間にチケットを販売するのが、日本全国でやったとしても、1時間で可能なのか?」っていう疑問が解消された。予約開始日前から、すでにSOLD OUTになってるのな。
まぁ、全国一斉に平等に販売が開始されるよりも、しかるべき情報収集と投資をして先行予約権をゲットした濃い人から、いい席が確実に手に入る仕組みになっているのが、正しいと思う。不覚。
と、自分をなぐさめるオレなのであるが、いちおう、当日はダッフィーチケットめあてに、会場前をうろついてみようかしらん、とか思わないでもないけども、すかさず「当日にはMAX熱もさめて、いかないだろう、に100カノッサ」と賭けられてしまったので、困ってしまった。いや、オイラもいかないだろう、に賭けようかと思っていたので。
スーツ用のシューズがボロクソになっていたので、ここらで新調するべ、と靴屋に。なんとなくホーキンスAirのシューズにする。なんだかんだいって洋服類のブランド、よりも「新機能」みたいなものにひっかかってしまうオレは、ガキのころは変形筆箱に燃えた世代さ。時計も、時計的ブランドよりも、別の次元の「新機能」みたいなものにひかれがちだし。
帰宅すると、げんなり疲れている。んがしかし、本日は15時から、某所で仕事場仲間の結婚披露パーティー(まぁ、会費制の二次会みたいなものか?)に出席せねばならないので、スーツに着替える。シューズ買ったのも、実はこれがあるから。
んで、招待状をあらためて確認すると「場所:##(リーがロイヤル小倉前)」と書いてある。「こくらぁ!?」
壁の時計は、すでに13時。まずったな、確かに、小倉で開催されるってことを認識していたはずなのに、それがどういうことなのか、理解してなかったらしい。脳の中で勝手に「天神のどっか」と認識されていた。風邪で脳がいかれぽんちになっていたのか?
13時に平服きてリビングに立っているオレが、15時に小倉の某所にスーツ姿で立っていることが可能か? 十津川警部的トレイン・ミステリーなら、当然可能なんだけども、(だって2時間もあるし)、オレがいまからそれをやって可能なのか? と思うと、途方にくれそうになる。
「けど、快速で1時間15分ぐらいで、1200円ぐらいだから、新幹線使えば、20分で、2000円ぐらいだろう」と、あたりをつける。1000円程度追加投資すると、時間が40分ぐらい買えるわけだ。
しかし、小倉までいかなきゃいけないことを自覚してたなら、あと1時間ばかり早く動けばいいだけだし、動けない事情は何もなかったわけで、我ながら自分のバカさにあきれてしまうのだった。
つーわけで地下鉄のって博多駅についたら14時ジャストで、14時09分発のひかりに乗ったら、14時30分には、小倉駅に到着していたよ。
焦って損したなぁ、余裕まくりじゃーん。
うーん、しかし、おれの家から博多駅までの方が、博多駅から小倉駅よりも(時間的には)遠いじゃないか! ってのが、けっこう悲しいものがあるなぁ。まぁ、金額的には8倍は遠いのであるが。
で、結婚披露パーティーだったのであるが、新婦の同僚とご学友ということで、22才から25才までの、おねーさんが20人以上もわらわらしていたので、とってもうれしかったんだよ。
けど、ノリが結構冷たかったので、かなしかったよ。
そうそう、「堅苦しいスーツはやめて、カジュアルな服装で」という連絡がオイラには届いていなかったのさ。だから、ネクタイしめてるのは、野郎25人中、オレともう一人だけだったのさ。ちょっと、浮きそうな気配がしてたんだよ。
けど、おねーさんらは、それなりにおしゃれな格好してるわけだから、スーツにネクタイでも、そんなに浮かなかったよ。逆に、ジーンズ+トレーナーとかいう「おめーカジュアルにも限度があるだろ」な服装な連中が逆方向に浮いてたんだよ。どうせ浮くなら「なにこいつ、スーツとか着てきてるわけ?」の方がいいな、オレ的には。
結婚式二次会って「新郎新婦のなれそめ暴露クイズー」とか「余興でおめでたい系の歌を歌え」とか「全員参加ビンゴ大会」とか、盛り上がるのか盛り下がるのかわからない、ありがちなイベントで2時間、つつがなく時がすぎるものなんだけども、今回は、お約束で新郎友人代表らがGLAYの「ずっと二人で」を熱唱してて、みんな、一見楽しそうな顔して手拍子してたりして、で、ふと、背後を振り返ったら、部屋の壁面に並んだ休憩用の椅子に、新婦側同僚らが、ずらっと座って、つまらなそうな顔してたので、怖くなって見なかったことにしたよ。うふ。
実際、そんなに楽しくないイベントではあるが(オイ)合コンじゃあるまいし、「なんであたしが、わざわざそんな歌の手拍子しなくちゃいけないわけー?」とかいう顔で枝毛の手入れとかされたら、困ってしまうんだけどなぁ。うーむ。
とか、こういう発想をしてしまうってのが、すでにオヤジなんだろうかなぁ、オレ。
ま、というわけで、結婚披露パーティーは、新郎側の仕事場同僚(オレら)、新郎のご友人、新婦のご友人、がありがちに盛り上がって、一部、新婦側同僚さんたちが、しらけた雰囲気のなか、進行したんだよ。みんな気づいてないふりしてたけど。
新郎新婦が花束もってクラッカーの嵐の中を退場して、つつがなく、結婚披露パーティーは終了したんだ。
で、新郎新婦が退場した会場には、男女半々で50人ぐらいの人間がわらわらしてたんだ。
こういう時に、お仲間どもは、電光石火の早技で、「かわいい女の子ゲット」を開始するんだけども、ホームタウンじゃない小倉の町では、勝手がちがうんで、カラオケか、飲み屋か? ってあたりで、なかなか作戦が決まらないんだ。
こういう場合にぐずぐずしてると、女の子たちは「あたしたち、かえりますからー」と消えてしまうから、最善の作戦を時間をかけて錬るよりも、とりあえず確保、って方向で進むのが、先決なんだね。
けど「仕事場ナンパリーダーと四天王」は、新婦側同僚さんたちの「寒い空気」でイヤンになったのか、乗り気じゃないんだ。端的に言えば「今日は二次会なしってことにして、寒いオネーサンたちには、帰ってもらって、寒くないオネーサンたちが、万が一残っていたら、その娘さんたちを誘いたいなぁ。誰も残ってなかったら帰ればいいしー」と、消極作戦を提案し始めたんだ。オイラは、ナンパキングと愉快な仲間達が「寒い娘を誘うぐらいなら、今日は帰りたい」と言うのを初めて聞いたので、びっくりしてしまったんだ
で、オイラたちが、店の中に視線を戻すと、椅子に座った「彼女たち」がジトーっとこっちを見てるんだ。こえええええええ。
なんていうかなー、オイラが単独行動している時は、おねーさんらと縁がないし、仕事場仲間と飲んでる時は、ナンパキングどもがまず動くから、オイラは「ちょっとあんたたち、女の子ほったらかして帰るつもりなの? じょーだんじゃないわよ」という目でにらまれたことがないのだな。
ま、覚悟を決めたナンパ王と愉快な仲間達が「じゃーみんなー飲みにいくー?」とにこやかに話しかけて、武力行使は避けられたんだね。うふ。
カラオケ居酒屋にいったんだけど、ウチの若い連中は、ちょっとキレてしまって、女の子無視してカラオケ熱唱しはじめて、おこった女の子の一部がカラオケ熱唱しはじめて、端からみてると盛り上がってるのに、なんか険悪な雰囲気だったよ。みんな、大人になろうよー。
ギャグのつもりで、いつもの宴会芸「SPEEDを男声で熱唱して超イヤーン」を仕事場仲間といっしょにやったら、女の子の一部から本気で怒られてしまって、困ってしまったよ。彼女達によっては、SPEEDは「きちんとフリつきで歌うもの」で「ギャグの対象」じゃなかったらしいよ。ごめーん。
「あーさむ」「さぶっ」「さむーい」って台詞を256回ぐらいきいてしまって、本当に自分のギャグがオヤジギャグになってしまっていたことに気づいたんだよ。人は知らないうちに年をとるんだねぇ(しみぢみ)。と、文句をいいながら、怖いオネーサンズとのカラオケバトルは、若い連中にまかせて、オイラと歌わない人々は、比較的お話が通じる「新婦のご友人」のオネーサンたちとお話してたのさ。
美人のオネーサンと、喋りがナイスなオネーサンがいて、けっこう楽しかったよ。オイラは、顔一流喋り二流のオネーサンよりも、顔二流喋り一流のオネーサンのほうが、うれしいな、と思ったな。(って偉そうなんだよ>オレ)。
でも、みんな彼氏がいるんだよなぁ。って君は何を企んでいたのかね?>オレ。
ジャガイモと明太子のチーズ焼きが異様に美味しかったよ。今度うちでもやってみよう。
快速と鈍行を乗り継いで、福岡に帰り着いたら12時ぐらいだったんだ。
けど、なぜか、みんなで、「けっこううまいラーメン屋」に潜り込んで、大盛りラーメン食べて、替え玉までしてしまったんだ。けど、けっこううまいラーメン屋はけっこううまかったけど、最高にうまい、ってわけでも、なかったな。けど、最近オイラが、長浜ラーメンに耐えられなくなった理由は、少しわかったんだ。
なんか、今日は、一日いろいろあって、酒は飲んだし、電車にのったし、女の子の相手して、楽しかったり寒かったり、いろいろだったよ。
いつ読んだのか謎だが、「卑弥呼伝説」井沢元彦、を読了したよ。今日読み始めたから、電車の中か、どっかで読んだ筈なんだけども、いくら思いだそうにも、自分が読んでた記憶がないんだなぁ。うーむ?
内容は、「逆説の日本史1」の「卑弥呼は殺害された」説にが殺人事件の謎解きとからめて書かれるんだ。「逆説の日本史」を書き始める前の小手調べだったらしいから、「逆説の日本史」だけ読めば、充分だと思ったよ。小説としては、いまいちだし。
980307a[ daily life / 日常生活(土) ]
/ 低体温
/ かけ声の威力
/ 宗像大社
/ SF研飲み会
/
本日の歩数、12,000歩。
起きたら夕方だったんだ。身体中が冷えていて、元気がでない感じなんだ。あまりにやばそうだったので、ずるずるとリビングまではっていって、クノールカップスープにお湯を入れて飲んでみたんだ。そしたら、すこし体温が上がった気がして、やっと身体が稼働しはじめたんだ。変温動物だったのか!
まだ調子が出ないから、残ったお湯で、森永ココアを作って飲んでみたんだ。これで、かなり体温があがってきたんだ。
やっぱ、山で遭難して体力がおちてきたときは、暖かい物を身体に入れるといいらしいな、と思ったんだ。けど、二重窓で防寒対策した部屋の中で、羽毛布団にぬくぬくくるまってて、この状態になるオレって、山にいたら速攻で凍死?
なんか、無意識に「どっこらしょ」とか「よーし」とか「ぐごごごごご」とか声に出してしまうのが「体力の低下を無意識に補完しているのか!」というか「オヤジになったのか!」というか「変な人なのか!」というか。特に「ぐごごごごごご」ってのは我ながらバカみたいだなぁ。けど、立ち上がるときは「ぐごごごごごご」とか声にだすと元気がでるのだ。ってロボットかよお前は>オレ。ちなみに掃除の時など、新聞紙を重ねて縛り上げるときなどには「ヘヤッ!」「ジュワッ!」などとウルトラマンなかけ声をかけつつ、投げ飛ばすと、なかなか片づくぞ。って投げ飛ばしたら、よけい散らかるじゃないか!
まぁ、かけ声=オヤジ化は感じるわけで、子供の頃は、風呂だのトイレだので声をあげて気合いを入れている父親を「何してるんだ?」と不審の目でみていたのであるが、最近は、同じかけ声を無意識に使っている自分を感じてしまって「幼児記憶とは鮮明なものだな=三つ子の魂百まで」なのか「かけ声は遺伝するのか?」なのか悩む今日この頃だ。特に、トイレで大便を終了して、勢いをつけてトイレから出るときに「ティッ!」というかけ声をかけていたオヤジを「何してるんだろ、パパは?」とか思った記憶があるが、たしかに「ティッ!」という声は気合いが入るのだ。父から子へと受け継がれる伝統。
と、いうようなことを考えながら、ホッとカーペットからエネルギーを得ていた所、電話が鳴ったので出ると、GTからだったんだ。自動車学校に通っているGTは、「このままじゃ、無事に第三段階にあがれないんじゃないか?」とか、悩んでいるらしくて、宗像大社へ、交通安全祈願に行きたいとのこと。
「普通に自動車学校にかよってて、卒業できねーなんてことがあるのか?」という疑問が脳をかけめぐるほどには体温はあがってなかったのであるが、宗像大社に行くのは、なんとなくよさげな気がしたんだ。井沢元彦読みまくりなオイラとしては、ここらで「天照大神の娘の三人の姫をあわせて宗像の神」とかいう無茶な神様をまつっている神社でも眺めて「卑弥呼の墓はここだ!」とか喚いたら面白かろうと思ったのだった。(誰も宗像大社を卑弥呼の墓だとは主張してないので、念のため)
シャワー浴びてとりあえず体温をあげてみて、自動車でGTひろって、走りますよ東へ。宗像へ。国道三号線を。
途中、完全に自動運転モードに入って、実家への道をひた走っていて「実家コースなのか?」と言われて我に帰ったんだよ。なんかもぉ、香椎の国道分岐点にさしかかると、自動的に実家コースに乗ってしまうんだね。
ふと見ると、ガスがからっぽだったんだよ。やられた!
GTが満タン分、出してくれたんだよ。うふ。
宗像大社についたんだよ。宗像大社は、福岡県玄海町田島にある「辺津宮」と、沖合11kmの大島の「中津宮」と、沖合60kmの「沖津宮」が合体した姿なんだ。だから、「宗像大社」と書いてあっても、本当は「宗像大社1/3」なんだね。
宗像大社は航海安全の神様から転じて、交通安全の神様なんだね。福岡市内の車にぶらさがっている「交通安全」のお札は、例外なく宗像大社のものなんだね。社務所に入ってみると、車のお祓いの申込み用紙があってね、ナンバーだの、重量だの、排気量だの、住所だの、なんだのかんだの、かかされる上に、指定の窓口に提出して登録しないといけないんだ。しかも、車の大きさで、お祓いの値段が細分化されてるんだ。もーみてると「車両税か、重量税の窓口なのか!!」という気がしたんだよ。ひょっとしたら窓口には巫女さんじゃなくて、交通安全協会のまわしものが座っているのかもしれないね。
そのあと、広々としたガラガラの駐車場の隅っこで、仮免ももってないGTがオイラの自動車で違法に運転練習した、という事実は、当然ないんだよ。うふ。
SF研の卒業生追いだしコンパに、OB面(おーびーづら)しに出かけたんだよ。
そしたら、その存在すら忘れていた「ゲド戦記4巻」が戻ってきたんだ。懐かしいなぁ。あんまり面白くなかった気がするんだけども。そして、卒業生にかりてた筋肉少女帯のCDを持ってくるのを忘れていたことに気づいてしまったんだよ。叱っておくれよブラバッキー。
卒業して社会に旅立つ人間と、卒業して大学院に進学する人間を合計しても、「好評によりもう一年放送延期」な人間の数に届かないあたりが、なんだか、とっても「SF研」だな、と思ったんだよ。しかも、「好評により放送延長」のくせに、単位取得状況によっては「2クールで打ち切り」がやってくる人もいるらしいよ。みんな、先輩の後ろ姿を見ながら大きくなったんだね。
そう、「工学部の部長は留年する」という呪いの系列にオイラも連なっていたのさ。うふ。けど、すでに卒業して何年もたっているので、なんだか、よく思い出せないんだね。遠い日の思い出なんだね。
けど、中には、留年しない工学部な部長もいるんだよ。優秀だったんだろうねぇ。
そういう事情とは無関係に、「ループとSF」とか「プリプラと作者Web日記」とか「ジャイアントロボは許す!」の話をしたんだよ。
酒の席での放言をWebに載せてしまって責任とれるのか謎なんだけども、いちおう文責オレってことで、以下のような話なんだ。
「鈴木光司は、『SFに関して無知である』ことを武器にして、いまごろ王道SFを書いてしまうのだから、凄い人だ」ということになってしまったよ。「凄い人」ってのが、実は「凄い単純」とか「凄い脳天気」とか「凄いお気楽」とかいうネガティブな意味を多分に含んでいるあたりが、やっぱ、僕らってSF研だな、と思ったよ。やっぱり、SF研の人間は、防水シートにくるんで埋めてしまうのが世界のためかもしれないよ。燃やすとダイオキシンが発生するからさ。
けど、まぁ、「知らぬが仏」というような皮肉な見方をしていても、やはり「ループは面白かった」、ってのが、結論になるんだよ思うんだ。だから、「SFかどうか」とか「SF界ではすでに常識だった」かどうかとか、一般人にとってはどうでもいいことで、「どうかんがえても面白いSF」が、たとえSFだと思われてなくても、世間でベストセラーになることは、いいことだと思うんだよ。
なんというか、「SFとしてはいまいち」とか「SFになってない」「パラサイト・イヴ」や「ブレイン・ヴァレー」がSFだと思われてなくて世間でベストセラーになるよりも、ずっと幸せなことだと思うんだよ。
あと、鈴木光司が自作とか小説作法とか人生哲学とかについて語っていることと、「ループ」が傑作だったことは、実は直接は関係ないんじゃないか? という疑惑をおぼえているんだ。この疑惑が正しいかどうかは、他の作品、これからの作品をみていかないとわからないから、これから注目していきたいんだ。けど、念のためいっておくと、作家は面白い作品さえ書いていれば「どうして自分が面白い作品が書けるか」について正しく認識している必要はないと思うんだ。
ちょっと例えは変かもしれないけども「長嶋さんは天才的な野球選手だったけども、長嶋さんが語る『どうして自分は天才なのか』ってのが正しいとは限らない」ってことなんだね。
「プリプラと作者Web日記」に関しては、以下略なんだね。「がんばってほしいですね」というのが結論なんですけども。
まぁ、パクリとか盗作とか、そういうことは思わないんだけども、オイラ個人としては「プリプラがエヴァと無関係に創作された」としたら、それは「ニューロマンサーのチバ・シチーは、ブレードランナーと無関係に創作された」ってのと同じぐらいすごい神話だなぁ、と。(プリプラ作者は「無関係に創作した」とは言ってないんだけどね。「無関係に創作したわけじゃない」が「盗作した、パクった」と同じじゃないことは言うまでもないことだよ。)
「OVAジャイアント・ロボ」に関しては「あれはないんじゃないか、でも許す(絶叫)」ってことらしいよ。どういう意味かは、まだ7巻みてないオイラにはわからないけども「許す!」らしいよ。たぶん、オレも許すんだろうな。
あとは、ギンガマンの馬のおもちゃをみたら、みんな、マスターガンダムを乗せないと気が済まないらしいよ。困った人たちだね。
そうそう、ガチャポンのロボコンシリーズをいくつか見せてもらったよ。やっぱガンツ先生の造形はナイスだね。ナイスだけど、ばらばらにすると、なんかキング・ジョーみたいだよ。
「次は『M:tGで破産』っての、かっこいいな!」って台詞が聞こえてきたんだけど、空耳だったことにしておこう。
と、酒に飲まれつつ、偉そうなことを喚いてきたんだよ。「何様のつもりだよ、おまえら?」と思ったとしたら、それは大正解で、SF研の人間ってのは、やっぱり、樹脂で固化して日本海溝に投棄したほうがいいと思うんだね。
と、いうような自虐というか偽悪的な書き方をすると「本当にSF研の奴らってヤナやつだなぁ」と思われてしまうかもしれないと思うと、なんか、書き方を考えればよかったなぁと反省してしまうのだった。まぁ「口は悪いが、裏には愛情がこもっているんだ」って気がしないでもないけども、自分でそういってしまったら、もー気持ち悪いばかりだからなぁ。
980306d[ impossible verb. / 不可能動詞 ]
【可能動詞】四段活用の動詞が下一段活用に転じて、可能の意味を表すようになったもの。「読める」「書ける」の類。命令形を欠く。(広辞苑第三版)
というわけで、五段動詞は下一段化して可能動詞になれるのであるが、ってことは、一般の下一段動詞を無理矢理に五段化すると、可能の活用がますます薄れる「不可能動詞」になるんだろうか?
ならねー>オレ
まぁ、不可能動詞なのかは置いといて、形式的にやってみよう。
【動詞の種類】【基本形】【未然形】 【可能の助動詞】 【ら抜き可能】
五段動詞 「書く」 「書か」ない 「書か+れる」 −−−
可能動詞 「書ける」「書け」ない 「書け+られる」 「書け+れる」
下一段動詞 「食べる」「食べ」ない 「食べ+られる」 「食べ+れる」
不可能動詞 「食ぶ」 「食ば」ない 「食ば+れる」 −−−
再可能動詞 「食べる」
「食ぶ」か。「アナタはピーマンを食ばれますか?」=「アナタはピーマンを食べますか?」(可能かどうかは聞いていない)
命令形にすると「食べ!」
ありゃ? 「お食べ!」になってしまうと意味が通じるぞぉ?
まぁ、この「食ぶ」は、不思議な響きを楽しんでいただくだけで充分です。
980306c[ "reru rareru" & "rarerareru". / 「れる・られる」と「られられる」 ]
「れる・られる」の話の続きであるが、中学生の国語文法の参考書も敬語入門書もゲットしてないので、武器は広辞苑の巻末「国文法概要」だけである。
しかも、広辞苑(第三版)では「五段活用」は「口語における四段活用の別称」あつかいで、表だって出てこないので、なんか「うーオレの中学校でならった文法って、大丈夫なのかしらん?」的に不安になるのである。
さて、「書ける」に「られる」を付ける話であるが、それをしていいのかどうかは、いまだにわからないのであるが、可能動詞「書ける」は下一段動詞なので、他の下一段動詞と同じ方法で「られる」が(形式的には)付けれる(わざと)のである。
【動詞の種類】【基本形】【未然形】 【可能の助動詞】 【ら抜き可能】
五段動詞 「書く」 「書か」ない 「書か+れる」 −−−
可能動詞 「書ける」「書け」ない 「書け+られる」 「書け+れる」
下一段動詞 「調べる」「調べ」ない 「調べ+られる」 「調べ+れる」
というわけで、機械的に可能動詞に「受身・可能・自発・尊敬」の助動詞「られる」をくっつけると「書ける」が「書けられる」になる、ということがわかった。
文法的に許可されているのかは不問にするとして、問題は「書けられる」を「(尊敬の)書ける」や「自然と書けてしまうものだよ」の意味で自然に読めるのかどうか、ということで、残念ながら私は「書けられる」という言葉から「可能であることの尊敬」や「自然と書けてしまうものだよ」の意味を感じれない(わざと)ので、違和感なく使えるという人とはこれ以上の話ができないのである。(別に皮肉や挑発をしているわけではないわけで、実際におられたら、お互いの言葉を尊重しあうより他なし、ということでしょう)
では可能動詞「書ける」に尊敬の意味を加えるにはどうすればいいのか? と言われると、正直あまり自身がないのだが、「お書きになれる」ぐらいが無難ではないか、と。
「なれる」が可能動詞であるのが、ミソというかズルな気がしないでもない。これを「れる」を使って書き直すと「お書きになられる」となってしまって、こうなると、「なられる」が尊敬にも読めてしまって、可能の意味が読みとれなくなってしまう。
とはいっても、「れる・られる」を二重に使うのはルール違反だったような気がするので「れられる」や「られられる」を使うわけにもいくまい。
「お書きになられられる」?
これを考えると、やはり将来的には「ら抜き」を許可にして「可能の助動詞」と認めて、五段動詞は可能動詞にして、それ意外はら抜き可能表現にする方が区別しやすいかもな。
しかしながら、現段階では、「時間を割ける」に可能の意味を感じさせる時に「時間を割けれますでしょうか?」と言うよりは「時間をお割きになれますでしょうか?」を使う方が、無難なのではないか、と思う。
とはいえ、敬語つかわなくてはならない相手に「時間を割ける」かどうか聞いていいのか、ますます自信がないなぁ。「お時間のご都合はよろしいでしょうか?」ぐらい言うのが無難なんじゃないかなぁ、と思うのであるが、余談であるので、謎は謎のまま。
980306b[ dabun no meirei / 駄文体の命令形について ]
れる・られるについて考えているのに付随して、駄文体で連発される「食べれ!」などのような「妙な命令形」が何であるかわかった。
「五段活用以外の動詞にも、五段活用の動詞の命令形『〜E』を転用したもの」
五段動詞の「思う」の命令形は「思え」である。下一段動詞である「着る」の命令形は、正しくは「着ろ・着よ」であるが、これが五段動詞の命令形を転用(誤用)して「着れ」となる。下一段動詞「調べる」では「調べれ」となる。
と、なるとカ変の「来る(くる)」にも同じように適用して、正しい命令形「こい」に対して、仮定形を使って、駄文体命令形「くれ」となる。
「欲しまり」「くれ!」は駄文体の別の側面でもあるので、「来い」の命令形が「くれ」になるのは、喜ばしいことなのであるが、どうも「来いの命令形」という雰囲気をあまり感じない気がする。そこで、正しい命令形の「こい」の語尾を強制的に「れ」にして「これ」も候補に考えてみた。ここあたりは「変格活用」だけに例外を作ってもかまわないのではないかと。
サ変動詞「する」の正しい命令形は「しろ・せよ」の二種類ある。これも仮定形を転用すれば、駄文体命令形は「すれ」となる。
ルールに従ったカ変動詞「来い」の駄文体命令形「くれ」に比べれば、「する」の駄文命令形「すれ」は充分に命令でかつ駄文な香を漂わせている気がするのであるけれども、カ変の時と同様の例外を考えると、正しい命令形「しろ・せよ」からそれぞれ「しれ・せれ」が作れる。「しれ・すれ・せれ」と比べると、「しれ」はあまり命令形にみえないので、「すれ・せれ」を採用したい。
と、いうわけで、結果的には「仮定形を転用」というよりは、「正しい命令形の語尾を『れ』にする」の方が実態に則しているようであるが、「『れ』にする」根拠は、やはり上一段・下一段動詞の仮定形が必ず「れ」で終わり、それが五段動詞の命令形と同じ響きを持っているからであろう。
と、いうわけで、上一段・下一段動詞に関しては、機械的に語尾を「れ」にし駄文体命令形を作り、「来い」には「これ」を、「する」には「せれ」を強く推奨することにするのだった。
あぁ、これで安心して駄文命令形が使える。君もWeb日記で使ってみれ!
【活用の種類】【基本形】【正しい命令形】【駄文体命令形】【仮定形】
五段動詞 「思う」 「思え」 (「思え」) 「思え」ば
上一段動詞 「着る」 「着ろ・着よ」 「着れ」 「着れ」ば
下一段動詞 「調べる」「調べろ・調べよ」 「調べれ」 「調べれ」ば
カ変動詞 「来る」 「こい」 「くれ・これ」「くれ」ば
サ変動詞 「する」 「しろ・せよ」 「すれ・せれ」「すれ」ば
以上に、駄文体命令形の生成法則と「来る」「する」に対する推奨形を述べたのであるが、これはあくまでも「オイラが自分で使う場合の基準として考えた」ものであるので、他人の使用に関して強制するようなものではない。明文化するのは、他者の規制のためではなく、あくまで「自分が自然と感じる言葉の用法をできるだけ把握したい」という衝動によるものである。
980306a[ daily life / 日常生活(金) ]
/ 資料探査
/ 「ASIAN LIVE '98」
/ 言葉に妙にこだわる理由
/
本日の歩数、4500歩。
資料室にこもって、資料を探していたよ。
もちろん、本業の資料だ。「れる・られる」の資料探してたらバカすぎる。
BSで「ASIAN LIVE'98」ってのが放映されていたので、MAX目当てで観る。
このイベントは、日本、韓国、香港、台湾、中国、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシアから歌手を連れてきて、NHKホールで歌わせて、それを七ヶ国に放映しする、というもの。(おや、九ヶ国から呼んでるのに)
冒頭がMAXで、"Shinin'-on Shinin' love"を歌った。けど、それでMAXの出番は事実上おしまいだったので残念だったよ。
とはいえ、次々に繰り出されるアジアな歌手のアジアな歌を聴いていると「なかなか面白いなぁ」と思ってしまったよ。けど「音楽に国境はない」といくら言われても、歌詞わからない曲は聴いててもわからないんだな。残念。
歌よりもダンスの方が「何となくわかる度」が高い気がむしろするぐらいだ。「音楽に国境はない」ことを示すためのイベントらしいのであるが、逆に「音楽には国境がある」ということが浮き彫りになったような気がしたよ。
日本、韓国、香港、台湾、の若者文化は、使用言語の違いを無視すれば、「そのままじゃん」と誤解するぐらい似て見える。実際に「似たようなもん」じゃないかな、と思う。だからして、もーちょっと工夫すると、お互いに簡単に理解できるんじゃないかなーと思うのだった。
北京は、ちょっと、なんか、「文化的な差」じゃなくて「時間が20年ぐらい違う」っていう気がしたよ。
タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンあたりになってくると、だんだんと「同じアジアの仲間」ってひとくくりにするのに自信がなくなってくる。やはり「東アジア」と「東南アジア」の違いは大きいのかもしれない。
しかし、日本以外の国の出演歌手は、みんな英語が流暢だわ。なんか、「いいのか日本人!」って気がするなぁ。まぁ、韓国の人がみんな日本人よりも段違いに英語がうまいわけじゃないのは、わかってるんで「英語が得意なミュージシャン」だったんじゃないか、と思うのだが。香港とかフィリピンあたりで英語が通じるのは当たり前な気もするけど、他の国はどうなんだろうなぁ。
ブラックビスケッツが「スタミナ」の2番を中国語(広東語?)バージョンで歌ってて、たいそうかっこよかったよ。ビビアン・スーがボーカルで、台湾だか香港だかでも売ったんだから、あたりまえといえば、あたりまえなんだけどね。
しかし、歌詞の一部に唐突に英語を入れるのは「日本の恥」みたいな気がしないでもなかったんだけども、そういう作り方しておくと、そのまま歌っても、かろうじて英語部分だけは、通じる可能性があるんで、「あんがい便利なのかも?」とか思ってしまったよ。まぁ、英文的におかしな文章かいてりゃどうしようもないんだけどね。
なんつーか、日本語、韓国語、広東語、北京語、マレー語、タイ語、タガログ語、インドネシア語が入り乱れてる状態じゃ、「使える武器は英語だけ」ってもんじゃないかしらん、とか思うのだった。って、それなら、最初から英語の歌歌えばいいじゃん、と言われるとそのとおりなのだが。
ま、実際、こういう場合は「ビートルズ」と「カーペンターズ」を押さえておくと、話が簡単なんだけども。(実際、カーペンターズ歌ってたし)
まぁ、国境を越えても通用する汎用性の高さが歌のすばらしさであるってわけじゃないんだけども。「音楽は国境を超える」ってのが本当になるためには、国境を越えても使える歌詞を用意するのは、いいことじゃないかな、と思うのだった。
ま、なんとなく「インターネットとInglish」の話みたくなってきたわけなんだけども。
というわけで「母国語バージョンと英語バージョンの歌詞を作って練習しておいて、1番母国語、2番英語、というような形式で歌うようにすると、みんな楽しいのではないか?」と「そのためには、英語が理解できないといけない」というのが結論なのだった。ぐえ。
まーそういう話とは全然別に、香港、台湾の美人は、「やっぱ日本人的な美人とはちょっと位相が違うけど、美人だねぇ」と納得できるんだけど、マレーシア、インドネシア、タイの美人は、「きっと母国基準では美人なんだろうなぁ」と思って納得するしかなかったので、やはり「東アジアと東南アジアは、違うなぁ」と思ったのだった。
言葉について、三つ記事を書いてみたよ。
『駄文体の命令形について』と『「れる・られる」と「られられる」』と『不可能動詞』。
「なんでそんなに言葉についてこだわるのかわからん」と言われてしまったんだけども、やっぱり「自分が使っている言葉がどういうルールに従っているのかを整理して理解したいから」じゃないかな、と思う。
「どうして自分の言葉の用法を、標準語文法を基準に考えるのか、わからん」と言われてしまったけども、書き言葉は標準語を基本にすべきじゃないか、というのがオイラの考えだ。標準語で表記できない部分を、方言で補完する、というのが、書き言葉における方言の使い方だと思う。(その理由は、まとまってないので、今回は書かない)。
話し言葉に関しては、福岡人のオレは、標準語だけで、自分の感情(エモーション)を正しく表現できるとは思わないので、方言の割合が増える。
いい例えが浮かばないが、たとえば「(自分が)非常に腹がたっていた」ことを表現しようとすれば、「腹がたったとたい!」(あるいは「腹がたったったい!」)という表現がオレ的には適切であって「腹が立ったんだよ!」では、致命的に失格である。
この話し言葉までいちいち標準語の文法を当てはめて検証しようとは思わない。
いちいち言葉に「妙にこだわって」見える部分は、書き言葉の中に、標準語では表現できない部分を補完するために、方言を導入する場合に、標準語の文法と相容れるのか、いれないのかを検証してる部分だ。
実際には「標準語だと思って使っていたら、実は方言だったことが判明して、その時に、標準語文法に従った表記に直すべきか、それともその方言でしか表現できないニュアンスがあるかどうかを検討している」ことが多いのであるが、これは広義には「方言の導入に関して検討している」ことに他ならない。
まぁ、この程度の規模で、こんなことをしていて、意味があるのかは謎であるが、「自分の書く物は、できるだけ多くの人に同じ意味で通じるようにしていきたい」という姿勢のひとつの現れだと思っていただきたい。
ま「トモロウって変なやつー」とだけ思っていただいても、かまわないわけであるが。
本日の歩数、9,400歩。
超整理法以外の方法では、書類の整理ができないズボラくんなのはオイラなのだが、本日は、危うく大事な書類を無くしているところだった。
日本語的に変であるが「大事な書類を無くしたことになったままになってしまうところだった」というような意味である。(なら、最初からそう書けよ>オレ)。
机の上を整理せねば。
コンピュータファイルもろくろく整理しきれないが、紙になると、お手上げ。
なんか昼飯どきに路上をうろうろしていると、妙なところでSF研の後輩と次々と出会う。人生いろいろね。へたしたら2年ぶりぐらいなのだが、出会いがしらに「最近はめっきりアウトドアにはまってるそうで」とか言われるのがWeb日記を公開している者の辛さというもので。オイラは把握してないんだけども、結構な数の後輩がこれ読んでるって噂が。そうなのかー。
おぉおおい、みんな、みてるかぁあああ?(手をぶんぶんぶん)
SFオンラインの大学SF研特集とかに通報しようかとも思ったけども、現役の連中と連絡とるの面倒なんで(をい)ほったらかしてたけども、ちゃんと連絡したとか。うむうむ、楽しみだねぇ。
おぉおおい、がんばれよぉおおお(手をぶんぶんぶん)
「れる・られる」に関して某SF彦から問い合わせが来るが、福岡者と高知者では基本となる日本語文法が違いすぎて、「違和感の有無」っていうレベルでは、話が進まないのだった。
どなたか「可能動詞に尊敬の助動詞くっつけたら、どうなるか」ご存じでしたら教えて下さい。
「書く」=>「書ける」=「書けられる」or「書けれる」?
IRCで「PHSが売ってる店」と口走った(指走った、か?)ところ「PHSを売ってる店」か「PHSが売られてる店」じゃないと、日本語じゃない、と言われる。
言われてみれば、そうだな、と。「いる」を抜いて「PHSが売る」にすると、露骨におかしいし。
ためしにまわりの福岡出身者に聞いてみると「PHSが売ってる店」に何の違和感も感じないとのこと。
「〜いる」がつくと、こういう使い方が許可になるのかな、と思うのであるけれども「木が切っている山」というのは、違和感ありまくり。
(「木が切ってある山」だとあまり違和感を感じないような気もするけども、別の話かもしれない)
まぁ「映画があっている」が標準語の用法から逸脱していても福岡では通用するからして、標準語の文法から逸脱しているか否かってのは、オイラ的には、ある意味どうでもいいことなのであるが「PHSが売ってる店」の「売ってる」以外にこういう例が思い浮かばないからなぁ。うむむむ。
「売っている」は「売る+ing」じゃなくて「販売中である」という意味の別の動詞になるんだ、という説を思いついたんだけども、他に例がないと、お話にならないからなぁ。
どうも「ある」と「いる」がつくと、福岡の言葉は標準語の文法から逸脱し始めるんじゃないかと思うのであるが、よくわからない。謎。
「アステルは携帯電話じゃなくて、PHSだ!」というツッコミが某所からやってきたけれども、えーと、携帯電話やPHSを売りさばくショップは、問答無用に「携帯電話屋」と呼称させていただきたい。
ほとんどCDしかおいてなくても、タワーレコード。
東京は雪らしいが、どーして、全国ニュースのトップでとくとくと関東の積雪量やら中継画像やらをやるのだろうなぁ? 日本全国から東京に仕事で人がたくさん流入するのかな? それとも、東京の天気で日本経済が左右されたりしてるのかな?
大阪に雪降ったとして延々と中継してるのなんて見たこと無い気がするけどなぁ。
けど日本全人口の1割が集中して、日本の産業のかなりの部分が関東で営まれているんだろう。うんうん。
三菱グランディスのCMで飯島直子から「おとうちゃん、かっこいい!」と言われてるのは、元モデルでかっこいいアウトドアマンの代表格な木村東吉じゃないか。けど、なんか、あんまりかっこよく見えないなぁ。
いまごろ気付くのはどうかしているのだが、MAXはビデオ等では、つねに、向かって左からリナ、ミーナ、レイナ、ナナと並んでいるのだなぁ。
いや、もちろん、薄々かんづいてはいたのだが、あらためて、いつもそうなのかーと思ってしまったことよの。
ボーカルしてないリナとナナの二人が不当に低く見られてないかが異様に気になってしまうのはオイラなのであるが、"GET MY LOVE"のビデオを観てたら、なんか、実はボーカル組の片割れであるレイナが不当にカット数が少ないんじゃないか? という疑惑が浮かんできたのだが、なんか、無意識にカット数を数え始めた自分に気付いて、あわててビデオを観るのやめるのだった。ここまでくると、ちょっと狂い始めているかも。
980304b[ "loop" the Sci-Fi ? / 『ループ』はSFか? ]
SFM4月号を買う。って特集の「脳SF」が目的じゃなくて、単に「鈴木光司インタビュー」が目的だったのであるが。で、イビタビュアの大森アニは、いやがる本人を尻目に、ひたすら「だってSFじゃない、これ」を連発。
しかし、本人がいくら嫌がっても、「ループ」はSFだよなぁ。嫌がる本人を尻目に「SFだ」と言うのも、失礼かもしれないけども、こういう作品を書いておいて「これをSFと呼ぶな」と言うとしたら、それこそ「SF」(という概念)に対して、失礼だわ。
大森アニが「こういう小説を『SF』って呼ぶんですよ」とか、「鈴木光司は自力でSFを再発見した」とか言うのは・言いたくなる・言わざるを得ないのは、よくわかる気がするのだった。
とはいえ、鈴木光司の「SFって、閉鎖的で、妙な決まり事がある印象がある」とか「だって売れなさそうなんだもん」(記憶で書いてるのでテキトー)とか、言いたくなる気持ちもよくわかるのだった。
このあたりは、もぉ「SF冬の時代」とかいう話の本質ともかかわる話でもって、なんというか、「作品」と「SF(という概念)」の不幸な出会いというしかないな、と。
しかし、本日もキャナルシティ博多の「書楽」でも「売り上げ一位」が「ループ」だったからなぁ。何万部売れてるんだろ? 日本人口のしかるべき割合が読んでるのに、ほとんど誰も、これを「SF」だと思ってないと思うと、なんか複雑な気持ちだなぁ。まぁ、「パラサイト・イヴ」が売れまくった時も、なんか別の方向に複雑な気持ちがしたんだけども。まぁ「脳内革命」が売れまくった時も、さらにさらに別方向な複雑な気持ちがしてたから、まぁ、どうでもいいのかもしれないが。
オイラみたく、ちょっと話題になった本や映画を「SFかSFでないか」とか線引きしてても意味ないというか、どちらかというと有害なわけなんだから、素人は黙って出版される本を(特にハヤカワの本を)どかどか買って、黙って読んで、プロの作家や翻訳家や評論家や編集者の生活を支えていればいいのだ、って気もしてきたな。
そうだみんな、黙って読め。(ってここまで書いたら、本気でこう思ってないってバレてしまうじゃないか>オレ)
本日の歩数、10,400歩。
SFM4月号を買って鈴木光司のインタビューを読んだ話は、別項。
アウトドアグッズ病が再発したので、閉店間際のキャナルシティに出かけるのだった。
メガバンドールは模様替えがあって、以前とは違う場所にアウトドアグッズが並んでいるのだが、内容は、あまりかわっていない。
ひょっとして「焚き火台」が陳列されてたりしないかしらん、とか思っていたのだが、置いてないのだった、炭火バーベキュー道具は増えていた。あぁ、七輪で焼き肉したいなぁ。
梅雨はまだ先なのに、ゴアテックスの雨具が、ずらあああああっと並んでいた。「おらおら、雨具も買わずに山に行く気か!」って声が聞こえてくるのであるが、どれも「2万」だからなぁ。けど、GPSなんかよりも、雨具の方がずっとぢうやうだからなぁ。うむむむ、悩み。
山登り・トレッキング系で「これだけは外すな」ってグッズでは、あと「雨具」と「ラジオ」がないからなぁ。雨具は持ってるんだけどねぇ、ビニールのポンチョだからねぇ。すぐ汗で中から濡れるからなぁ。けど、まぁ立花山登ったときにいきなり降られて、持ってて助かった過去があるから、まぁ「信頼性」(っていうと、なんだけど)は、あるんだよなぁ。それに、このビニールポンチョは、座るときの敷物兼用だから、いいし。
で、何をごちゃごちゃ言ってるかといえば「でも、ゴアテックスかっこいいぜ! 『蒸気は通すけど雨は通さない』って、なんか、バリアぁああああ! だぜい」というか。欲しまりなんだよなぁ。なんか、ハイテクで無敵って感じでねぇ。ほしいよねぇ。まぁ、今時の人々は「ATフィールド」とか連想するかもだけど、オニーサンはもぉオヤヂ入ってるので「やっぱ、男の子は『マジンガーZのバリアー』だぜ!」って思うのだね。ってことは、なんだろ、薄桃色のガラスかシャボン玉みたいな膜で、んで、雨がひどくなったら、たわんできて、最後には「ぱりーん」って割れてしまうのか! そりゃやだなぁ。
あ、けどバリアって、液体も気体も通さなさそうで、ビニール以下の通気性なのか?
(って、どこまで、ボケとおせば気が済むのかね>オレ)
しかし、この調子だと、ドームテントも買ってしまいかねないのが、なんだかなぁ。しかもなぁ、バックパッキング&トレッキングをしたいのか、オートキャンプ&バーベキュウをしたいのか、分裂してるのが、典型的な「グッズに目を奪われた初心者」だなぁ。
と、いいながら、反省しない自分のことがちょっと好きだったりして。うふ。
(にしても、この「うふ」は、あまりに便利すぎるなぁ。濫用を避けたいものだね。うふ。(だからさ>おれ))
行き帰りの地下鉄構内および車内、そして街中の携帯電話屋さんに「アステル」のポスターが。出演は、小嶺麗奈と青木なんとか(をい)の「水の中の八月」コンビ、プラス泉谷しげる。泉谷は、まぁ、どうでもいいとして、水の中の八月コンビは、なかなかいい。いい、んだけど、青木なにがしは、精悍な顔をしてて、いい男だ。小嶺麗奈は、う、うーん、うーん、「色は白い」し「目はクリっとして」るんだけど、なんつーか、作り物くさいというか、うーん、オレ的には「十六茶のCMの小林聡美の目をちょっとでかくしたような物体」って印象だなぁ。ってひどい言い方だな。わはは。
つーかなー、小嶺麗奈ファン(なのか?)のオレ的には、もうちょっと「生きてて良かったなり!」みたいなのを期待してたんだけども。「福岡に住んでて良かったなり!」ってさ。
なんか「いじわるなライバル役ばっかりさせるな」と言いつつも、いじわるなライバルな顔してないと、だめなのか>オレ、みたいな。(何が、どう「だめ」なんだ>おれ)
仕事場に戻ると憔悴しきったスパユザ様が、荒れ狂っておられる。なんでも、Win3.1だったGATEWAY2000のマシンを95にあげようとして5時間もかかったとか。ネットボードを認識してくれなかったので、アドレスを手打ちすること1時間で、ついにボードを認識さたとか。う、うーん、さすがにDOSから叩き上げの人間は、Mac者崩れのオレとかが想像できない領域まで手作業でやってしまうのか。まいった。
家に帰ると、久しぶりに弟君に会う。なんでも、東京に(生まれて初めて)行っていたらしくて、新宿と東京の印象について語り合ったのだった。結局「東京の人々の多くは、なんかどんくさい服装をしていて、地方の人間があこがれる『とうきょう、ぽわん』ってのは、幻想なんじゃ?」とか。「駅も街も、なんか、疲れ果ててる感じでさ。そうそう、オジサンたちも疲れはてて見えるから、あれならオヤジ狩りしたくなる気持ちもわかるよ。なんか、人間多いし」とか。
「なるほどなぁ」とも思ったのだが、「なんか、おめー、典型的な『東京の毒気に当てられて強がってみせてる地方出身者』な反応してるんじゃ?」とも思うのだった。けど、口には出さないのだけども。
お腹がすいたので、備蓄しておいたパックご飯とサンマ蒲焼きカンヅメの幸せなご飯を食べようと思ったのだが、規定の時間だけ電子レンジで加熱したら、なんか、ごっちんめしになってしまったのだった。むぎゅーゆるさんぞエスビー食品! こういう時は「日本酒をふって再加熱」がお約束なのだが、日本酒の備蓄がなかったので、永谷園のお茶漬けの素かけて、お湯かけてお茶漬けにしてしまったのだった。ざまみそ。
ハーブティーいれてみたり。なんか最近、シナモンの香りに飢えているオレなのだった。以前は苦手だったのになぁ。うーん年くうと味の嗜好がかわるのかしらん? しかし、なぜ、シナモン?>オレ。
しかし、なんでこうも、ワープ日記を厖大に書いてるんでしょうねぇ? え? シナモンだけにニッキにはまってるって? (あ、やべぇ、本当に、すっげー寒い)
ぐわ、ビデオかえしわすれた3本も! いくらだ! と、思ったら、明日までだったよ。あーびびった。しかし、さすがに今晩は、MAXのライブ観る気にはならないなぁ。
じゃ、寝ようかな。おやすみ。
980303b[ "Japanese Only" Again / 『じゃぱにーず・おんりー』再考 ]
先日の「Japanese Only」の話(ワープ日記980225c)に関して、木星の女装王からツッコミ。ありまちょー。(どうでもいいが、なんか、こういう書き方すると、「アレクサンドラ木星王」みたいだな)
曰く、
「『日本人は正気には見えない』なら"Japanese aren't"の方が自然なので、"Japanese isn't"だと、どちらかというと『日本語』なのではないか」とのこと。
お、おおお! ユリイカ!
なるほどなぁ。CountableとUncountableは考えなかったなぁ。
Japanese [C] 日本人 (単複同型)と、いうことなので、"a Japanese"なら「日本人は」かもしれないけども、aもtheもつかずに" Japanese isn't"と来れば自動的に「日本語」ということになるのか。
a Japanese (日本人ひとり)
the Japanese (日本人全体、複数扱い)
Japanese [U] 日本語
と、いうわけで「単数形、複数形の概念がない日本人の負け」ということで。(お前の負けだお前の!>オレ)。
本日の歩数、5,011歩
なんか昨夜、寝る前に弟君が「大事な用事があるから」と家中の目覚まし時計(弟君の2個にオレの2個)を徴用してしまったせいで、オイラはあやうく遅刻しそうになって、やばかったよ。
いや、寝不足を押してMAXのライブビデオとか見てるのが悪いんだけどね。
業務計画はボス、大ボスのチェックを通過して、本日から作業開始なのであるが、案の定、昼になると「昨日の話だが、ちょっとだけ気になる点があるから、ちょっとだけ顔を出せ」と大ボス様からの呼び出しが。
もちろん「気になる点」が「ちょっとだけ」なわけがないわけで、己のずさんさがイヤンになるぐらい、真っ赤になった計画書が戻ってくるのだ。うふ。
そしてそのミーティングが「ちょっとだけ」にならないのも、当然至極なのだ。
年度末なので、ためにためていた、ネットワーク書類(ためるな>おれ)を一気に仕上げて一気に提出するわけなのだが、書類がどういう理由か「一太郎」のファイルで書式指定されているのだった。
一太郎、いやーん(涙)。
しかも、愚か者のオイラはうれしんで、ネスケ4を入れて「なんとか.dll」が上書きされてしまったせいで、七太郎が起動しないのだった。
しょーがないので、戦時立法で、他人マシンを徴発するのだった。すまんゆるせ。(いや、やられた方には「単なる不法占拠」だろう)。
プリンターがエプソンのエスパーレーザーになったので、キャノン時代に作った書式だと、うまくいかないなぁ。むー。
「エスパーレーザーでもばっちりの新しい書式ファイルをあげやう!」と言われて、尻尾を振って飛びついてみたら、八太郎のファイルなので開けず。七太郎のファイルにセーブしなおしてもらって、いざ開こうとしたら、なんと徴発した他人マシンに入っていたのは六太郎だったのか! ぶしゅー(血しぶき)。
ふー、おわったなり。
何度も手書きにしようかと思ったが、一度、フォーマットが定まってしまえば、書き換えは楽だなぁ。ワープロ万歳。
なんか昨日の後遺症なのか、夕方からなんか、MAXの「GET MY LOVE」が聴きたくてしょーがなくなったので、MAXの一枚目のアルバムをエンドレスで聞き始めたのであるが、別の曲が異様に邪魔に感じてしまって、恐怖の一曲リピートにしてしまう。
はー、おちつく。(いやーんジャンキー)
テクノだかハウスだかの方法論の話で、「普通『この曲のこのイントロいいよね』とか『このエンディングがいいよね』とか『このサビがいいよね』と言っても、そこだけ取り出して聴こうと思う人はいない。あくまで『曲全体があっての、サビ』というような発想をする。しかし、世の中には『イントロが聴きたいのに、それ以外の部分を3分30秒も聴くのは耐えられない。本当に聴きたい部分だけ切り取ってループした方がよっぽど幸せだ』と考える人がいる。それがテクノだ」みたいな話が書いてあって「そうかなぁ?」と思いつつも「そうかもなぁ」と思ったのだが、なんか今のオイラはかなりそんな感じだ。ほとんど、イントロだけのために聴いている気がする。
さすがに、イントロだけ聴くために、飛ばしたりしないのだが、サンプラーもってたら、やりかねない気がするなぁ。
しかし、なんなんだろうなぁ、この強烈な中毒というか禁断症状みたいな状況は。単に「わがまま」の度合いがひどくなっただけなのかなぁ?
それとも、なんかやっぱ、意味があるんだろうか?
よくわからんが、とにかく、音楽ソースがCDになったおかげで「アルバム無限ループ流しっぱなし」と「一曲無限ループ」が可能になったので、本当にありがたい。
しかし、無限ループのおかげで、一枚のアルバムや一曲への没入・偏愛度が高まった代わりに、一度飽きると、ほとんど二度と聴きたくなくなるのが、難点でもあるなぁ。
本日はTMRのライブビデオ「LEVEL2」(だっけかな?)を観る。まだ「LEVEL3」が新曲で、演目には、High Pressureすらない時代なので、大半が「知らない曲」なのだった。
おもいっきし「上半身裸まり」連発で、男のオイラとしては「ちょっとげんなり」感が高かったのではあるが、「ロックボーかリスト・西川貴教」っぽかったので、よかったのかな、と。
再度、MAXのライブビデオを観るのだが、さすがに集中できないので、ThinkPadでMAXなWebページをぐるぐるまわるのだった。
らぶりーな氏の「Grovin' MAX」の中の「MAX辞典マクダス」を読む。あーいかなる趣味も本から入るのか>オレ、ってかーんじ。
さらに「あなたはどっち?」を見ていると「リナっていらないんじゃん?」というのが、いかにタブーかがわかって、自分の不明を恥じるのだった。しかし「油断すると太りそう ミーナvsリナ」っていう(ひどい)比較に「ミーナはすぐに太ってるじゃん!」と(身も蓋もない)解答を寄せる人も寄せる人だけども「MINAは太ってないよ!顔がちょっと丸いだけで」と返してしまう人もしまう人だなぁ、と。しかし、この解答は「ミーナって太ってるよね」という「誰でもいいたくなるかもな発言」に対して、ミーナファンが言いそうな典型的な反論になってるなぁ「ミーナが一見太って見えるのは、顔が丸いせいである。顔は丸いが太ってはいない。リナは顔は細いので太って見えないが、身体は太っている。ナナは痩せすぎである。(つまりミーナは顔が丸いだけで、普通なのだ)」あれ、レイナに対しては何も述べてないな、うぅむ? しかし、なんというか、ファンの人々の「さすがに痛いところ(おいしいところ)をいじりあう「論争」? は、「しらなきゃ面白くない」あたりからして、立派な「趣味」だなぁ、と思ってしまうのだった。
「とにかく好きなんだから文句いうなよ」から「なぜ好きかというと、つまり」という方向にシフトしてくると、その人は、徐々に「ファン」から「オタク」へと脱皮しているってことになるのです。って、それは「成長」ではなくて「病状悪化」だなぁ。ぐえ。
しっかし、どこまで本気かは不明なれど「大好き!」とか「嫁にする!」とか口にしてしまえるファンの人々の姿勢というかを眺めていると、「あくまでも、どっか外側に立って、はまっていく自分を茶化しているオレ」っていうスタンスをとっている自分が、なんか「さめたやつー」な気がしてくるのであるが、けど、やっぱ、怒濤のごとく「すきだぁああああ!」とかダイブしないほうが、オレのためであり世間のためである気がするのだった。
まー、誰も気にしてないから、君は隅っこでいつまでも、そーやって、ぶちぶち言ってなさい>オレ。
980302b[ MAX LIVE VIDEO / MAXのライブビデオを観た ]
酒飲みつつ、MAXのライブビデオを観賞する。ええのぉ(ほげー)
"J-POP GIG TOUR 1997" AVVD-90034 \4,893
1997年8月25日・日本武道館
- GET MY LOVE!
- REALITY
- STRANGER IN THE NIGHT
- SUMMER TIME
- BECAUSE I NEED YOU
- EXTASY
- SO MUCH IN LOVE
- BROKEN HEART
- Love is Dreaming
- Wonderland
- TORA TORA TORA
- KISS TO KISS
- Give me a Shake
- Seventies
- LOVE LOVE FIRE
やっぱ、同じ衣装きたオネーサン4人が、同じ振り付けでグリグリ動いているのは、見てて楽しいのぉ。
「ミーナって歌ってる顔が怖いなぁ」とか思いつつ、ぼへーと見ているわけなんだけども、MAXはミーナとレイナの二人で歌ってるパートと、四人で歌ってるパートがあるみたいだけど(実際に歌っているかどうかはここでは追求しないことにして)二人でも四人でも、あんまり上下にわけてハモリとかしてないみたいなんで、いきおい、「ま、歌はいいとして」という気がしてしまうのだった。(SPEEDの場合は、ついエリコとヒロコを比べてしまう。「今日のヒロコの絶叫度はどのぐらいかな?」「今日のエリコのピッチの不安定度はどのぐらいかな?」「ヒトエは今日も元気にぐにゃぐにゃしてるかな?」「タカコはいるみたいだからいいや」ってかんじかなぁ?)
(980304に追記)
CDとライブの歌声を改めて聴くと、一応、ちゃんとハモりになっているのだけれども、「MAX四人がパートわけしてハモっている」んじゃなくて「バックコーラスの人とハモっている」んじゃないのかなーという気がするので、まぁ、上のような記述のままにしておこうと思うのだった。
(980304に追記ここまで)
しかし、イントロきいたら歌い出しが浮かぶ程度には聞いたはずのMAXの曲であるが、なんか、どれもこれも同じように聞こえてしまって、「この曲って、ここから、あの曲のサビつないだほうが、いいかも?」とか考えてしまうのだった。というか、イントロ聞いて歌い出しが浮かんでも、サビがどの曲につながるのか、歌ってみないとわからないからなぁ。まぁ「どれもこれも同じに聞こえる」ってのは、修行が足らないだけなんだろうけど。
とはいえ、気のせいかも知れないが「シャツの残り香が」っていう歌い出しの曲が二曲あった気がするなぁ。別にあってもいいんだけど。
とはいえ、「TORA TORA TORA」のコスチュームが虎柄のビキニだったりすると、オタクなお兄さんは、なんか違うものを連想してしまうので、ちょっとやめてほしかったりして。(念のため書いておくと、「うる星やつら」のラムちゃんである)
あとは、雑誌でレイナが「最近やった一番のポカは、武道館のライブで最後の『Love Love Fire』で、みんなで舞台のソデに向かって走るときに、一人だけ方向間違えてしまったことですね。ビデオで見られますから笑ってください」みたいな事を喋っていて、すっかり忘れていたのが、メンバー3人とバックダンサーが「みんなありがとー」って右側に走っていくのに、一人だけあとから照れながら走ってくるのが写っていた。編集でカットすりゃーいいのになぁ。まぁ、そこが「芸」ってやつなんだろうけど。
観客席に伸びている花道(なのか?)で歌うシーンでは、背後にお客さんがぼんやり写っているのであるが、その人々をバックにすると、MAXのメンバーの「顔の小ささ」がすごく目立つのである。なんか、すげー背が高そうなメンバーもスペック表を信じれば160cm程度なわけだから、背後の「典型的日本人体型」の人々と一緒に写ると、背後のお客さんが「ぬいぐるみショーのぬいぐるみぐらい顔がでかい」ことが暴露されてしまうものだなぁ、と思ったのだった。
しかし、舞台の上で、メイクばっちりなオネーサンがくるくると踊っているのを見ていて、一瞬、我に帰ると、「どっかでみたような風景だ?」と思ってしまって、記憶をたぐると、BSでたまにやっている「宝塚の中継」になんか似ているのだった。あの「正視できないぐらいすごいメイク」でおねーさんたちが、ぐりぐり踊ってポーズ決めるのって、なんか、タカラヅカだなぁ、と。
あと似てる(だろうと思う)物は「ジャニーズ」だなぁ。オイラは少年隊とかSMAPが歌って踊っていても別に「あ、そう」としか思わないんだけど、Kinki Kidsがジュニアをしたがえて王子様コスチュームをなびかせて、歌って踊っているのをテレビなんぞで見ると「あーこれは女だったら、惚れてしまうかもしれないなぁ」と思うので、きっと、多くのオネーサンたちは、オイラがMAXみながら「ええのぉ」と思ってるのと、ちょうど裏返しで(おそらく数倍の威力な)「ええのぉ」っていう思いを抱いているんだろうなぁ。まぁ、そのおねーさんたちがオイラと同じく、後で「何してるんだろうオレ(アタシ)」とか、じっと手をみるかどうかは、知らないけども。
と、読み返してみると、ライブビデオみながら、いったい何を考えていたんでしょうねぇ、オレは? まぁ、なんですか「ええのぉ(ぢゅる)」ってだけ書くわけにもいかなかったので、今、でっちあげた「照れ隠し」ってもんだと思ってもらえると幸いです。
(げ、福岡のライブチケット、てっきりもぉ売り切れてると思って安心していたら、3/8に発売なのかー? う、うーん、このままじゃ、買ってしまいそうだなぁ。けど、たぶん、5/4には、思いっきり飽きてるだろうからなぁ。どうするかなぁ。)
本日の歩数、11,000歩。
と、いうわけで徹夜してしまったわけだが、(逃避するのやめろって>オレ)、なんかしらんが、卵とベーコンを猛烈に食べたくなったので、朝の8時に自転車ぶっとばして、マクドナルドに行って、ソーセージ・エッグ・マフィンなんぞを食べてしまうのだった。(ベーコンなんたらマフィンはなぜかメニューに見あたらなかった)。うーん、ハッシュドポテトの方が、(量だけは異様に多い)マックポテトよりも、うまいと思うなぁ。
ぼーっと国道三号線を流れ行く自動車の列を見ていたら、マイクロスリープに陥りそうになったので、自転車かっとばして戻る。
来年度の業務計画についてのミーティング。
(いろいろあったのだが、面倒だから秘す。)
とりあえず、ふぅ。
行きつけの店に昼飯を食いに行ったら、表でエンジン発電器がぼこぼこいっている。なんだ? と思ったら、配電盤修理による一時的な停電らしい。発電器は、自動券売機のためで、店内は真っ暗。奥の厨房は、太い蝋燭が何本もゆらめくオレンジ色の光で照らされていて、食堂のおばちゃんたちが、その光の中でうごめいているのだった。大鍋からどろりとしたシチューを皿によそおうおばちゃんの笑顔が、下から蝋燭の光に照らされいる図は、なんか勝手に「うひひひひひひー」とかいう声が幻聴アフレコされてしまうのだった。こ、こえー。魔女の大鍋料理なのか! という感じだ。
「うひひひひ、この赤いリンゴをお食べ」とかリンゴが出てきたら出来過ぎだったんだけどねぇ。ってお前は白雪姫か?>オレ。
居眠りクンで爆睡
某所でMAXのライブビデオ、SHAZNAのクリップ集、TMRのライブビデオをゲット。
深夜番組「ドォーモ」にARBの石橋凌がゲストで来ていた。3/2に行われた「伝説のライブ」(だっけ?)での新生ARBで演奏した「魂こがして」の映像が流れた。ええのぉ。けど、やっぱ、40すぎると、やっぱ「ふけたなー」という気がするなぁ。貫禄はあるけど。それと、やっぱ、なんというか、21世紀にもならんとする1998年に「ビッグシティ、フェイクシティ、東京アウトサイダー」と歌われてしまうと、ちょっと愕然としてしまうものがあるのだった。高校生から浪人中に非常に親近感を持った「SAY NO!」(「Rock Over Japan」収録)の世界は、10年たってもやはり東京にはあるのだろうか、とか。
いや、浪人生の軽い厭世観と一緒にされて困るのはARBの方だろうけども。
ARBファンによるWebページ。
唐津には、一個100gで500円もする「愛ベリー」というでかくてうまい苺があるらしい。ええのぉ、食いたいのぉ。ドライブいきてーのー。
SHZNAのビデオクリップ集「SILENT BEAUTY」を観る。
「すみれSeptember Love」は、曲もビデオも非常に好きなので、みてて楽しいのだった。しかし、180cmはあるIZAMが小さくみえるってことは、一緒に踊っているドラァグクイーンのオネーサン(おにーさん?)たちは、みな2メートルはあるんじゃないのか?
「マゼンダ ストーリー」(だっけ?)は、ナチ親衛隊みたいな軍服きて、死に顔系メイクした怖いIZAMが、なんかかっこいいなぁ。自分から「美少女系メイク」から外れてみせるあたりが、なんか「わかってやっているんだなIZAM」って感じだわ。
「White Silent Night」は、あまり曲が好きじゃないので、オイラ的には評価低いのだが、やはり、タータンチェックのストールをかけたIZAMに、テディベアを手に、でかいテディベアと踊りながら歌ってしまわれてしまうと「身長180cmもある巨大な風俗嬢メイクのおにーさんが、そこまでするか! するのか!」という衝撃を受けて、不覚にも感動してしまうのだった。うふ。
「SWEET HEART MEMORY」は、曲が気に入っている。映像も、粒子の荒い高原の風景が、なんかいい感じだ。IZAMの占い師もかっこいい。なんとなく、「IZAMのいかがわしさって占い師のオネーサンみたいだよね」よりむしろ「占い師のオネーサンのいかがわしさって、IZAMっぽいよね」という感じだ。けど、ちょっとCGと曼陀羅が安っぽい気がするのが、個人的には残念だ。
睡眠不足のせいか、アルコールのせいか、ユーロビートがのせいか、それともMAXの色香のせいか、はたまた、IZAMの毒気のせいか、頭痛がしてきたので、寝る。ぐーぐー。
本日の歩数、1,625歩。(歩いてないな、まったく)
一日寝ていた。
途中、夢を見たが、おぼえてない。
「途中、なんども目が覚めて、その都度、「夢を見てたなぁ」と思ったが、その詳しい内容までは、おぼえてない」ぐらい説明しないと、意味不明だな。>「途中、夢を見たが、おぼえてない。」
メッセージを残さない電話が思った以上にかかってくる日だった。どうせ弟君の彼女から弟君への「電話して」という電話だから、出ないのであるが。
18時ごろ、動き出す。ベーコンと卵を焼いて、ハーブティーいれてみたり。
「特命リサーチ200X」を観てみたり。「カビによる病気は、腸内細菌が減って日本人の抵抗力が落ちているからだ。日本食を食え」と。なるほど。潜水チャンピオンのイルカ人間ぶりの話は、水圧がかかると、内蔵が胸郭の方にどんどん移動する、って図がすごかったな。腹式呼吸恐るべし。しかし、「ヨガの訓練で水中でもOK」ってネタで、オウムを連想してしまった人も多かったんじゃないかな。
本屋で立ち読みしていると「B-CLUB」が誌面刷新だそうで、連載がことごとく「最終回」だった。特集の「大研究:合体ロボット」が、なかなか面白い。特撮初の正義の合体ロボが「小さなスーパーマン・ガンバロン」のダイバロンだったとは、知らなかった。スーパー戦隊ロボット図鑑も見ててすごいものがあるが、エルドラン・勇者シリーズロボ図鑑の方が、なんというか「赤・青・黄色の正義のロボ」の徹底具合が激しくて、怖かった。大河原邦夫が、どこかのインタビューで、勇者シリーズのデザインがマンネリであることに対して「このシリーズは対象が幼児で、どんどんいれかわるので、マンネリに関しては、あまり気にしなくていいのだ」と言っていて、ちょっと感心した記憶があるのだが、全身が金色(黄色)なゴルドランと、若干、黒が多いガオガイガー意外は、もののみごとに「白・赤・青・黄色」だ。
ついにNewtonOS開発の中止か。残念だけど、しかたないな、という感じ。
明日のミーティング用の作業が終わらないのだが、調子があがらないなぁ。
MAXのWebを検索していろいろ眺めて逃避する。Webチャットのページに行って、Webチャットしてみたり。(普段は、あまりしないようにしてるんだけどねぇ)。
つい調子に乗って「リーナっていらないんじゃないか、とずっと思っていたのだが、やはり非常に重要だと最近思うようになった」とか言ってしまって「そういうことは、ここでは言わない方がいいですよ」と釘をさされてしまった。わはは。さらに、SPEEDと関連させた話をしていると「SPEEDの話ならよそでやってくれ」と言われる。わはは。いかんなぁ、なんか、最近、場の雰囲気をつかむ神経が麻痺しているらしい。失礼しました。
しかし、MAXファンの中でも「SPEEDぉ!? あんなクソガキなんか嫌いだ」という人と「SPEEDもいいよねー。ヒトエファン? へー、気が合うなぁ。一番好きなのはエリちゃんだけど」とか不気味に趣味が近い人がいたりして、人生色々であるな。
「『GET MY LOVE』のビデオでは、♪きつく瞼とじてるー、のシーンのナナ姫が最高にかっこいい」とかいう、非常にピンポイントな指摘が聴けて、納得してしまったなり。(納得するなって>オレ)。どういうシーンか説明しても意味不明だけど、あえてすれば「魚眼レンズに向かってかめはめ波(波動拳)をかますナナ」とでも思ってください。ほら、わからないじゃないか。