諸星未来堂ワープ日記
秋空が高い十月第一週
MOROBOSHI Tomorou's
Warp Diary
1998 October 1st Week
Japanese-Language Contents
しばらく、更新をお休みしていましたが、以下の日程で旅行していたためでした。
9月28日から30日まで、米沢。
9月30日は、新宿で一泊。
10月1日は、大阪。
10月1日深夜に帰福。
旅行中の日記は、順次補完の予定。時間ないから補完しないかも。
981003b[ admin of BBS / 掲示板の管理者の権限について ] ver.3
はち日記981001で「BBSと著作権」に関してフォローが付いてるので、それに関して。
つきつめて考えれば、
前者に関しては、「だって実際にオレのディレクトリの中にある、オレパーミッションのファイルじゃん? だったら、オレの私物なのは宇宙の真理的に当然じゃーん」という発想で説明がつくし、後者に関しては、まぁ最終的には「言論の自由」っていう話になるのかな?「お前が何様かしらないが、オレの発言を止める何の権利があるのだッ!」と。(このあたりはあまり自信がないけれども、おおざっぱにはこういう方向で説明できると思っている)。
で、これらの話が「日記リンクス630事件」のデジャプに見えるという話に対しては、オレは、この手の話は「日記リンクス630事件から引きずっていて、未だにきちんと解決されてない問題」だと思っているので、当たり前かな、と。
はちさんは、「BBSの一投稿を著作者の意志によらずして 削除すること」に関して「あたしの感覚としては倫理的にも問題とは思えないのだけれど」と書いているけれども、どっちかというと私個人としては「倫理的に問題と思ってない」方が、問題なんじゃないかなぁと思うのだが。
まぁ、「著作権」とか「言論の自由」とかをあんまり過剰に保護する事を言っていると、それを盾にして自由自在に悪事を働く困った人が増えてしまうので、歯止めが必要、って話には賛同するわけなんですが。歯止めというか「アナタの言論の自由は認めるので、ヨソで存分に行使してくれ」とかね。ただ、まぁ、歯止めのためには、管理者側にも「理論武装ぢうやう」だと思っているわけなんですね。
「誹謗中傷・フレーミングを誘発すると思われるものに関しては、事前の通告なしで削除します」っていう台詞は、使いようによっては「オレが気に入らないという理由だけで、削除するからね」ということになるわけで、「誹謗中傷・フレーミングだ」と判断する人間と、削除権を実行する人物が同じじゃ、歯止めが効かなくなるおそれがあって、個人的にはあんまりいい話じゃないと思うのですが。まぁ「そういう悪い管理者がいる掲示板はいずれ利用者がいなくなって淘汰されるので問題がない」という自然淘汰で充分説もありえるわけですが。
基本的に、掲示板なんかの管理は「管理者の徳治(徳の高い管理者様のおかげで掲示板に平和が訪れる)」でだいたい動いているのが現状だと思うのですが、なんというか、「管理者の徳」というよくわからないものしか判断基準がない状況だと、利用者も管理者自身もつらいんじゃないかな、と思うわけです。
「ルールではなくマナーが大事」という台詞もよくみかけるけれども、「何をしていいのか悪いのか、コミュニティに参加して様子を探らないとわからない」よりは「何をしていいのか、していけないのか、どんなペナルティがあるのか」が明記されている方が、話が早いと思うわけです。
というわけで、誰か「掲示板の管理者は何をしていいのか。それはどうしてなのか、何をしてはいけないのか。それはどうしてなのか」を説明してくれー。って感じ。(自分で考えろって>おれ)。
(まぁ「誰か説明してくれ(自分で考えろ>オレ)」というよりも「みんなで考えようぜー!」というのが正直な気持ちであるが(1)お前が考えなくても、ちゃんと先人が考えてるって。(2)考えても無駄だって、の二つの可能性があったので、ちょっと逃げを打ってみたのだった。(1)の場合は、どなたか教えてくだされ。(2)の場合は、まぁ、無駄かもですけど、とりあえず一度考えてみないと気が済まぬ)
ちなみに、管理者の権限の制限をどうするのが一番スマートなのか、いまだに考えがまとまっていないので、ワープボードには「独断と偏見をもって問答無用に削除する場合がありますので御了承下さい。」と未だに書いてあるわけだ。
(981002、22:20追記))
上に書いたことについて、はち日記に記事があるので、それについて。
はちさんの意見は、「これはもう、あたしの感覚としては思いっきり前者なわけで。後者にそれなりの根拠がある、という前提が良くわからないわけです。」というわけで(ここで「前者」は、引用部分をうけていて「掲示板は管理者の持ち物なので、何しようと勝手。 」を指す)、まぁ、この前提に疑問を抱かない人に対しては、オレはいまだに有効な説明・説得の方法を持たないので「そう思うのなら、そうですね」としか言えない。(別に皮肉ではないので、念のため)
うーむ、やはり「掲示板って私物じゃん? 文句あるなら、ヨソでやれば?」ってのは、疑問の余地のない常識なのかのぉ。
一部だけ取り出すと、文脈無視の揚げ足取りになるかもであるが、個人的には「 管理人の気に入らないという理由だけで 書き込みを削除するのももっともだと思うし。 」という管理者のいる掲示板には、あまり書き込みをしたくないものだが。(なんだか皮肉みたいだけれども、皮肉ではないので念のため)。
掲示板の機能については、それがいったい何のためにあるのか、ということはケースバイケースであったりするわけで、はちさんが言及しているように「雑誌の投稿欄に掲載される投書を選択する権利は編集者にあって文句をいう人はいない」と、いう例は、たしかに「管理者の思うがまま」という例ではあるでしょう。ただ、まぁ、読者の投書欄に関しては「編集者が『編集者の都合のいいような選択を通過した投書』を並べて、投書を用いて、編集者の言いたいことを代弁させている欄」であることが、ある程度、前提になっているわけで、(少なくとも、そういう風に疑えるものでしょう)、そのような掲示板を運営するならば、やはり、「そのような掲示板だ」とわかるような掲示なりなんなりが欲しいと思うわけです。「そのような掲示板」というのは「基本的に管理者の意向に沿った意見だけが掲示される掲示板」ということです。
で、掲示板にはいろいろあるわけで、掲示板の全てが「そのような掲示板」ではなかろう、と私は思うわけです。
まぁ、たとえば「議論の場」のようなものとか。
管理者への抗議を含めた議論が掲示板で発生した場合、管理者が反対者の発言を好きなように削除できる場では、議論ができないわけです。(まぁ、管理者相手に、掲示板で議論を始める方がどうかしている、という考え方もあるわけですが)
そういったようなわけで、「そのような掲示板」とその他の掲示板を、いっしょくたにして「掲示板とはそのようなものだ」と総括されると、私は困るわけで、あくまでも区別していきたいと思うわけです。で、その区別のために「この掲示板の記事の著作権は、書いた人にあるんだ」とか「削除の可能性を覚悟の上で書き込め」とかいろいろ、うっとーしーことを掲示板に明記することを推奨してみたり、しているわけです。(それが、効果的かどうかは、また別問題であるけれども)
あとは、話の前提としての「掲示板以外に、場所はいくらでもある」という話になりますね。確かに今の状況で、特定のWeb掲示板から追い出されても、それが追い出された人に対する致命的な問題にはならない(かもしれない)わけで、目くじらたてなくてもいいのかもしれません。
まぁ、このあたりはなんとも言えないわけで、「まぁ、オレの掲示板って、たいしたもんじゃないから、一人二人好き勝手に追い出しても、別にいいよね」っていうのが、どこまで拡大するかな、というのがちょっと怖いなと思うわけです。
まぁ、このあたりは、(今のところ)「考えすぎ」ってもんで、単なる「杞憂」にすぎないなら、気にしていた私がバカをみるだけでいいんですけれども
(981008に追記)
(とりあえず「だ・である調」で書く)
はち日記981004の記事へのフォロー。
はち日記の内容を、下の「NetNewsとか」とあわせてまとめると、
ということになるだろうか。3.の「なぜなら、掲示板の管理者は、実際に記事を削除できる能力があり、それを止められる人はいないからだ。」は、私が勝手に挿入したもので、はち日記にはどこにも書いてないが、上のような要約になるとすれば、こういう前提が必要なのでは、と思ったので入れてみた。
上の要約に対しての私の意見は「あ、いわれてみれば、実にそのとおり!」ということである。先に私は、「管理者の好き放題掲示板」と「管理者は削除できない掲示板」を対立概念として最初提示してみたが、「管理者の好き放題掲示板」は、いかなる掲示板にも化けられる(例えば「管理者が削除できない掲示板」のフリもできる)が、「管理者は削除できない掲示板」は、他の掲示板に化けることはできないからである。
そのようなわけで、『基本的に「管理者の意向に沿った意見だけが掲示される掲示板」しかありえない。』というのは、ある意味では正しかろう。
で、この状態で「管理者が削除できない掲示板」があり得ないか、と言えば、「仮想的に『管理者が削除できない掲示板』のように振る舞う(実体としては私物の)掲示板」ということで運営すれば、可能である。
ただし、先程述べた4.「管理者の削除能力は、掲示板が物理的に自分のディレクトリ以下にあることによって発生している。」といことがあるので、「実際は削除できるのに、管理者は削除しない」ということを何らかの方法で保証しなくてはならない。結局のところ、「管理者が『削除しない』と宣言して、利用者は信用する」以外に方法は無いわけで、結局は「管理者の倫理」という問題になってしまうわけである。とりあえず、管理者を縛る「法」は、ない、ということで。(著作権法とか、いう話は例外として、ね)
例え話にしては、例えになってない気もするが、『A国が帝政から共和制に移行したとして、その前後で、A国憲法の規定が「A帝国臣民は、偉大なるA国皇帝陛下の慈悲により、生存する権利を与えられている」から「A共和国の国民は、生まれながらにして生存する権利を持ち、何人たりともこれを奪うことはできない」に変更になって、だけど、まぁ、正直な話、世の中はぜんぜん、かわってない』というような話に近いのではないだろうか。『帝国時代も共和国時代も、生存権があるはずのA国の人は、刺されれば死ぬのは同じだけれども、名目上は帝国時代は「皇帝陛下のために死ね」と言われる可能性があるが、共和国時代になると、絶対に言われない(はず)という「ことになっている」点が違う』という点が、『管理者権限の問題と仮想「公共」掲示板の話』と同じである。(なんか文章がわかりづらいぞー>オレ)。
「仮想『公共掲示板』」なる、無茶な設定までして、管理者権限に制限を加えられる可能性を追求しているかといえば、やはり管理者に無限の権限がある掲示板は、議論の場として適当じゃないと思うからである。(ここは、あまりよく考えてないので、ウソかもしれない)
さて、今までの話は、あくまでも「実質的には管理者に削除能力があるのであるが」という仮定の下の話であった。この仮定を無くせば、可能性としての「そうでない掲示板=公共な掲示板」が作成できることになる。
と、なれば、4.「管理者の削除能力は、掲示板が物理的に自分のディレクトリ以下にあることによって発生している。」を無効にすればいいので「利用者から資金を徴収して確保した領域に掲示板を作成して、管理者は選挙で選ぶ」というような形になるだろうか。(この形にしても、選挙で選ばれた管理者の度量の広さに依存する、と言われれば、そうとも思えるが)。
あるいは、所有者が違うディレクリに置かれた複数の掲示板が相互に同期をとって同じ記事を掲示するような仕掛けを作って、一つの掲示板で削除しても、それは他の掲示板には反映しないようにする、とか。
と、まぁ、これは、はちさんの「NetNewsだと さすがに管理者の私物感覚はなくなりますね、たとえ localな NewsGroupでも。」という意見から来ている発想なので、よく考えれば破綻している可能性もある。
で、ここまでやると、「NetNewsの偽物」か「草の根BBSの偽物」であるわけで、その管理倫理の話になると、はち日記からリンクがある、「電波…とどいた?」981004のような「著作権違反の場合でも、基本的には投稿者に連絡して自主的に削除してもらう(のが正しい態度)」というような発想になるのだと思う。
現段階での、私の考えをまとめておくと、
(以上、「だ・である調」)
以上、考えてみて思うのは「公共(っぽい)掲示板を運営するのは、すげーめんどうくさくて、やっぱやってられないね」ということである。はぁ。無理なのかー、やっぱ。
「理論上無理」「理論上は可能だが、実質上は労力かかりすぎで不可能」「理論上可能で、実現も不可能ではないが、実現してみても、思ったほど良くない」のどれなんだろうなぁ。うーむ、どれでもないのかも。
とりあえず現状で「管理者に無限の権限がある」と言われて、「現状でも、そんな権限はない」とは言えないことは、いちおう自覚しているつもりだ。アリバイではないが、「ByeByeBowWow」970920の中で「管理者の無限の権限」を根拠に日記猿人管理者の行動を正当化している。これこれ、そこの人、「この二枚舌野郎め!」と言わないように。「現状である事実が認めらているという事実を認めること」と「それが良いことだと思うこと」は別だ。「黙っていて無限の権限がある」ってのが、本当に正しいのか、どうもよくわからないし、いきなり削除できるなら、できると明示しておくべきなんじゃないか、という気がしてしまうわけだ。だが、どうして「削除できるなら、できるといっておくべきだ」と思うのか、よくわからない。
981003a[ daily life / 日常生活(土) ]
福岡は上天気だ。
オレの中の時間と空間の歪みと体内クロック60Hzの話。
実は、昨日の夜中まで、昨日が木曜日だと信じていたのだった。つまり、今日が始まる数時間前まで、今日は金曜日だと思っていたのだった。
そのようなわけで「えー!? 今週末まで、ってのは今日までだったのか!? 明日までじゃなくて」的な事態になってしまって、土曜日もいそいそと仕事場で作業をするのはオレ。
そのような理由で、GTとのオデーツ(ぐえ)も没まってしまったのだった。すまん。
やっぱ、先週末、あまり寝てない上に昼夜逆転で、そのまま移動し続けたので、空間の感覚だけじゃなくて、時間の感覚も狂ってしまっていたらしい。いや、福岡・山形間に時差つーか日付変更線があるのかもしれないけど。いや、東京・大阪間かもしれない。フォッサマグナに沿って「1時間が50分の地域/1時間が60分の地域」にわかれている、とか。あーそうかーだから電気時計には切り替え器が付いているのか。うーん、オレって生まれも育ちも60Hzな人だからさ。
(念のため。詳しくは電気野郎な人に説明してもらった方がよさそうだけども、電源の50Hz/60Hz周波数切り替えスイッチがついた電気時計は、電源から供給される交流電源の周波数に応じて回転するモーターを使って時計を回しているので、設定を間違えると思いっきり狂うという仕組みなっていたんじゃないかな。けど、まぁ、今の時計って、時間をカウントしているのってクォーツだろうから、50Hz/60Hz切り替え間違えて狂う方が珍しいのかもしれない。50Hz/60Hz切り替えがついてる電気製品って主にモーターの問題で切り替えがあるんだと思ってるんだけども、間違えたまま使っていてどんな恐ろしいことが起こるのか、実は知らない。だって50Hz圏で生活したことないから)
しかし「体内クロック60Hz」って字面は「ペンティアム233MHz」とかに比べて、笑ってしまうぐらい遅いなぁ。ふふふ。
ちょっと、プロテクトしたいコンテンツがあって(ワープ日記じゃないよ)、サクラインターネットの一部ディレクトリに.htaccessと.htpasswdを置いて、プロテクトを企む......のだが、うまくいかない。エラーが出て、パスワード入力ダイアログが出ない。
きのぼーずを移転した時に、ログとかユーザー情報を防衛するために、とりあえず.htaccessだけ置いて「誰もつなげない状態」にはできた。で、その時は「これで充分だから」と、どうしてうまくパスワードプロテクトが作動しないのか、確かめなかったのだが、今回はそれでは困る。うーむ、NCSA httpd書式に従っている(つもりな)のに、うまくいかない。謎。
って、httpサーバが本当にNCSA httpd互換なのか、謎なんだけども。うーむ、アパッチじゃないのかなぁ? どうやって確かめるんだっけ? 忘れてしまったわい。
あー、大元のaccess.confか何かで、ユーザーの.htaccessを無効にしてあるのかなー? うーむ? access.confって一般ユーザーのオレが覗ける場所にあるのかな? むむ、わからぬ。
悩んでもしょうがないので、エラーメッセージに指定されているwebmaster@sakura.ad.jpに問い合わせメールを書く。
unknown userでメールが戻ってくる。おいおい、なんとかしてくれよ(涙)。
あ、上で「プロテクトしたいコンテンツがあるけど、ワープ日記じゃないよ」と書いたけど、当然「裏日記」とか、そういうものでもないので、邪推したり期待したりしないでね。住所とか電話番号とか書いてあるファイルをプロテクトしないで置いておけないっしょ。
週プレとSPA!のSESの記事を立ち読み。
内容はともかく、シー(バダ)ちゃんの顔がどんどん怖くなってきている気がして、怖い。(同義反復ではない)
とんねるずの「食わず嫌い王」にMAXが出ていたと知って、ショック。がーん。まぁ、知っていたとしても曜日感覚がずれていたので、見られなかった可能性大なのだが。
しまったぁ! 明日スーツが必要なんで、今日の18時までにクリーニング屋にとりにいかねば! と思ったのが19時だった。
クリーニング屋はしまっていた。がーん。
まぁ、スーツは秋物を出せばいいのだが、先日の米沢=>大阪の行脚でワイシャツを使い尽くして、しかも全部(ここがバカ)クリーニングに出してしまった!
って、わけで、形状記憶シャツを買ってきたよ。はぁ。
F.S.S.の9巻を買ってきた。今回は(機種依存文字な)ローマ数字でうっかり書こうにも「VIIII」っていう9は、普通無いので大丈夫なのだった。(普通は「IX」だから)。
今回は、スタント遊星から何だかわからないものが次々やってきて、歴史は遡る、難しい漢字が画面を右往左往する、重要な人物が突如出現して、家系図がどんどん収斂して「主要登場人物って、みんな、誰かの御落胤なのか!?」とか「みんな親戚なのか!」とか、もぉ、(前からわからなかったが)オレの頭では、何がなんだか全然わからないのだった。
(なんだか「源氏も平氏も、みんな天皇家につながってるんだ!」みたいな戦国絵巻だなぁ。って、源平合戦は「戦国時代」じゃないんだ。)
しかも、これだけ「タネアカシ」が書いてあるのに、オレの頭では、いまだに、「誰が、ダグラス・カイエンの父親か」ってのが、よくわからないのだった。
てっきり諸悪の根元はディモス・ハイアラキかと思っていたのだが、今回登場したもっとすごい人も含めて「アゴ男の系譜」がジョーカー太陽系を荒らし回りまくりなんじゃないかしら、と思ってしまったのだった。単に、永野の絵では「ちょっとごついいい男」がみんな「アゴ男」になってしまうのかもしれないけれども。
個人的には、以前からボード・ヴィラードが結構好きだったのだが、なんか偉くなりすぎちゃったなー。
ついでに設定資料やらカラーページが刷新された新版1巻も買う。うーん、1巻をまた買うぐらいなら、かわないことにしている「でかくて高い本」を買えばいいのに、と我ながら思うのだが。エピソードガイドとか。
しかし、MHエンプレス登場シーンは、「破烈の人形」の登場シーンでも思ったけれども、「見ただけで偉さがわかってしまう凄いモーターヘッドの登場シーン」で、「あの胸の紋章はエドン国の紋章!(最強ロボ・ダイオージャ」とか「この日輪の輝きを恐れるのなら、かかってこい!(無敵鋼人ダイターン3)」とかの、名乗りシーンを連想してしまうなぁ。って、名乗りシーンそのものなんだけども。
ま、なんかしらんが情報がいっぱいつまっていたので、お腹一杯になったぞ、と。
システムがふっとんだMacの外付けHDを、840AVにつけかえる。
データは問題なく読めるので、単にシステムが破壊されただけと判定する。
HDの空きが8MBぐらいしかないので、今のシステムを温存したまま別フォルダにシステムをインストールするのは不可能。
けど、840AVのHDも満杯。しょうがないので、ネット経由でNTの領域にMacのシステムフォルダをいったん退避させる。
元475の外付けだったHDのシステムフォルダを削除、840AVのCD-ROMドライブからMacOS7.5.3を転送。
起動ディスクを切り替えて、新しく入れたシステムで起動することを確認して、再度、起動ディスクを840AVの内蔵ディスクに戻して再起動。
「コントロールパネル」「初期設定」「機能拡張」のフォルダを、NT上に追放した旧システムフォルダから転送......してしまうと危ないので、とりあえず、別名フォルダを作って、そこに移す。
外付けHDを840AVからLC475につけかえて起動。
ふぅ、やっと10日ぶりに475が復活。
MacTCPの設定のしかたを忘れていて、しばらく悩んだが、とりあえずうまくいった。
最低限度、必要なサーバ類だけ稼動させて、あとは来週にしよう。
(やっぱ、フロッピーで起動できるほうが、いいなぁ。って、内蔵CD-ROMドライブもたないLC475が悪いんだけどさ)
981002b[ StarWars Episode ONE / スターウォーズ・エピソード1 ] (機種依存文字とエピソード番号を修正)
って、スターウォーズ冒頭のはるか彼方へ小さくスクロールアウトしていく字幕をマネしてみたら、うっとーしかった。
あらためて、書けば、「そんなわけでキャストも公開されたスターウォーズ・エピソード1なんだけど、なんか、アナキン少年のいたいけすぎる顔や若きオビ・ワンの渋いニーチャンぶりを見ると、あぁ、これから、この少年が身長2mのオッサン、となって、暗黒面に落ちて、師匠と溶岩惑星でどつきあいしたりするのか、と思うと、ゲンナリ。」ってことかしら。まぁ「ゲンナリ」ってのは、言葉のアヤで、すげー期待してるんだけどね。
(一応、世間で流布している設定によると、ダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーは、理力の暗黒面に落ちて悪党になってしまった後、暗黒面から救いだそうとした師匠のオビ・ワンと溶岩惑星で決闘して、負けて、溶岩に落っこちて、全身大火傷を負って、あの黒マスクと生命維持装置付きの鎧を着ないと生きていけない身体になってしまった、ということになっている)
そうは言っても、野田大元帥とか、よくいろんなところで「少年アナキンの大冒険」とかいうネタをうっとりと語っているんだけどさ、その主人公があげくに暗黒面に落ちてダース・ベイダーになって、最後は息子が皇帝の電撃うけて「ぱぱーぱぱーたすけてーいたいよー」とかみっともないこと叫んでるのを見かねて、皇帝を穴ん中に「ポイ」して宇宙を救ったりすることを考えると「みっともなく没落する主人公の物語が見たいか!?」と思うのだが。
(981002追記)
ジェダイの復讐のクライマックス、ルークが皇帝の「手から電撃ビビビビビー」を浴びてやられてて、ベイダーも手切り落とされて満身創痍って状況だと、やっぱ、あすこは、皇帝を背後から羽交い締めにして「ルーク! ワシとともに皇帝を斬れぇえええ!」だ。それしかない! 「るぅうううく、ワシとともにきれぇえええ」「で、できないよ父さん!」「ぶぁっかもぉおおん! お前の父アナキン・スカイウォーカーは、暗黒面に落ちて死んだのだぁ。ワシはダース・ヴェーダー、お前の父を殺したカタキだ! さあ、るぅうううく、ワシを斬れぇえ。ワシの悪の心ごと、皇帝をまっぷたつにするのぢゃぁあああ!」「うぉおおお、とうさん! ずばー! ぶしゅ!」「うぎゃー、ずどーん、びびびー!」「と、とうさん、だいじょうぶですか」「ふっふっふ、心配はいらぬ。ダースベイダーは死んだ。お前の剣がワシの悪の心を切り裂いてくれた......マスクをはずしてくれ.....お前の顔が見たい......」というような展開が、正しい展開だ! おぉおおお、武士道! おぉおおお浪花節!(981002追記)
ただ、まぁ、「若きオビ・ワンの大活躍」はちょっとみてみたかったりして。エピソード4,5,6の中では、説教臭い紳士面のオビ・ワンが、実は「ちょっとかげりのある剣士さま」してる姿ってのは......んー? なんか「るろに剣心」っぽい世界観になってきたのかも? んー?
(余談:スターウォーズのお話は、一応エピソード1から9までの全9作(あるいはエピソード1から6までの全6作)の構想で作られていて、いわゆる三部作は、真ん中(あるいは後半)のエピソード4,5,6ということになっている。つまりエピソード4「スターウォーズ(新たな希望)」、エピソード5「帝国の逆襲」、エピソード6「ジェダイの復讐」という具合。今度作るのは、映画の三部作よりずっと前の時代の物語。)
少年ネタといえば、野田大元帥は「少年キャプテン・フューチャー」というネタにもうっとりするタイプみたいだから、きっと「ヤング・インディージョーンズ」とかには、うっとりしまくりなンだろうねぇ。
何にせよ、三部作以後の世界は、追跡できないぐらい、なんかすごくなってるから、まぁ、みんなが手をださないエピソード1,2,3を作ってくれるのはありがたい。
何にせよ「こんなエピソード1,2,3なら、いらない」って映画にならないことを祈る! けど、なんか「ウィロー」とか「イォークアドベンチャー」なノリになりそうな予感が。って、今度はアナキンが小熊さんの役回りなのか。ううう。
981002a[ daily life / 日常生活(木) ]
ふぅ、戻ってきてみると、思ってもみなかったトラブルが、留守中に続出というやつで、まいったまいった。
気合いで2、3個のトラブルを叩きのめしてやった。とりあえず、これで通常モードに復帰ってやつだろう。ふぅ。
「理科系の作文技術」を読み返していて、ふと思ったのだが、どうして理系の横書き日本語では、「、。」のかわりに「,.」を使うのだろうか? (まぁ、もちろん理系の横書きの日本文で「、。」を使わない、というわけでもないのだが)
なにか、いわれがあったような気もするが、納得できる理由を知らないので、やっぱりどうも、しっくりこない気がする。
ただ、どうも「理系の横書きの日本語の文章」ってのは「本来縦書きの日本語の文章を横にした」のではなくて、「英文のフォーマットの中に、日本語を導入した」ものなのかもしれない、と思うのだった。
「英文フォーマットの中身の使用言語を日本語にしただけ」というのであれば、「,.」だけでなく「;:」を使ったり、英単語を混ぜたりするのも納得できる。
普段の生活で何の気なしに縦書きの文章を読んでいて、別に「あぁ、縦書きって本当に読みやすいわ」とか思ったりせずにいるので、「横書きになると違和感がある」とあらためて言われると「違和感あるのか?」と首を捻ったりするのであるが、実際に、新聞なんかも横書き新聞だと違和感あるのだろうな。アサヒコムを読んで違和感なくても、朝日新聞が横書きだったら、やっぱり「おや?」と思うだろう。その横書き朝日新聞が読みづらいかどうかは謎だが。
「新聞」も「小説」も「雑誌の記事」も、普通縦書きなんだよなぁ。けど、仮に横書きにされて、すごく困るかっていうと、あんまり困らない気もするんだけどなぁ。やってみないとわからないけど。
ただ、まぁ、オレ個人としては、小説は、いまだに横書きで読みたくないな。
「横書き小説」に関しては、ある程度の経験があって、まだ、ワープロソフトは普及したけど、DTPソフトが普及する前で、縦書きで印刷するのが面倒だった時期に、一部、SF研なんかの部誌で、横書きの小説を読んだりしたけれども、やっぱ、あれは、どうしてかわからないが、いまいちだった。(内容がいまいちだったかどうかと別の話で)。
縦書き横書きと別の次元で「ディスプレイで読むのがいまいち」ってもあるからなぁ。オレ、本は基本的に、ねっころがって読まないとダメなタイプだし。
オタキング岡田斗司夫が、いくら無料で「ぼくらの洗脳社会」をWeb上で公開しても、金だして紙の本買って、ねっころがって読む方が楽だし。(実際に金だして買って、ねっころがって読んだ)。
結局、この話を真面目にするには、
期待していた「縦書き表示するソフト」ボイジャーのT-timeは、QTを使って縦書きを生成しているせいか、オレのマシンじゃ、オレが期待したほどの速度が出ないので、悲しい。
そうそう、T-timeで「銀河鉄道の夜」を読んでいて思ったのだが、自分が全体のどのあたりを読んでいるのかわからなくて不安だったな。
紙の本を読んでいるときに、そんなに必死に「今のページ数」とか「ここが全体の何%にあたる部分か」とか、考えてるわけじゃないのに、電子テキストで読むことになると、急に「ここは、全体のうちのどこなんだろう?」と不安になるのは、何故なんだろう? って、普通、こういう不安って感じないものかな?
CD-ROMタイトルを見てるとよく思うんだけど「ボタンを押したら次々に何かが現れる」のはいいけど「いつまでたっても、全貌が見えない」感じが嫌いなんだよなぁ。少なくとも、本ってのは「一覧性」というか「ざーっと、とりあえず眺める」能力が高いからねぇ。
で、Webも、わりとその傾向高いんだけどね>「いつまでたっても、全貌が見えない」
まぁ、ワープ日記も、オレのサイト全体も、なんだかそうかもしれないから、偉そうなことは言えないのだが。
「Webも工夫次第で全貌を把握しやすくなる」とか「全貌がみえないWebページは、本当に多いのか?」とか、いろいろ反論もあるかもだけど、とりあえず上のように思ってしまったんだ。
と、いうわけで、結論は無いわけで、思いついたことをいろいろ書いてみた。以上。
機種依存文字の話。
「スターウォーズ・エピソード(特)」とは、特別編のこと。(うぞ)「スターウォーズ・エピソード二」とは、2のこと。(うぞ)
つーわけで、上のスターウォーズ話の中で、思いっきりうっかりローマ数字を使ってしまって、失礼しました。いやーもー「スターウォーズは特殊法人なのか?」というツッコミが、くるはくるは。
(まぁ、何度も何度も出てくるし>「I」)
ついでにエピソード番号も思いっきり違っていたので、訂正してみました的。
もぉ、ワープボードにわざわざ投稿していただいて、もぉどう対処していいやら。わはは>♪
つーわけで、まいったまいった。あー恥ずかしい。