諸星未来堂ワープ日記
もぉクリスマスモードか? 十一月第四週
MOROBOSHI Tomorou's
Warp Diary
1998 November 4th Week
Japanese-Language Contents
リレー小説プロジェクト【StorieS Re:turnS】 君も書き込むんだ!(くわっ!)
SFと特撮の掲示板『諸星未来堂 SFくん!』が出現したんだ!
981130a[ daily life / 日常生活(月) ]
福岡は、雨。
月曜日であるので、本来は「11月第5週」のファイルにすべきなのだが、そうすると11月第5週が1日しかないのでこのまま第4週に書き続けることにしたのだった。
こういうあたりが「1週1ファイル」の弊害だな。
って、世間で「1週1ファイル」という場合には、月をまたいでいても、ある週は1ファイルにする、らしいな。つまり年間54ファイル固定という。
オレは、ある月の日記が別の月のファイルに入り込むのは好きじゃないので、分けている。よって、ある月の第1週は、かならず1日から始まるのだった。(過去、前の月のラストにいれたことがあったかもしれないが、それは現在では「まちがい」ということだ)。
ちなみに、個人的趣味から一週間は「月曜日」から始まることにしているので、日曜日は一般的なカレンダーとは日曜日の所属する週が違ったりする。
そして、このあたりの「こだわり」は、先日述べたように(ワープ日記981123, 981124参照)わりとどうでもいい個人的こだわり、なのであると思っているので、とてつもなくいい分け方が出現しないかぎり、このまま続けるつもりだ。まる。
先日の質問に対する回答がホソキン日記981130に出ていたので、それに関して。
うむ、ホソキンさんが先日の文章で何を言いたかったのかは、だいたいわかりましたです。ホソキンさんの姿勢も、いくつかある代表的立場のひとつ、として理解できました。
そして「ホソキンさんの書いてることが、いくつか別の論点にまだ分けることができる(とオレが思う)」ことや「分けた個別の論点に関して、オレが必ずしも賛同しないものもある」ことや「悪口批評の是非そのもの」は、また別の話なので、また別の機会に語ることにするのだった。
(いや、「ホソキンさんの言うことは理解できた」ってのを枕にして、以下のもろもろを語るつもりだったのだが、時間ないので、とりあえず「わかった」ってことだけ伝える文にした、ってことね)
あと、まぁ、「悪口批評の罪」を語るホソキンさんの立場と「README新作レビュー」を作成するホソキンさんの立場に整合性があるのかどうか、ってのも興味深い点であるけれども、これはまたこれで別の話。
けど、レビューなんかしてると、レビューされた側やら読者やらから「お前、何様のつもりでレビューなんかしやがってるんだ!」と言われてしまうので、大変ですな。苦労した上に文句まで言われたら、踏んだり蹴ったりってことで。
まぁ「苦労すればそれに価値がある」ってわけでもないのが、つらいところですな。苦労しても無価値なものができることもあれば、苦労せずして価値あるものができることもあるので「何様のつもりでレビューしてるんだ?」って言われた場合に「わたしはこのレビューで苦労しました」と言っても、話が噛み合いませんからねぇ。(念のため書いておくが「ホソキンさんのREADME新作レビューに価値がない」とか主張してないので、そう読まないように。)
(あんまり言ってると、苦労を回避して悪口感想文ばかり書いているオレの立場がますます危なくなるので、お茶を濁しておいたほうがいいのかもしれんな)
「お茶と風邪薬」
「風邪薬はお茶と一緒に飲んではいけない」という話があって、この話は「わりと広く流布して」いて、かつ「科学的根拠もある」のだと思っていたのだが、本当なのか自信がなくなってきた。
ちょろっとWebで検索した程度の知識で言えば「お茶の成分タンニンが、胃腸薬・貧血の薬に含まれる鉄分、あるいは抗生物質のミネラルと結合して吸収をさまたげるから」ということらしい。
となると「お茶と(一部の)薬は一緒に飲んではいけない(効かなくなるから)」というのは事実だろうが「風邪薬」は、あまり関係ない気がするなぁ。まぁ、抗生物質は風邪薬の一部かもしれないが、薬局で処方箋なしに買える薬に抗生物質は含まれてない気がするし。胃腸薬は、うーん、風邪薬じゃないような。貧血はもっと違うなぁ。うーむ?
けど「風邪に改源」だったかは「お茶と一緒に飲める」とかいうのをセールスポイントにしてなかったかな? うーむ、記憶があいまいだ。
と、いうわけで、この件についてご存知の方は教えてくだされ。
塩酸ブロモヘキシンは、去痰剤なのか。
「モロさん、懐中電灯持ってません?」と、仕事場で突如言われる。
「どうしたん?」
「いや、ちょっと大事な部品が棚の下の奥の方に転がっちゃって……電気スタンドとかはコードが届かないんで、懐中電灯ないかな、と」
「そこらに備品のがないの?」
「みあたらないんですよー、ほらーモロさん、マニアだから、鞄の中からアウトドアグッズが出てきたりするじゃないですか? だから、その鞄のポケットから懐中電灯が出てきたりしませんか?」
「おいおい、オレの鞄はドラえもんの四次元ポケットかよ!」
と、冗談で鞄の中を探してみたら、マグライトが出てきてしまった。わはは。どーして、こう都合よくはいっているんだ?>マグライト。これじゃぁ、本当に四次元ポケットかもしれん。まいった。オレが悪かった。
981129a[ daily life / 日常生活(日) ]
福岡は、晴れ(だっけ?)
朝から仕事場に行って、ボスや大ボスがいない間に、できるだけ作業を進めておこうと思っていたら、休日出勤したらしい大ボス様に発見されて、ミーティングミーティングミーティング。
月曜朝イチまで、という作業が発生してしまう。ううう。
晩飯ぐらいは食いたいもんを食うぜ! と有名な餃子屋に飛び込んで餃子を食いまくる。うむ、満足ぢゃ。
夜中に帰宅すると、弟君がテレビを見ていた。なんでもフィリピン沖で発生した地震による津波が日本列島太平洋岸にやってくるとか、来ないとか。
沖縄、鹿児島、そしてフィリピンから続々と到着する情報によれば「ぜんぜんこねー」とのこと。アナウンサーは緊張したおももちで各地の満潮の時刻を読み上げて津波に注意するように呼びかけているが、中継でつながる沖縄の海は、いたって平穏。
とはいえ「安心してください」と言うわけにもいかないのだろうから、ご苦労さまだな。
実家に大至急届ける書類があったので、ミラパルコ号で、ガラガラの真夜中の国道3号線をぶっ飛ばすのだった。って、法定速度+α程度しか速度は出さないのだが。
しかし、冬になってますますエンジンのブロロロ度があがっているミラパルコ号は国道を時速60キロで走るだけで「やばげなハイスピード」ってイメージだ。しかも、右にハンドルをいっぱいに切ると、右足の下あたりから、グギギギギギギギととっても素敵に不気味な音が響くのである。なんか「金属疲労」とかいう単語が頭に浮かぶなぁ。「車から降りてみたら、ホイールキャップが外れて無くなっていた」ってのもけっこう悲しい事件だが、さすがに「車から降りてみたら、車輪が無くなっていた」ってのは体験したくないな。
運転中眠くて眠くてしかたないので、弟君が搭載していた音楽テープをがさがさやるとなぜか「イーグルス・ベスト」しか出てこないので、しょうがなく「ホテルカリフォルニア」を聞きながら走り続けるのだった。気分としてはディープパープルの「ハイウェイスター」でも聴きたいところだが。
981128a[ daily life / 日常生活(土) ]
福岡、晴れ。
「オリックス編成部長が自殺。沖縄水産の新垣の獲得失敗が原因か?」ということらしいですね。
スポーツ新聞の見出しでしか知りませんから、事実誤認があるやもしれませんが、この見出しをみて思ったことは、
とはいえ、キリスト教徒でもない限り、人間には死にたいときに勝手に死ぬ権利があると思うので、やはり人間、死んだ方がましだと思った場合は、死ぬのもアリなんじゃないでしょうか。それが「完全自殺マニュアル」の教えだということで。
というわけで自殺していいか悪いかという話はひとえに「残された人らにどのくらい迷惑がかかるか」という程度問題なわけですね。量的問題だ、と。質的問題でなくて。私が言っていることをまとめますと。
個人的には「仕事で追いつめられても、女にふられても、とりあえず死ぬのはよしておこう!」と思いました。はい。
980219の新井将敬代議士の自殺んときも似たようなことを書いていたような気がしますな。(ワープ日記980219a参照)。今回は別に公人じゃないけどね。
(同日追記)
いろいろオフラインその他からツッコミが入ったので、自殺の是非の話を考え直したのだが、上に書いた「自殺してもいいけど、まわりに迷惑かけるなよ」という結論は「自殺されると迷惑だ」ということを前提としていて、結果的に「自殺に意味を認める」ことになる。よって「自殺するのは個人の自由だ。そして、周囲はその自殺に意味を認めてはいけない」ということか。
そういうわけで、オリックスに対してペナルティを科したりしてはいけない、と。
オリックスは次々に新手のスカウトを繰り出していい。そして、新垣側はたとえ玄関口でスカウトがガソリンかぶって焼身自殺しようが切腹しようが「おたくとはお話することはありません」と言い続ければいいということか。
しかし「自殺に何らかの意味合いを見いだすと、自殺に社会的強制力としての能力が発生してしまう。そしてそれは間違っている。よって、社会は自殺に何らかの能力があることを否定しなくてはならない」って発想が仮に正しくても、今現在、日本社会では自殺には何らかの社会的意味が付加されているわけで、そういう状況で自殺されちゃった側は、どう対処すればいいんだろうか? 「世間の目を気にする方が間違ってるんですよ」と言われても、実際に世間の目が気になるのは止まるまい。
それに「自殺に意味を見いださないようにする」ってのはなんか「けがれた『自殺という存在』を無視して、それが存在しなかったことにする」という極めて日本的な対応と表面上同じになってしまうのではないか、と思うのだが。
(同日追記ここまで)
悪口批評の是非の話。
発端は「悪口批評よろしくなかろう派」のホソキンさん(ホソキン日記981125)それに関して「悪口批評もわるくはなかろう派」のはちさん(はち日記981126)。さらにそれに対するホソキンさんの反論(981128)。
結局のところ「悪口にもそれなりの効用があるのだが、どうせ書くなら『みんなが知らない面白い本』の話を書くべきだ」ということだと思う。(自信がないのでぼやかす)。
オレとしては、ホソキンさんが「悪口批評が商業誌に載ってるのが嫌い」なのはわかるのだが、それが以下のように
と主張する理由がどうもピンとこないから、もう少し説明して欲しいところだ。「タダで本をもらったり、資料代で落とせるような立場の人間が、原稿料をもらってつまらない本の悪口を言うのは(たとえそれが、本っ当につまらない本だったとしても)商業道徳的には許せない、というオレの本音はある。」
悪口言いたいのなら、自腹で買った本を、自腹で(インターネットみたいな場で)言うべきだよね。
まぁ、話をSFに限れば「SFとして売れてるが、こんなのはSFなんかじゃない」「これはクズだ読むな」と、片っ端からケチつけてまわったら読者が読む前に読むべきSFが無くなってしまう、ってことになるので、そのような行為は結果としてSFというジャンルに対しては自殺行為だ。
しかし、読んで「あぁダマされた」と思えば、その読者はSFにに戻ってこないわけだからして、読者が「ダマされた!」的な作品を間違って手に取らないように警告・先導する人が必要なのでは? という気もする。(読者がダマされた! と思うような作品が出版されてなけりゃ話は早いのだが)
オレ個人としては「もてはやされてるこのSF、なんか読んでもつまらないんだけど、オレが悪いのかな?」とか心配になったときに「売れているが、これは実は、これこれこういう部分がクソなのだ」とズバリ指摘してある文章を読みたいと思ったりするのだが。つまり、ある種の「悪口批評肯定派」なわけだ。例えば、オレは「パラサイト・イヴ」や「ブレイン・ヴァレー」がどうして(オレにとって)面白くないのか、誰かにきちんと説明してほしくてたまらない。
ありきたりの結論であるが『アンテナの弱い読者になりかわって周辺領域から面白そうな本を探してきて紹介する書評』と『売れてて目につくけど実は色々欠点があって、一部の読者には納得できない部分がある作品をぶった斬る書評』の両方が必要、ということだ。これに加えて、現状ではぶった斬る系が多くて、アンテナ系の書評が少ないので、プロの書評家は、つとめてアンテナ系の書評を書くべきである、ということをホソキンさんが主張しているのならば、納得できる。(本当にぶった斬る系が多いのかは知らないが)。
そして、ぶった斬る系ばかり読んで喜んでいる困った読者は、いずれ穴掘ってまとめて埋めてしまうと世界が平和になる、と。
あぁあああ、いやーん、埋めないで埋めないで!
そういう訳で(どういう訳だ?)、オレは「アンドロメディアがいかにSFとして許せないか」をぐぢぐぢぐぢぐぢ書き連ねたりするわけだ。誰もSFだと思ってなかったかもしれなくても、だ。
う、こうやって突き放して書くと、オレのやってることは、思いっきり間違っている気がしてきたぞ。まいった、困った。
SPEEDメンバーがひとりひとり少女雑誌の表紙を飾っている今日この頃、CUTEにタカコ、Zipperにエリコ、Oliveにヒロコと掲載されてるのは確認したのだが、ヒトエねーさんだけ、いつまでたっても登場しないので「ひどいや、なんなら『月刊レゲエファン』とかでいいから使ってやって!」とか思っていたのだが、relax(No.32)という雑誌の表紙がヒトエイラストで中にも記事があるそうなので、とりあえず全員一誌ずつの露出ということらしい。よかったよかった。
けど、ヒトエねーさんだけ「イラスト」ってのは、なぜ?
先週のヒッパレで、ヒトエが「一晩中ゼンザイ作ってます」ってのを「宣材」と聞き間違える話をしたのだが、聞くところによるとSPEEDのCDやビデオの業界内部プロモーション用のパッケージは、全部ヒトエ・デザインらしくて、あの発言は本当に「宣材」と言ったのを「おぜんざい」と理解されたので、ギャグのつもりでそのまま「そうそう、ゼンザイね」とオトしたという説が。
オレは観てないのだが、最近ヘイヘイヘイでヒトエが再度、ゼンザイにチャレンジした、とかいうネタがあるんじゃないのか? あると思いこんでいたのだが。
奥が深いなヒトエ道も。(すでに「道」なのか!)
先週のヒッパレといえば、ライブを観ていたら“コロッケ”が出てきて杉山清貴の歌を次々に歌っていた。あまりにも“コロッケ”の歌がうますぎるので「へーコロッケってこんなに歌うまかったのか」と感心していたら、その“コロッケ”は、杉山清貴、本人だった。がーん。そのメガネはよしたほうが……。
981126a[ daily life / 日常生活(木) ]
そういうわけで、徹夜で大ボス様会議用資料を作成して、朝イチで届けるのだった。
で、力尽きて、基地に帰投して燃料弾薬補給の後、再発進のつもりが、はっと気付くとリビングの床で気絶していたりして。
あわてて、仕事場に戻ると、とりあえず会議は無事終了してプロジェクトには「Go!」サインが出たらしい。ホッと一息ってやつ?
とはいえ、ここでNoサインが出たら、かなり「おわってる」モードに入る瀬戸際だったので、Goサインが出るのはあたりまえといえば、あたりまえ。しかも、正式にGoサインが出てしまった以上、このは本気モードで進まなくてはならないので、これはこれで、つらいのだが。
ま、がんばるしか、ないでしょ。
GTとガスト飯。
「ちょっと遅れる」というGTからの連絡を受けて、先に店に入ってハンバーグなんぞを食っていると、GTが「やぁやぁ」と手を上げてやってくる。そして、向かいの椅子に座るか座らないかの開口一番、
「ヒロスエ、早稲田うかったな!」
とか声を弾ませるので、オレとしては開いた口が塞がらないというか、口あんぐりあけてしまうのだった。で、唖然としているオレの顔を見ながら「まぁ、やってくるやいなやヒロスエから入るオレらって、何? ってやつだな。さてと、メニューメニュー」などとさっさとメニューをめくりだす。いきなり「ヒロスエ」から入られてる上に、そのまま「オレら」と同じ穴のムジナにされてしまったオレは開いたまま塞がらない口にハンバーグだの付け合わせのカキフライだのを放り込むのだった。
いつものような、くだらない謎な話をする。
GTと別れて、黒木書店という名島橋のたもとの書店+CD屋まで出かける。自転車で充分行ける距離なのだが、寒いの寒くないのって半変温動物であるオイラ的には、冬眠やらヨガの眠りやがら始まりそうな寒さなので、ミラパルコ号で出動するのだった。って、なんかエンジンがごぼごぼいってますが、オレより寒さに弱いのか!
先日から突如,ペットショップボーイズの「Westend Girl」が聴きたくなったり、m.c.A.T.版の「ごきげんだぜ」が聴きたくなったりしたのであるが、普段いきつけの本屋&CD屋には置いてないので遠征ってことで。
買った本。
「世界の中心で愛を叫んだけもの」は、ヒューゴ賞・ネビュラ賞ダブルクラウンに輝く,鬼才ハーラン・エリスンの代表作だのニューウェーブだの(以下略)。ハヤカワ文庫「受賞作品フェア」で積み上がっているのを発見したので「オレ的古典SFお勉強月間第二段」として突発的に買ってみた。
さて、とりあえず表題作の「世界の中心で愛を叫んだけもの」を読んでみるか。
読んだ。
わからねぇ……
読んだ。
ずぇんずぇん、何が書いてあるかわからねー。
読んだ。
あ、やっと三度目にして、何が書いてあるかわかったかも。頭が寝ていたのかもしれない。別に難しい話でもないし、短い話だから、普通に読めば理解できる話なのかもだが。
うーん、けど、まだ作中で何が起こったのかよーわからんところがあるなぁ。なんか「Aのようにみせかけて実はBだった」という作品に読めるのだが、ひょっとして最初から最後まで「B」と書いてあるのかもしれない気もする。「Aのようにみせかけて」ってのがオレの誤読で。
何にせよ「ひどいはなしだ」とは思うが某GONZAPみたいに「人生がかわった!」的な衝撃は受けなかったりして。
なお、エヴァの「世界の中心でアイを叫んだけもの」のタイトルの元ネタであることはいうまでもない。けど、内容はほとんど関係ない。(いや、よく読めば関係あるのかもしれないが)
次は「少年と犬」だな。映画「少年と犬」の原作であるが、イメージかなり違うらしいからなぁ。映画「少年と犬」も、そうとうひどい映画だったが。あ、映画のできはいいんだけど、お話が「ひどい話」だから、って意味ね。。あー委員会怖い。
別冊宝島418「音楽誌が書かない『Jポップ』批評」は、かなり下世話なツッコミ本というか、言ってみれば「売れ線Jポップの謎本」といった本だが、ぱらぱらと立ち読みしてみて「思っても誰も口にしない、SPEEDの七不思議 プロデューサー伊秩弘将の“瓢箪から駒”」が大爆笑だったので買ってしまう。
曰く「(SPEEDの)コンセプトは『エロ歌謡を歌う子供たち』だった。」あるいは「プロデューサーの伊秩弘将はSPEEDをスイート・ソウル・キッドにいするつもりなど毛頭なかっただろう。まして平成のフィンガー5になど絶対したくなかったはずだ。小学生のチビッコが踊り狂いながらエロ歌謡を絶叫する。そういう見せ物小屋のごときフリーキーな部分こそSPEEDのスタンスだと考えていたはず。」などなど。
ところが、世間がSPEEDを神聖視して国民的アイドルにしてしまったために、「BODY and SOUL(♪痛いこととか恐がらないでもっと奥まで行こうよ)」から「Go! GO! Heaven(♪成熟した果実のように溢れだしてく欲望に忠実なだけ満たされたい)」にかけて展開していた「歌詞をよく読まなくてもわかるあからさまなエロ歌謡」路線を転じて、「Wake Me Up!」以降の「健全な歌詞の歌」に路線変更。そして、イヂチはやりたかった「10代の露骨な性の世界」は、deepsにまかせて、やりたいほうだい露骨な歌をかきまくった、と。
でSPEEDの延命策としては,世間の期待を裏切りつづける逃げ足のSPEEDで勝負、という作戦に転じたと。
あらためて眺めると、「考えすぎ」がたまたま重なっているという気もするのだが、(特に、SPEEDはハモリ能力が低いんじゃないか、と思うし、ダンス組と歌組に分けたのは、Go!Go!Heavenで「踊りながら歌うことは不可能」だと判明したからだと思うし)、いくつかは考えすぎだとしてもなお「イヂチは世間に迎合して売れ線を狙っている」よりも「イヂチは世間を裏切り続ける作戦を取っている」と考えた方が、つじつまがあうような気がする。
とまぁ、こんな具合で、小林武史は、マイラバとミスチルで互い違いに冒険と売れ線狙いをやっていて、マイラバが冒険してるときはミスチルが定番、ミスチルが冒険してる時はマイラバが定番をやっているので、同時期にどっちも倒れることは絶対にないようしている、とか,ミスチルの復帰後の歌詞が「前向きに見えて、実は悲鳴」である解析とか、TKのglobe改造計画とか華原朋美に難しい曲ばかりあたえて生きたまま死んでいくように仕組んでいるマッドサイエンティストぶりとか、「男がマキハラ好きを公言するのがどうしてこれほど恥ずかしいのか」とか……
とにかく、面白かった。下世話だけど。サブタイトルに「はやりの音楽に対するアナタの“眼差し”が180度変わる!」と書いてあったのだが、どっちかというと、通常オレはJポップを「この本みたいな見方で聴いている」ので、もやもやしたものがハッキリした気はしたが「180度かわった」気はしなかった……って、オレのJポップの聴き方が、そもそも歪んでいるのか?
「PET SHOP BOYS DISCOGRAPHY The complete singles collection」は、何というか「これだ!」だったな。「Westend Girl」と「It's a sin」しか知らないから、なんかベストみたいなやつ……と思っていたら「完璧シングル集」なんだから、まさに完璧。
しかし「Westend Girl」がデビュー曲だったのか。
それと、初めて知ったのは「哀しみの天使」って「It's a sin」の邦題だったのね。名前だけよく聞くけど、曲そのものは聴いたこと無い曲なんだと思いこんでいた。
♪ちゃーちゃーちゃちゃっちゃーちゃー イッツァスィン
♪ちゃーちゃーちゃちゃっちゃーちゃー イッツァシン
(だから、わからねーてばよ>オレ)
この「It's a sin」って曲は、聴けば一発でわかるけども、「鎧伝サムライトルーパー」の最初のOP曲である「スターダスト・アイズ」の元ネタなのです。(って、トルーパーの曲を知らないだろうなぁ、みんなは)。
それにしても「It's a sin」がどうして「哀しみの天使」なんだろうなぁ? 直訳すれば「罪」だけどね「それは罪」とか「ボクの罪」か。あ、なんかひっかかると思ったら、「ボクのやることなす事はすべて間違っていた。全部ボクの罪なんだ」というこの曲の内容といいタイトルといい、日本語にすると「オレの罪」「踊るダメ人間」「断罪断罪また断罪」と、筋肉少女帯の世界なんだ! ちょっといやだなぁ。
カバー曲の「君の瞳に恋してる」なんだけども、原題が「I Can't Take My Eyes off You」だから、直訳すると「君から目が離せない」だよなぁ。別に「君の瞳」とか全然出てこないし。無理に同じように訳せば「君に瞳が恋してる」が正しかろう。
「fight 4 da future / m.c.A.T.」は「ごきげんだぜ」をm.c.A.T.版で聴きたかったから選んだ。
で、聴いて思ったのだが、実はDA BUMP版の方が面白い。ボーカル部分はm.c.A.T.のハイトーンボイスと一茶が同じ様なもんで、問題はラップで、m.c.A.T.とダ・バンプの「一茶以外」とを比べると、m.c.A.T.の方が当然うまい。だが、うますぎる。うますぎてリズムにきっちり乗ってるから、かえってダ・バンプの方が面白い。三人がかりで字余り的に無理矢理詰め込むがゆえに直後の「♪どきゅーんずきゅーん胸うつー」が効く。という具合に、m.c.A.T.版わざわざ買ったら、負けていたってのがオレ的には意外だったな。
歌詞が変わってる部分があって、オリジナルでは「ちょっとやばいじゃん ヘソも出しちゃって」がダ・バンプ版では「ちょっとやばいじゃん チラり胸にタトゥー」になっている。さすがに、いまどき、ヘソだしたぐらいじゃ「やばいじゃん」とは思われなくなったということであろう。と同時に98年でも「胸にタトゥ」は「やばいじゃん」という認識だということだ。21世紀までこの歌が生き残ったら「タトゥぐらいでどうしてやばいの?」と言われたりするのかもしれない。って、シールじゃないよね? こういう場合?
981125a[ daily life / 日常生活(水) ]
福岡……天気しらない。雨ふってなかったから、きっと曇りだったんだろう。
(この項目はいつもに増して演出のためのフィクションが入っているので覚悟して読むと吉)
締め切りに追われるオレは、徹夜。
「徹夜するヤツは無能だッ!」がボスの口癖で、言われる度に「いや、夜行性なだけです」と返していたが、今回の事態はどうもかりぎなく「無能」に近くて、非常に悲しい。くそー、まけないぞー、えいえいえい!
と、昼までに大ボス様まで提出予定の書類を作成しおわってそれを握りしめたまま机に突っ伏して気絶した朝7時。背後から音もなく忍び寄った大ボス様がオレの手から書類を抜こうとしているところで目が覚めた。
「はうッ!」
「シッ! 起きてはいけない……お前は疲れているのだ、そのまま寝ていろ。いいか業務命令だ。あと1時間半居眠りしていろいいな!? お前は何も気付かなかった。そういうことにしておけ……」
大ボス様がそのまま音もなく後ずさり部屋から出ていったのを背中に感じながら居眠りを続けるオレなのだった。
しかし、なにゆえ朝7時から出勤しているのだ? 大ボス様?
いや、そんなことより、どうして音もなく背後から忍び寄るんですかッ!? 忍者?
昼飯激辛カレー。「げきから」なのはいいから、ルーが少なすぎるのをなんとかしてほしいなぁ。いや、最後の方で、すでにルーが底をついたのはわかるんだけどね。だからって「おわびにご飯サービスね」とご飯だけ大盛りにされたら、ますますカレーが薄まるのですが。激辛カレーが薄まると妙なお味。
あまりの眠さに19時に一度、基地まで帰投。風呂浴びて、とりあえず1時間半(ノンレム・レム睡眠1セット)か3時間(ノンレム・レム睡眠2セット)寝るかな? と思って寝ると、なんかしらんが30分起きに電話がかかってきて叩き起こされる。それがことごとく弟君宛だからイヤンだなぁ。しかも、なんか三人ともオナゴだが。弟君、兄はあまり君の女性関係に関知したくないが、二股、三股は修羅場るからやめた方が……って余計な世話か。
2度ほど見に行っただけなのに、ひたすらダイレクトメールを送ってくれていた小劇団のダイレクトメールがまた届いたが、なぜか封書。なんだろう? と思ったら「解散公演」とか。
さほど思い入れはなくても寂しいものね。
といいながらも、なんか週末忙しいので行かない気がする。薄情なのか?>オレ。
MacLifeの「PDA万歳!」が連載終了。
なんだかんだいって、PalmPilotはいざしらず、NewtonはAppleが正式にやめちゃったからねぇ。
エヌフォーの社長さんの、NewtonOS界のMicrosoftやAdobeになってみせる! という野望(と挫折)の熱い話が、熱いだけにものすごく悲しい。しかし、Newtonは黒字だったのか。いくら開発が赤字でトータルが赤字だとしても黒字転換してたのに切ったとなると、やっぱジョッブズ君、スカリーへの私怨をはらしただけなのか? そうだとしたら見損なったぞッ暫定CEO!(いつまで暫定なんだろう?)
おーMAXは紅白出場決定か。よかったよかった。できれば「Ride on Time」を歌ってほしい。けど、まぁ、あの衣装のままじゃ露出度の関係でNHKには出られないような気がするなぁ。って冬だし。
おぉ、ぽけび+ぶらびで出場するのか。ビビアンも「自殺しちゃうかも」とかアピールしただけあったな。
「日記猿人ネタ」
忙しさにかまけてすっかり忘れていたが、981119が日記猿人管理者が設定した、ばうわう氏登録日記エントリー削除の猶予期間だったわけだ。
で、「日記猿人について」によると、981119に削除ペナルティが執行された模様。
ちなみに970924に執行された「ペナルティ」は「更新報告不可能に・ランキングの被投票権の停止」であって、日記猿人の登録そのものは削除されないペナルティ。今回のものは、登録そのものが削除されるペナルティである。(念のため確認しておくと、日記猿人の登録が削除されるからといって、その日記そのものがサーバから削除されるわけではない。)
なお、981112の段階の日記猿人管理者の警告は、
「 1週間後、11月19日の日本時間朝9時をもってあなたが登録なさっている10近くの日記の日記猿人登録を削除そしてあなたが再び日記猿人に参加する事を禁止する予定です。また上記以外の日記猿人の不正使用の試みも証拠のログとともに公開するつもりです。」であったが、981125現在、「証拠ログの公開」は行われていない模様。(がこれに関しては確認してないので確認中)
981124b[ NOVEL"Kesshou Seidan" / 「結晶星団」小松左京、読了 ]
本屋に行ったらハルキ文庫の棚に『結晶星団』小松左京、を発見したので買う。
で、『結晶星団』だけども、オレはお恥ずかしくも、小松左京の小説をあんまりというかほとんど読んでないので、この短編集で読んだことがあるのは「神への長い道」だけだからなぁ。
そういうわけでとりあえず表題作の「結晶星団」だけ読むぜ。
(30分ぐらい?)
読み終わったぜー。お約束なオチだったな。っていうか多分これが「これ系のオチ」の最初だったんだろうけども。うーん、1972年の作品だから当時読んだら「衝撃」だったのかもなぁ。なんというか、「ゴルディアスの結び目」と「果てしなき流れての果てに」を読んでしまった後で読むと、ちょっとつらかったかもなぁ。「また、あんたかよ」みたいな。
いや、もちろん「四半世紀たった今でも、いささかも古びない」って形容されてもいいお話だと思うけどね。さすがに「超ワープ装置」と言われると、ぐらっと来かねないものがあるけど。
こんなおおらかなオチが書けたころのSFってのは、新鮮だったんだろうなぁ、と思ったよ。
けど、なんだろうなぁ、ほとんど同じようなアイデアを使っていたような気がする「イベント・ホライゾン」が単なるB級ホラーになってしまったのを考えると「SFに踏みとどまる勇気」というような単語がぽっと浮かんでしまったよ。
というわけで、なんかオレが偉そうなことほざいてるような気がしてムカついた人は「基本を押さえずに知ったかぶりばかりしている似非SFファンが、基本に出会ったときには、新鮮に感動するかというとその後の類似品ばっかりに慣れているので、あんまり新鮮に感じないことが多いんだよ。かわいそうなヤツね」と思って許してくだされ。
あ、一言だけ追記、主人公「アイ」は、今回もまたかっこよかったのー。なんか「小松左京? なんかダサダサってかんぢー?」とか思って手を出さないSFな若い人がいたとしたら、いいからちょっと立ち読め。「日本沈没」の藤岡弘なんかを想像したらいかんぞ。いや藤岡弘はまた藤岡弘としてかっこいいが。(若い人に説教する前に、まず自分が読めよ>オレ)。
981124a[ daily life / 日常生活(火) ]
福岡、曇り。全面雲に覆われているが、空は比較的明るい。
昨日に書いた「日記ファイルをなぜ週や旬で分割(統合)するのか?」であるが、これは根っこに非常に根元的な理由があるのだと思う。
それは「どうして一週間という単位が『発明』されたのか?」ということである。なぜ、我々は一週間という単位を使っているかということだ。
「続・超整理法」に書いてあった話のうけうりをすれば「一ヶ月では長すぎて一日では短すぎる時間の単位が欲しかったから」ということになる。以下、うろ覚えなので自分の言葉で説明する。
我々が日常使う日付の単位は、大きな方から、世紀、年、月、週、日、時、分、秒、という風になっている。この中で、年、月、日は、それぞれ天体の運行から設定されていて、若干の補正はあっても人類の都合で決めた物ではない。(年は「太陽の回りを地球が一周するのに必要な時間」、月は「月が地球を一周するのに必要な時間」、日は「地球が一回自転するのに必要な時間」である)。時分秒の分け方は、ほとんど人工的なものだろうが、今回は省略する。また世紀も「とりあえず100個ずつ束」というものだろうから省略。
で「年、月、週、日」の中で、週だけが天体の運行とは無関係に設定されている。7日ごとに繰り返しやってこなくてはならない理由は特にないのだ。現在の一週間は、勿論、旧約聖書の創世神話で「神が六日で世界を想像した後、一日休んだ」とされているところに起源を持っているわけだが、ここでは「どうしてそういう神話を採用して一週間単位で行動することを今も続けているのか?」という意図を問題にしている。
結論としては「一ヶ月だと長すぎて、一日だと短すぎる『このごろ』という概念が必要だったので、適当に7日ぐらいを採用している」のだろう。7日である厳密な根拠はないので「10日ぐらい」と考えれば「上旬・中旬・下旬」の三分割になる。
「マジカルナンバー7」(人間が同時におぼえておける事物の数は平均7個である)という話を持ち出して一週間が七日であることを説明すると、スマートだが、どうも心理学的に「だから6や8ではなく『7』なのだ」と言えるほど厳密でもないらしいので、そこまで理由づけしない。(「続・超整理法」はマジカルナンバー7を持ち出していた気がするが)
まぁこの話は「年と月と週」で日付を把握している人向けの発想で、業界によってはサイクルが5日だったり6日だったりして、一週間って単位を使ってなかったり、あるいは月の概念が希薄で「1998年第36週目」とかいう考え方で一年間動いている人がいることも考えられるが、とにかく「10日ぐらいで束にして把握したい、というのが先にあるのだ」というのが結論である。
本屋に行ったらハルキ文庫の棚に『結晶星団』小松左京、を発見したので買う。
なんか最近「目録集やSF総解説とかで名前やら、あら筋は知っていても実際には読んだこともないし、読む気もおきないようなSFの古典」が「ハルキ文庫」の新刊として本屋で平積みになっていたりするので、ありがたいやら、怖いやらである。
というか、平積みになっている『喪われた都市の記録(上)』光瀬龍、が最初に目に留まったのであるが、えーと、『喪われた都市の記録』は、あんまし好きじゃないからなぁ。『あの連中』が出てくる光瀬宇宙開発史は、ちょっとねぇ。だから買わない。初期三部作(「たそがれに還る」「百億の昼と千億の夜」「喪われた都市の記録」)なんだけどね。ところで下巻はまだ出てないのかな?
ぜんぜん関係ないけども、小松左京ネタといえば、SFオンライン掲示板ながめていたら「映画『さよならジュピター』の天才少年カルロス君を演じていた子役は長じてglobeのマーク・パンサーになってしまった」と読める記事(3429,3430)を発見してしまって「ぐえー」と思ってしまったよ。別に「ぐえー」という必要はないんだけどさ。
で、「結晶星団」の感想は別項だ。
本屋でMacLife12月号を買う。
特集は「Office98 98のなぞ」だそうだ。
ちなみに週刊アスキーの特集は「Windows98の500Tips」だそうだ。
謎が多いのか、MS社。
ちなみに「26の秘密」は仮面ライダーV3。「23の瞳」は筋肉少女帯。キンショー、無期限活動停止だったな、そういえば……。って、関係ない話になってしまった。
「引用は正確に>オレ」
ありゃー、不正確な引用で、ホソキンさんから怒られてしまったわい。(ホソキン日記981125参照)どーもすみませんです。昨日の記事、訂正しときます。あ、大目にみてくれるんだ!
文末は、略しちゃうと「○○である(=断定)」みたいになっちゃう(読めてしまう)んですね。オレの意図は「○○な気がする(けど、本当はどうなんだろうな、という類推)という、微妙ながらも決定的な違いがあるので、省略されてもらっては困ります。
なるほど、そのとーりですねー。(こういう文脈で使うなら「類推」じゃなくて「推量」じゃないかな? と思うのですが、それは置いといて)。けど「論説するなら『気もする』などと無意味に主張を弱めるな」という話もあるんで、せっかく暴言風味が芸風なホソキンさんなんだから、断定調で語ってもらいたかったりして。(って「暴言風味」とは失礼なやっちゃな>オレ)
実際、ここ「読者サービスとしてのエロは、商業的展開においては必要不可欠です。」と断定しても、文意に影響しないと思うけどなぁ。いや断定すると「証拠を見せろ!」とか言われる可能性がありますけども、かといって「気もします」と弱めておけば「証拠を見せろ!」と追及されないとは限らないですから。もちろん、弱めておけば、弁解するのが多少楽ですが。とはいえ、書いたホソキンさんが「省略されてもらっては困ります」と言ってるわけだから、これは、オレがとやかくいう問題ではない。(が、とやかく言ってしまったのだった。)
それにしても、大森アニから言及が不正確だと追及されてるホソキンさんに横からツッコミいれたオレが、そのホソキンさんから引用が不正確だとツッコまれてるんだから、オレってバカじゃん。まぁ、言及が不正確だと追及されながらも、すかさず引用が不正確だとツッコミ入れてるホソキンさんが「ナイス切り返し」なんですが。
♪ツッコミ、ツッコまれ、生きるのさ
(反省の色が見えないので校庭10周!>オレ)
981123a[ daily life / 日常生活(月) ]
福岡は晴れ……だったのだろうか?
雨は降ってないがやっぱり寒かったな。というか11月下旬ってのはそもそもこんな天気なのだろう。
勤労感謝の日か。文化の日だと思っていたのは秘密だ。
先週末はカンヅメだった。今週末まで続く。
なんか燃料として缶コーヒーとチョコ系駄菓子を大量に消費している。
「モロさん、徹夜が大変なのはわかりますけども、こんなに甘い物ばかり食べてるとやばいですよ。ちょっと前までは『太りますよ』なレベルでしたけど、なんか『身体、壊しますよ』レベルにレベルアップしてますよ」と言われる。
うぅむ、そのとおりかもしれない。さすがのオレも3日で10本の缶コーヒーの空き缶が並んでしまうと怖くなってくる。
おかげで最近、仕事場の若い衆が「夜食買い出しにいきますけど、何かいりますー?」と来たときに「ボス7のあったかいヤツと、ヒロスエがCMしているチョコのガルボね」とか「ジョージアの青缶のテイスティのあったかいヤツと中山エミリがCMしてるキットカットね」とか注文しても問答無用に「伊藤園のおーいお茶」+「おにぎりセンベイ」とかに変更されてしまうのだった。
「おいおいどーして『おーいお茶』なのー?」
「いいじゃないっすか、CMはモロさんの大好きな中谷美紀っすよ」
「そーゆー問題じゃないでしょー」
SPA!の表紙にレゲエのオッサンが載ってると思ったら、坂本龍一だった。鍵盤を前にしてなかったら気付かなかった。となりの若いネーチャンは誰だろう? と思ったら「坂本美雨」と書いてあったからSister M.こと娘さんだな。一瞬、Kiroroの玉城千春だと思ったのは秘密だ。そりゃ、Sister M.に失礼だ。(って書いたら玉城千春に失礼か)。
CDでーたを立ち読みしたが、SPEEDは本当にベストアルバムだすのか。うーん、「アルバム2枚の中からシングル曲だけ集めます」とすれば、確かに「売れた曲ばかり入っているCD」となって、それなりだが、なにせアルバムが2枚しかないからなぁ。かといって「ライブに直結する内容か?」とかになると「それじゃベストじゃないじゃん」と思うなぁ。
土曜日のヒッパレを録画したものを冒頭だけみたが、SPEEDが鈴木あみの曲を歌っていた。聞くと面白い曲だが、歌って面白い曲ではないようだな。
HeyHeyHeyがらみなのかトークでの「一晩中なにしてますか?」という質問に、ヒトエねーさん「ぜんざい作ってます」とか答えていた。よく知らないが、ヒトエねーさんの作る「沖縄ぜんざい」は見た目がグロいらしい。
ヒトエねーさんの「ぜんざい作ってます」を「宣材(せんざい)作ってます」と聞き間違えた人がいるみたいだが、それは業界ズレしてるんじゃ? それともヒトエねーさんの今後の活動展開ばかり考えてるのか? 「ヒトエはイラストがかけて、ダンスができるから、まず宣伝材料のイラストをかかせて、次に……」とか。
さらに「洗剤(せんざい)作ってます」と聞き間違えた人がいるみたいだが、そりゃあなた、ちょっとエコロジーずれしてるんじゃ? 廃油で地球にやさしい石鹸を作りましょう! とか。(洗剤作り自体を批判しているわけではない)
しかし、ヒトエねーさん、ほっぺたあたりのお肌が荒れ荒れですが、大丈夫なのかしら。
ホソキンさんとこの981123付の【本日の言葉】に、ワープ日記981026bからの一節が採用されてる模様。
ふふふ。
しかし、ホソキンさん、【本日の言葉】が膨大すぎて、どこから【ホソキンの言葉】が始まるのかわかりづらい気がするんですが?って「What's New」を見落とすオレが悪いのか。
あとまー、ログ解析するのはWeb開設者のとーぜんの権利だと思うけれども、解析結果から得られたデータを公開するのは、オレはあまり好きじゃないな。「止めた方がいい」とか言えるほど考えてないけど。
refは、ま、まだいいけど(自分のページにリンクはってるページの紹介は、まだいいけど、の意味ね)、アクセスしてきたマシンのドメイン名列記とかやりはじめると、ちょっとね。
以上が本論。以下は余談。
しかし、こうやって切り取られてみると、オレのあの文章は、けっこう「暴言」系だなぁ。しかも、引用された文章の中で、一度も「SFとは」って主語というか主題が明らかにされてないなぁ。まぁいいかー。「スペオペ」って書いてあるからピンとくるかー? いや、そもそもの主張が暴言系だから、切り取られてますますそう読めるのはあたりまえなんだけど。
切り取られても意味が通じる文章を目指したいもんだわ。もう少し部品部品だけでも独立した文章を目指すとかね。けど、部品部品を独立させようと思うと、くどくなるからなぁ。これ以上くどくなると本当に読めないからなぁ。
と、ここで、「文脈から切り離された引用はよくない」とか「文脈から切り離すような引用はよくない」とかひとくさり語ると思った人もいるかもしれないけども、そうではなくて、逆だな。なんというかそういう事を言う人は言う前に、自分の文章がその部分で何を言っているのか、読者の立場でもう一回考えてみましょーと、いいたいわけだな。
文章の裏側にある『意図』とか『文脈』とか『立場』とか『思い』とかは、もちろん重要ではあるが、「私の文章は、私の意図とか文脈とか立場とか思いとかを共有した人でなければ、本当に理解することはできません」って宣言しちゃうのは、どうかと思うな。
「本当に理解」は無理かもしれないけれども、とりあえず「通常の理解」ぐらいは、書いて文章からだけでできる文章を書くようにせにゃならんのじゃないかと思う。他人の目に触れる文章書くならね。
なんか、また過激なことを書いてしまったような気がするな。言いたいことは、ちはるの日記論980715「書かれたものがすべて」と同じ事だったはずなのだが。
今回の文章ではうまくつながらなかったが「書かれた文章は書かれた文章で完結するように務めるべきで、完結しない文章の内容保証に『書いた自分という人格』を担保に使うやり方はしてはいけない。なぜなら、そうなると書いた文章を批判することが人格攻撃に直結してしまうからだ。」だ。
(念のため書いておくと「今回のホソキンさんの引用の仕方が、文脈を切り離すような引用の仕方だ」とは全然言ってないので、念のため)(981123追記:「今回の」を後で追加した。詳細は後述)
と、思ったらホソキン氏、掲示板239,240あたりで大森アニと引用がらみでもめてるみたいな気配だなぁ。
(また「もめる」とか言うと問題発言かなぁ。ニュートラルな表現にすれば「言及しあっている」ぐらいかなぁ?)
上で書いた「ホソキンさんの引用の仕方が、文脈を切り離すような引用の仕方だ」とは全然言ってない、ってのは、今回のオレの文章に限ってはそのとおりだけど「ホソキンさんの引用の仕方はいつでも文脈どおりだ」とか主張してないので、念のため。
というわけで「今回のホソキンさんの引用の仕方が」に改訂。
我ながら「いちいち細かいのー」という気もするが、「言葉の行き違いが起こりやすい場で、言葉の行き違いが起こりやすい話題で喋ってる時は、早め早めに先回りして予防線はるのが、お互いのため」という気もするので、こちらの意見にしたがって行動するのだった。
(981124,00:40追記)
しかし、ホソキン氏の回答(ホソキン新掲示板240)の中の、
って意見は、強烈だな。あああ、また大森伝説が。
(中略)
個人の意見とか論に関しては、出典の明示もされていないまま歪曲されて使われている例もいくらでもありますんで(中略)、伝説化の過程におけるやむをえない障害だと思って、あきらめたほうがいいでしょう。
突然「伝説」として言及・引用して「歪曲されて伝わるのは伝説化の課程においてやむをえないからあきらめろ」って言ってしまうとしたら、それは、ちょーっと反則な気もするがなぁ。
けど、いいなぁ、これ。「これが伝説だ!」とか「オレは吟遊詩人だ!」とか。「伝説化は誰にも止められないのだ!」とか。
言われてみれば、言葉は伝播の課程でかならず誤読・変質されるもんだからねぇ。極論すれば、だけど。
しかし、他ならぬホソキン氏だから、豪快な「技」というか「芸」というかでいいのかもしれんが、他の人が次々まねしだすと、怖いなぁ。
引用って難しいね。
(981124,00:40追記ここまで)
ホソキン日記981123で、小説とエロの関係が述べられていて、「読者サービスとしてのエロは、商業的展開においては必要不可欠な 気もします」*とのこと。なるほど、そうでしょう。
(981125追記:*の引用部分はオリジナルでは「読者サービスとしてのエロは、商業的展開おいては必要不可欠」だったのだが、ホソキン日記981125で、文末を省略するとあたかも断定しているかのように読めて、それは意図するところではない、と指摘されたので訂正した。)
そして、やおい的な展開が有効と説いた上で「キャプテン・フューチャーよりもスターウルフ!」とオトしてますけれども、うーん、スターウルフってヤオイっぽいんですか?
うーん、まぁここで無理に「フューチャーメンの方が、メカフェチ、ゴムフェチ、四肢切断フェチをとりこめるのでは?」とか言うと無理矢理すぎるか。
「日記ファイルは日別、週別、月別のどれがいいか?」そして「生htmlとCGI」について。
janus日記981123「日記分割の理由」について。
「なにゆえ、日記ファイルを上中下旬や、週でわけるのか?」という疑問が提示されているので、我がワープ日記が週別に分けられている理由を述べる。
諸星友郎が考えるワープ日記に関する利点欠点。
うーむ、えーと、janusさんの元の質問を「月別vs旬別」みたいに読んでしまって書き始めたので、なんだか、よくわからなくなったな。
「日記を書くときに、日別するのが一番単純な方式だと思うが、それをどうして週別、旬別、月別などにするのか?」という質問だとして、答え直す。
というわけで、CGIで一気に検索することを想定しておらず、雑多な内容をひたすらごちゃまぜに書くことを想定し、また、内容インデックスの更新が面倒であるとした場合、月1ファイルだと巨大すぎ、日1ファイルだと細分化されすぎと判断したのだった。
日1ファイルにするならば、いっそ、話題別にするだろうな、私の場合。そして、その場合は、CGIを使うだろう。逆に言えば、現状ではCGIに完全移行したくないのもあって週別ファイル程度におちついているとも言える。
「オレが更新するのが楽な範囲で、壊滅的に読みづらくないぐらいのサイズ」ということか。そして、たまたまそれが検索的に最悪ではないので、採用しているということである。検索に関してはCGIが動かなくなってしまったので、ちょっと困っているのだが。(いざというときはgooで「ワープ日記+検索語」でクロス検索かけるのが一番早かったりするのは秘密だ。くそう)
ちなみにワープ日記は97年9月2週、3週、4週は、1日1ファイルだったのだ。それなりの利点も感じたが面倒だったので戻した。
勝手に夢想する「日記スクリプトのあるべき姿」と言えば、
ただ、まぁ、「話題別」って話をしだすと、分類の面倒くささの話が顔を出すので、そこは考え物であるが。「ごちゃまぜで、だらだらした日記をあえて書きたい」という衝動はかなり強烈なものがあるからだ。「どうせならデータベース化すべき気がしているのに、データベースにおさまりきらないオレをどうすればいいのかわからない」というか「データベースなんかにおさまってやるかよ!」というか。
ナヒき帳「シンボル『日記』のリファレント」で言う「2種類の日記」の後者の部分になるだろうか。ただし、今回述べたいことは「伝達するという事実そのものが主であり, 伝達すべき内容についての意識は希薄」というネガティブなイメージよりむしろ「その日にあった出来事をその配置でならべることによってしか伝えられない『何が』が日記にはある。日記は出来事の羅列+αであり、その+αの部分は、簡単には言語化できない」ということである。
そして「簡単には言語化できない」部分を切り捨てたり、無理に言語化してしまうと、それは日記の魅力をひとつ失うことになると思う。よって「無理でない言語化の方法」や「切り捨てずにCGI化する方法」などを考えていきたい。
また、生htmlファイルにこだわるのは、単純に「CGIにしちゃったらトラブった時に、オレじゃどーしていいかわけわからないからさー」というだけの話もある。非常事態に対する備えは重要である。