(執筆中)
9/22をもって日記猿人から去る決意をされた「ばうわう」さんについて、氏の決意表明文を読みつつ語る予定。
と思ったのであるけど、時間もないので、気になる点を何点かだけ。
なお、「お知らせ ばうわう」の「97/Sep/15 (Monday) 21:38:22」最終更新の版を元に引用を行います。
1について)まず「不正行為」とは何か? という話なんですが。言葉の定義に関してあげ足をとるみたいなのですが「違法行為」と言っているわけじゃなくて、あくまで「不正行為」だと池川・遠藤さんは言っているのだと思います。そしてその「不正行為」というのは、「日記猿人(の運営規則)」に対する不正行為のことだというのは、文脈から読みとれると思います。
私は、不正行為をしたつもりはありません。
ハッキング行為をしてサーバに侵入したこともありません。
日本やアメリカの刑法上、私の違法性は存在しません。
実際に、あなたがたがどのような経済的・肉体的損失を受けた、と言うのでしょうか?
「私は、不正行為をしたつもりはありません。に関して
これは、「E.N.システムの投票用パスワード発行ルーチンのバグを利用して複数のパスワードを『不正に』入手して、それを用いてアンケートに複数投票した」という、いわゆる「不正行為」に関して
ハッキング行為をしてサーバに侵入したこともありません。に関して
これも前項に関連しているのですが、後者「そのような行為は行ったが、それは不正行為とは思っていない」だった場合、それは、立派なハッキング行為(正しくはクラッキング行為)でしょう。「ハッキング行為をしてサーバに侵入」という言葉を、ばうわう氏がどのような意味で使っているのかわかりませんが、別にtelnetやftpでサーバに繋ぐのだけが「ハッキング行為」ではないわけで、「メールを使って不正にパスワードを入手した」のもクラッキングなら、「不正に入手したパスワードをつかってアンケートCGIを操作して投票した」のもクラッキングでしょう。(繰り返しますが「不正」とは「許可された以外の方法で」という意味で「違法である」という意味ではありません。)
日本やアメリカの刑法上、私の違法性は存在しません。に関して。
違法性の件については、私は門外漢ですので、追求しません。ただし、違法である可能性もあると思います。
実際に、あなたがたがどのような経済的・肉体的損失を受けた、と言うのでしょうか?に関して。
これはあまり声高に主張して欲しくない内容ですが、遠藤氏が管理者になる前に「ぷろくら日記」に書いていた通りに「池川さんの時間と体力を消費させた」ということが第一にあります。これは池川さんのネットワーク管理者、プログラマーとしてのコストから金銭的に計算できる損害です。それに加えて「精神的な損失」というのも、あるでしょう。(裁判などでも「被害者に精神的苦痛を与えた」というのはちゃんと考慮されるはずですし)。
これらの点を考慮した上での発言とは思えませんが、これらの点を考慮した上でもなお「リンク集を維持するためには、ある程度の時間や労力が必要である。今回はたまたま私が原因に見えるかもしれないが、日記猿人を維持するために通常必要な労力の範囲内である。よって、私が特別の損害を与えたとは言えない」あるいは「私の悪意のない行為で誤動作するようなシステムを使っていることに問題がある」という方向で議論を進めることは可能だと思われます。(理解、賛同が得られるかどうか定かではありませんが)。また「リンク集は管理者のものではなく参加者のものである」という立場を強く主張した上でなら、なんらかの進展が期待できるかもしれません。あるいは製造物責任のような概念を持ち出して「ページを公開している以上、管理者にはそのページを維持する義務がある。よって一利用者である私の行為によって管理者が多大な労力を使う結果になったとしても、それは管理者側の責任である」という主張を行うとか。(主張するのはいいけれども、同意してもらえるかどうかは別の問題です。念のため)。
2について)これらに関しては、1について、の項ですべて説明しましたので、この項ではこれ以上の説明はしません。
私は、不正行為も、破壊行為も行ったことはありません。
どの刑法に関わることなのか、明確に示してください。
モラルの面で、「不正」「破壊」と私を攻撃しているのでしたら、あなたがたのほうこそ、立派な犯罪行為者です。
3について)これに関しては「私は気に入らない日記を取り除くために作者の学校にクレームをつけたことはありません。」と、ばうわう氏は明言しているわけですから、ばうわう氏を信じる限りにおいては特に問題はないでしょう。(私は個人的な情報源より、ばうわう氏がどのような電話をかけるかについて若干の情報を持っています。それにしたがって電話クレームの件では、私は、個人的には、ばうわう氏を信頼しないことにしております。それは、情報源の人物と、ばうわう氏のどちらが信頼できる人物かと考えた場合に、情報源の人物の方が信頼できるからです。しかし私は直接的な証拠を持っているわけではありませんので、他の人にばうわう氏が信頼できない人物である、と保証することはできません。よって、ばうわう氏の記述を信じるかどうかは、読者のひとりひとりが個人の責任において決めて下さい。私か直接受け取った、ばうわう氏のメールは非常に丁寧な文体だったのですが。なお、私が個人的に信用するしないは別として、この文章では、ばうわう氏の記述を基本的に信用することにして話を続けます。)
私は気に入らない日記を取り除くために作者の学校にクレームをつけたことはありません。
私が作った画像を無断使用したり、私のことを根拠無く、感情のままに誹謗中傷した人が学生の場合は、それが学校という教育目的で学生にインターネットを開放している場なので、担当教員などに伝えたりしています。
これは、刑法などに照らし合わせて、先方の犯罪行為を指摘しているものです。
実際に、先方から、私の主張の通りである、とのご判断をいただいています。
今後も、私に対して、誹謗中傷などをした場合は、憲法が保障する基本的人権を守るために、先方にクレームをつけます。これは、日本国民に等しく認められることです。
これを、一サイトの管理者のあなたがたが、私の人権を拘束しようとするのは、あきらかにあなたがたの犯罪行為です。
ばうわう氏の論点を私なりにまとめると
さらに「クレームをつけて学生のWebを閉鎖させる」というような話の場合に思うのは、「大学ことなかれ主義すぎる」という点ですね。問題がありそうなら、考えもせず、とりあえず閉鎖、というような態度はよくないと思います。学生側も「先生に言われたらすぐ閉鎖」というのはよくないと思います......とはいえ、そうも言ってられないでしょうから(^_^;;。とりあえず、趣味関係のページはプロバイダなどの大学と無関係な場所を確保してそこで開設すべきではないか、と思います。そうすれば「大学のサーバにそのようなページがあるのは問題だ」という話を回避することができて「学生である君がそのようなページを作成するのはどういうことか」という本質的な問題だけで議論ができるのですから。そして合い言葉は「言論の自由」ですね(^_^;;。
自分の権利を守るためにクレームをつける、という行為は(日本の風土にあわないというのを別にすれば)正しい行為だと思います。けれども、そのクレームの付け方を間違えると「威力業務妨害」や「恐喝」になって立派に刑法に反した犯罪者になれるので、気をつけたほうがいいのではないでしょうか。
それと、もう一つ。他のWebページの作成者は人格を持った個人であって、企業のお客様相談係の人ではないので、気に入らないからといって自分が一方的な被害者、相手が一方的な加害者という態度でクレームをつけていいわけではありません。(はて、企業のお客様相談係にはそういう態度でクレームつけていいのか?)。
以前、1行コメントで、
私に対して悪意を持つ人のウワサ話を鵜呑みにして、私への罵詈雑言を書き立てた人が大勢いました。
それに対し、私が
「やめさせてくれないと、私も1行コメントで同じように他人を悪く書く」
と池川氏に伝えたことがあります。
池川氏は、
"1行コメントで同じように他人を悪く書く"、という部分を引用して、
日記猿人伝言板で私をさらに攻撃しました。
「ほら、ばうわうは、他人を悪く言う人間なんだ」という主旨に使われたのです。
(これが、けっこう手強い文章で......書いてある通りに読むと「そりゃ、しかたないだろ」としか、言えないというか......。いや、唖然としててもしょうがないし、この文書の目的は、ばうわう氏の文章の矛盾を指摘することではなく、ばうわう氏の主張の中から、一般性のある論点を抽出することにあるわけで......はあぁ。)
池川さんとばうわう氏とのメール交換の際のメール公開に関する取り決めがどうだったかわからないので、なんとも言えませんが、池川さんがずいぶんと時間がたってから「あの時ばうわう氏は、このような攻撃を示唆するメールを送ってきてたんだよ」というような引用の仕方で掲示板に投稿したのは、私は個人的に不快に思いました。公開を前提としないメールで、文脈から切り離された一部だけを取り出されると文意がねじ曲げられることがあるからです。ただ、池川さんのメールに「日記猿人の管理者として公式の送ったメールへの返事は、公式な返事として取り扱うので、Web上で公開される可能性があります」というような事が書いてあったとしたら、管理者として「刺激的な部分をを引用するのは(私は個人的にはあまり好きではありませんが)議論を進める上の戦略としては、当然なのではないでしょうか? ばうわう氏も「これは非公式な接触なので、Web上などには公開しないでください」と明記すべきでしたね。そう明記してたにも関わらず公開されてしまったのかもしれませんが。
「不正な捜査手段で入手された証拠は裁判では証拠として認めない」という考え方から「池川氏はこの発言を取り消せ」というような手段に訴えるべきだったかもしれません。
しかし、この部分に関しては、いくら理屈をこねても「私への攻撃を止めないなら、私も攻撃するぞ」と発言する人の正気を疑ってしまうのですが、どうしてこのような恐ろしい文章を書いて公開できるんでしょうか?>ばうわう氏。
しかも、「『私への攻撃を止めないなら、私も攻撃するぞ』という文書を『ばうわうは好戦的なヤツだ』という証拠として使われた」と書かれていますが、素直に読むと「ワシへの罵詈雑言を書き立てたヤツがいるのでヤメさせてくれ。そうしないと、ワシも罵詈雑言を書き立てると言ったところ、『ばうわうは罵詈雑言を書き立てるヤツだと言われた」と書いてあるように読めて......というか、ばうわう氏の書いてる通りのことを池川さんは言っているのではないか、と。池川さんが日記猿人掲示板に投稿した文から得られる印象と、ばうわう氏が今回の文書で書かれている文書(引用部分)から得られる印象が、私には全く同じなのですが。つまり、ばうわう氏の今回の文書での抗議部分は「一部だけを引用されて攻撃された」ということなんでしょうか? しかし、引用された一部が、ばうわう氏の主張の正確な要約になっているとしか思えません。
スポーツの試合でレフリーに「相手が反則するのをやめさせないとこちらも反則するぞ」と主張したら、おそらく両者とも失格になるんじゃないんでしょうか?
ばうわう氏の主張が変なのは「管理者がヤメさせるべき反則行為」だと断定したことを「自分もする」と断言している点です。
この文章は、ちょっと加筆すると、まともになりますね。
(ともろ版)
以前、1行コメントで、
私に対して悪意を持つ人のウワサ話を鵜呑みにして、私への罵詈雑言を書き立てた人が大勢いました。
それに対し、私が
「やめさせてくれないと、私も1行コメントで同じように他人に対して批判的な文を書く」
と池川氏に伝えたことがあります。
(ともろ版)
以前、1行コメントで、
私に対して悪意を持つ人のウワサ話を鵜呑みにして、私への罵詈雑言を書き立てた人が大勢いました。
それに対し、私が
「やめさせてくれないと、私も1行コメントで同じように他人に対して批判的な文を書く。これは、相手にしてみれば罵詈雑言に読めるかもしれないが、日記猿人管理者としては止めようがないでしょう。」
と池川氏に伝えたことがあります。
とまぁ、けっきょく他人のコメントを「罵詈雑言」と断定しておいて「私も同じように悪く書く」と書いているところが、妙なのですね。「やめさせてくれないなら」の部分を「やめさせてくれないというのは、あのような行動をあなたは日記猿人の正規の使い方と認めるのだな。それならば、私としては不快な行為にはなるが、自分の正義のために、罵詈雑言ともとられかねない行為を『日記猿人参加者の当然の権利』として行使させてもらう」という書き方にすべきだったんじゃないでしょうか。
「目には目を、歯には歯を」「やられたらやり返す」だと思えば、それほど変な理屈でもないのか、ばうわう氏の主張は。
私は、個人的に「相手が卑怯者なら、こちらも卑怯な手を使うぞ」というような表現は、自分の人格を疑われかねないので、使いません。感じ方は人それぞれかもしれませんが、ばうわう氏の文書のここの部分で、ばうわう氏の人格を疑った人がいても、自業自得なのではないでしょうか。(文章の書き方がまずかっただけで、人格・信念には問題はない、という可能性もありますけれども。)
「私に対して悪意を持つ人のウワサ話を鵜呑みにして、私への罵詈雑言を書き立てた人が大勢いました。」に関して。
私は、基本的に一行コメントで「個人攻撃」をするのは、よくないことだと思ったので「ばうわうさん井筒亭日記に答えなさい」系のコメントは自分ではやらなかったし、いまでもあまりいい行為だとは思っていません。(じゃぁ、今回の「さよなら、ばうわうさん」っていうコメントはなんだ? と言われると、ちょいと困るわけですが。今回のはあくまで告知でして。)
基本的に「不正疑惑」に関しては、一部の一般登録者が不正疑惑究明の声をあげて独自に運動する前に、管理者が動くべきだったのではないか、と思っています。
一行コメントが、ばうわう氏へプレッシャーとして有効だったかも不明ですし。有効だったとしても、そのような行為が許されるのか? という疑問も感じますし。
それに証拠のないガセにオヒレがついて話が大きくなるのがインターネットですから「ウワサ話を鵜呑みにして」という部分に関しては、インターネット利用者は全員、胸に手をあてて考えねばならない点でしょう。
(ただ、まぁ、これを言ってしまうとこの文書を書く意味がなくなっちゃうんだけども、ばうわう氏が信用してもらえないのは、自業自得ってもんじゃないんでしょうか。ばうわう氏は特に「自分の書いたこと」にこだわっているようですが、世間は「ばうわう氏が何を書いたか」だけでなく「何をどう書いたか」「何を書かなかったか」「何を行ったか」で見るわけですから、「書くべきことを書かない」「すべき事をしない」「やり方がおかしい」というような事が続けば、信用されなくなるのもしかたないのではないでしょうか。具体的には「過去の(問題を指摘された)日記の記述を、どんどん削除する」「釈明しない」「説明しない」というような行動が信頼を無くす行動の例といえます。「そのような事をせねばならない必要はない」と思われるかもしれませんが、その必要がないかわりに、そのような事をしない人物は、ネット上で信頼を無くしてネット的に死ぬわけです。)
何を言っても、私への「攻撃材料」に使われてしまうことは十分認識しています。
そしてその「攻撃」の根拠が、
上にあげた、法律上まったく不正がない私の行為への、
その人独特のモラルや価値観や感情論で、私を断罪しようとするものですので、
絶句することがしばしばです。
人間というものは、他の人を、法律の根拠によらずには裁けません。
「何を言っても、私への「攻撃材料」に使われてしまうことは十分認識しています。」に関して。
ばうわう氏が何を言っても攻撃材料に使われてしまう理由は「文書が曲解しやすい」「文書は正しく理解されているが、書かれている内容が、他の人の常識・信念からかけ離れている」からでは、ないでしょうか。もちろん、「攻撃者」が意地悪だから、というのも大きいのですが。
ばうわう氏が回答、反論した場合の文書の多くが「質問の意味をちゃんととらえてない」「質問の答になっていない」「余分な文章がついている」「余分な文章が、さらに問題箇所を含んでいる」という構造になっているので、回答すれば、回答するだけ、問題箇所が増える、という悪循環が発生するのではないでしょうか。これに対して、ばうわう氏は「回答しない」という態度を取っているようですが「回答しない態度」がネット的死につながることは前項で述べた通りです。正しい対応は「相手の質問の意味をよく考えて、質問の答になる文章を書く」ということです。そして「質問に答える時に、余計なことは書かない」ということです。ただし「余計なこと」に関しては、答えれば答えるだけ「攻撃される」と感じるのを止めて「対話である」と考え直せば、答えれば答えるだけ、沢山のコメントや指摘が得られて「相手の、ばうわう氏への理解」や「ばうわう氏の相手への理解」や「ばうわう氏本人のばうわう氏への理解」が進み、皆が幸せになるかもしれません。「理解したくもないわい」とおっしゃるかもしれませんが、ばうわう氏のページの「一日1000名以上」だかの読者の中にも、この「理解したくない相手」が一定割合、常に含まれていると思われるので、「読者分析、読者理解の一環」として、取り組まれてはいかがでしょうか。ばうわう氏お得意のマーケティングの第一歩は「まず、客を知ること」では?
「そしてその「攻撃」の根拠が、上にあげた、法律上まったく不正がない私の行為への、その人独特のモラルや価値観や感情論で、私を断罪しようとするものですので、絶句することがしばしばです。」に関して。
私は「モラルによる規制」は、けっこう危険だと思っています。定義が曖昧である上に、何が良くて何が悪いかは、一人一人違っているわけで、現段階でも規制につかえるほど一意ではないのではないか、と思います。例えば、「ルールがないのがルール」という主張や、「公共リンクスは何があっても登録者を削除すべきではない」という主張が現実に出るわけですから。(私はこれらの例に出た主張に対して理由を述べて反対できるのですが、その反対理由は損得勘定・私の社会的慣習、によるもので、私と違う世界観を持つ人にも無条件で通用する「宇宙的真理」に基づいたものではありません。)
とはいえ、日記猿人には日記猿人の限界があるわけで、限界がある以上、参加者には何らかの制約があるわけです。日記猿人参加者に求められるのは「日記猿人に限界を超えさせない利用をする」という点です。よって、管理者(と参加者)は、参加者への制限に関してどこに線を引くかを考えるわけです。この制限がどこあたりにくるか、というのをあらかじめ明文化して通達できれば、それは「ルール」となり、非常にわかりやすい形となります。しかし、その制限がどのあたりにくるか、は、環境や時期によって異なるため、実際に日記猿人を運営してみなければ、明確にはわからないわけです。(日記猿人を含めていろいろなシステム全体に言えることですが)。とはいえ、そう長くはない(とはいっても結構長い)ネットの歴史の中で「このような行為は、システムの限界を超えがちだな」というような知識の蓄積は行われてきたわけです。これも明文化してあれば誰にでもわかりやすいのですが、残念ながら口伝のような形でしか伝わってなかったり、あるいは「会得」「体得」するしかない物であったりします。この「口伝、会得、体得でしか得られないネット的な知識」のことを「ネット的モラル」と呼ぶと考えれば、すこしは理解が容易になるのではないでしょうか。もちろん「攻撃者」が「手前勝手なモラルや価値観や感情論」で攻撃することもあるでしょう。(事実、多いでしょう)、しかし、ばうわう氏には「手前勝手なモラルや価値観」に見えるものの中には、ネット的に蓄積された知識の裏打ちがある物がある、ということも理解する必要があると思います。
「ネット的モラル」に限らず、ヒトが人間として活動を開始してからずっと蓄積されてきた、あるいはヒトが言語の使用を開始してから、社会生活を開始してからずっと蓄積されてきた「コミュニケーション的モラル」も理解すべきだということは言うまでもありません。(おおげさかな。せいぜい「戦後民主主義に毛が生えた程度」かもしれないけど)。
「人間というものは、他の人を、法律の根拠によらずには裁けません。」関して。
前の部分の「法律上まったく不正がない私の行為」にも関連しますが、この文書のずっと前の部分で指摘した通りに、池川・遠藤さんらは、ばうわう氏の行為の「違法性」について問題にしてはいません。これは、あくまでも「日記猿人の内部の規則」の話です。「裁けません」の「裁く」の意味が曖昧なので、ばうわう氏の文章が一見、意味を成すかに見えますが、これは正しくは「人間というものは、他の人を、法律の根拠によらずには法的には裁けません。」と書くべきでしょう。ばうわう氏が主張していることは「池川・遠藤氏らは、私を法的根拠のないまま法的に裁こうとしている」ということでしょうが、池川・遠藤氏らの提案している「制裁措置」は法的なものではありません。誰が行っても法には触れない行為です。仮に、ばうわう氏の許可なく強制的にばうわう氏の日記猿人への登録を削除したとしても、刑法上、民法上問題はないでしょう。憲法が許可することを法律が禁止したり、憲法が禁止することを法律が許可したりはできなく、憲法、法律、政令、条例の順で偉いわけなんですが、日記猿人の規則は(おそらく)条例の下に位置すると考えられますので、日記猿人の規則が「上位の規則が許可したことを禁止」したり、「上位の規則が禁止したことを許可」したり、「上位の規則でしか執行できない法的制裁を行ったり」したりできません。上位の規則が禁止しない措置なら行えるわけです。(このへん、法律用語的に、おかしな表現になっている可能性が大ですが、根本的な考え方は間違ってないと思うのですが、どうなんでしょう?>法律家の方)。よって、ばうわう氏は「日記猿人管理者の措置は、法に違反している」とか「日記猿人管理者の措置は、法が保護している私の権利を侵害している」というような方向で、議論を進めないと無意味なわけです。(「日記猿人からの削除は基本的人権の侵害である」とかが、一番、わかりやすい抗議でしょうか?)。
さて、期限は9月22日までとのことですので、というわけで、登録削除を撤回する可能性もあるわけですね? 日記猿人管理者が「強制削除の可能性」を明文化した時点で、日記猿人の可能性がひとつ減ったわけなんですが、ここで、ばうわう氏を強制削除すると、可能性がもうひとつ減る気がするので、登録削除撤回の方向で活動することをお勧めします。ただ、「削除の可能性を明文化」した以上、実際に削除してみないことには抑止力として作動しないし、実効力にも不安が残るので、「日記猿人強制削除第一号」になっていただくのも、また一興かと。
まだ猶予をいただけるようです。
私からの結論はそれまでお待ちください。
逆に、あなたがたの主張がナンセンスな感情まみれのものであることに気づいてください。以上に述べました通り、主張がナンセンス(意味を持たない)なのは、ばうわう氏の主張の方です。特に「違法でないワシの行為を法的には裁けない」という主張が「日記猿人管理者は法的には裁かない」という理由で無効になりましたので、日記猿人管理者の強権発動を牽制する効果は、皆無だと思われます。9/22までに、日記猿人登録存続のための活動を行うのなら、上に私が書いたことを吟味した上で、有効な対策を講じることを提案します。(よもや、この文書をCut&Pasteして「お知らせ ばうわう」を更新したりはしないと思いますが(^_^;;、どのような理屈を使うにしろ、咀嚼して自分の物にしてから使ってくださいね。さらに、私の上に書いた話は、あくまで私が思ったことですので、この論法で立ち向かうと、遠藤さんに完膚なきまでに叩きつぶされる可能性がありますので、ご注意を(^_^;;)。(しかし、万が一、万が一、ばうわう氏がこの文書パクって反論して、それを管理者側が論破できなかったりしたら、オレって戦犯?(^_^;;。まぁ、遠藤さんが負けるわけないか。(このあたりは冗談なので、引用して「攻撃材料」にしないようにね。))
現在のような、たしかに「悪口日記」は、あまり気持ちいいものではありませんね。悪口書いてると、気分悪いし。(おっと口が滑った「まっとうな批判のつもりでも、悪口に見えかねない文章を書いてると、気分悪いし」だ(^_^;;)。ただ、悪口日記が日記猿人の主流であるかどうか、は、どうですかね。私は悪口日記と思われる日記は、ごく一部ではないか、と思うのですが。そして「尋常な集団ではない」とのことですが、それはそうですね。「あたりまえ、普通、なみ、目立たなくで品がよい、けなげ、な集団」なわけ、ないでしょうよ(^_^;;。問題も多々抱えつつも、Web上で最も熱い部分のひとつであるところの「Web日記」が集結してるんですから、あたりまえでありきたりな集団であるはずがない。私は「Web日記」は、まだ色々な可能性を秘めてると思いますね。
他人の日記への悪口が「日記」として平気に登録されている日記猿人、
そして、そういうノリが主流であるいまの日記猿人は、
冷静に見て、尋常な集団ではないように思えます。
ちょっとタグを閉じ忘れたり、繰り返し更新する人が、そうですね、たしかに、あれはひどいですね。まぁ、私は、一行コメントにタグを入れてまで宣伝する日記人の方にあまり親近感を持たないので、「タグ入れるのなら、間違うなよ」というのが正直な感想ですが、だからといって、ちょっとしたミスを槍玉にあげるのは、どうかと思いますね。特に何がよくて何が悪いのか、まだ明確でないインターネットの世界ですからねぇ。まー「ちょっとタグを閉じ忘れたり」とか「繰り返し更新する」という行為を繰り返す人には「他人に迷惑かけても自分の利益優先」という価値観が感じとれるから糾弾される原因になるのは、ないでしょうか。(ここらは、ちょっと言いがかりかもしれないですね。)
犯罪者のように糾弾されている光景を、何度も見ました。
そのたびに、その人がいったいどんな刑法にふれたのだろう、と
憂鬱な気分になります。
なお、もし私が日記猿人を離れる時は、この発言をする、ばうわう氏の本当の目的が何であるかは、別としても、この発言は意義があると思います。途中の紆余曲折がどうあれ、「日記猿人」という名前を最初に考案したのは、ばうわう氏ですから。自分の著作物を大事にし、その権利を守る態度は立派でしょう。
「日記猿人」という名称を、
はじめに考案した私の権利として、主張させていただきます。
どうやら、商標登録も可能のようです。私は法律は門外漢なので、商標登録の仕組みについてはよく知らないので、商標登録が可能かどうかの議論はしません。
9/22以降「日記猿人」は、この文章は
ばうわうのホームページの一部になる予定です。